考えさせて
「好き」
言ったのは、私。
「考えさせて」
そう言ったのは、あなた。
それは一年前だった。
胸の中に、大切にしまっておいた想いを差し出したのは、夜の帰り道。
飲み会後のふわふわした気持ちと勢いに乗って伝えれば。
あなたは少し考えてから、そう言ったのだ。
考える、そのことに私の考えが及ばなくて。
一も二もなくうなずいて、私が見つめれば。
あなたは優しく笑った。 それだけは、確かだった。
一年間はあっという間に過ぎた。
春。告白直後はぎこちなかったものの、すぐに普段通りになってきて。
ダメもとで誘ってみたお花見は、応じてくれた。
一緒に写っているでもない、けれど一緒に見た桜は、それからずっと携帯の待受を飾ってた。
夏。ゼミが一緒になった。
これは成績順に有無を言わさず決められるもので。
もちろん、同じゼミになれれば良いと思っていたから喜びもひとしお。
思わず報告に行けば、また、あなたは優しく笑った。
まだ、“答え”はなかった。
秋。ゼミ合宿。
残暑が厳しくて、でも夜になればまだマシで。
合宿恒例という花火。 近くの砂浜で、直前まであった発表を終えた解放感もあって。
無茶苦茶に花火を振り回したりしてはしゃぐ同じゼミの子たち。
その中で私たちは、闇にまぎれてキスをした。
…けれど、“答え”はなかった。
冬。 何度目かのキス。
ただ一瞬、触れて、すぐ離れる。
それでも私は、とても満足していた。 “答え”が、まだ無くとも。
けれど、それは、ひそやかな期待は、あまりに脆いものだった。
「私たち、付き合っちゃう?」
「うーん、考えさせて」
何でもない話し声が聞こえてきて。
それが、同じゼミの女の子とあなたということに気づいて。
その時点で、踵を返していれば。 あるいは会話の中に無遠慮でも入っていけば。
知らずに済んだ。 …気づかないでいられたのに!
あなたの答えを聞いた瞬間。
嫌な汗が、体中から噴き出した。
“考えさせて”
前後の会話を知らない私でもわかるほど、他愛のない、ふざけている様な問いかけに対して。
あなたの返事は、私への返事と全く同じ。 同じ声音、同じ口調。
つまりは。 つまりは、私が告げた真剣な気持ちも、彼女が言った冗談も。
あなったにとっては、同じ返事をするだけの、価値しかなかった。 心に響かなかったのだ。
――そうなんだね
そうなんだ
そうなんだそうなんだ!
思わず駆けだした私の目の前はぼやけ、靄がかった風景は勢いよく流れていく。
自分にこれほどの運動能力があったのか、驚くほどに目の端に映る景色は早く進む。
前へ、前へ前へ! 次々に足は前へ踏み出す。 …進まずにはいられない。
どうしてだろう。
私の気持ちは、少なくとも冗談よりも真剣に向き合うものではなかった?
冗談と同価値? それなら、何回かのキスも、冗談?
期待してしまっただけに、衝撃は大きかった。
だって、普通は思ってしまうでしょう?
好きだと伝えてある人に、キスしてもらえる。
私のことを好ましく思ってくれてるって、付き合ってくれる気があるんだって。
そんな淡い期待に縋ってしまうでしょう?
カギを開けるのももどかしく、ドアを壊すぐらいの勢いで開く。
背中でけたたましく閉じたドアも気にせず、私は玄関に崩れ落ちた。
お酒の勢いを借りてしまったから?
自分の勇気を、振り絞らなかったから?
顔を伏せながら言ったから?
…夜の闇で、私の体が震えていたのは見えなかった?
声も揺れて、震えていたのも気づかなかった?
私が初めてのキスで、浮かべていた涙も。
二度目のキスで震えていたくちびるも。
赤くなった頬も、動揺した姿も。
――――全部、見えなかったの?
どんな気持ちで、あなたが私にキスをくれていたのかは分からない。
けれど、気持ちのつり合いが全くとれていないキスに、どれだけ私は喜んでいたのだろうか。
いつかは彼が伝えてくれると信じていた言葉に、どれだけ期待を募らせていたのだろうか。
むねが いたい
声をあげて泣きたいのに、口からでるのは、ひゅーひゅーという音だけ。
そして、それでもあなたが好きな私が、あまりに滑稽で、哀れだった。