始まる前に終わった話
乙女ゲームらしきものが始まる前に終わる話。
「あ、あの…っ!」
あら? 今、誰か何か言ったかしら?
気のせいね。学園の廊下は少し騒がしいし。
ちょうど授業が終わって、これから自由時間なので、仲の良い友人達と予約したサロンへ移動しているところ。
自由時間、わたくしはお茶会を催して過ごすことが多い。お茶とお菓子を楽しみながら、ご令嬢方にマナーを教えたり、情報交換したりする。自由時間とはいえ立派な学びの場。勿論、休憩したり、読書をしたり、剣術や勉学に励んだりするのも自由。
「自由時間」をどう使うのかは、個人の裁量に任せるという学園の方針だ。
「あの…! レ、レイチェル様!」
え? わたくし? 名前を呼ばれて振り返ると、一人の女子生徒がいた。
制服を見ると下位貴族だとわかる。かわいらしいけれど、知らない顔ね…。
この学園は、貴族籍の者しか通えない。そして、下位貴族と上位貴族とでは、制服も学舎も異なる。食事やお茶をする場所、屋外の庭や東屋などは共用スペースだ。
今一緒にいるのは、同じ派閥の女子生徒達。
家が公爵家で、わたくし自身が第一王子殿下の婚約者でもあるので、必然的に同年代のご令嬢方のまとめ役を担っているのだけれど…。やはり知らない方よね?
周囲に視線を向けても、首を横に振られる。
立ち止まってしまったから、声をかけた方がいいのかしら。
「失礼ですが、どちら様でしょう」
わたくしが悩んでいる間に、伯爵令嬢のアイリーン様が声をかけてくれた。
「あ、あの、わたし、レイチェル様に…」
え、本当にわたくし? さっきからずっと?
顔も知らない下位貴族の方に、名前を呼ぶ許可を出した覚えはないけれど…。おかしいわね。
「高位の家の方を、許可なくお名前で呼ぶことは許されませんよ」
「そ、そんな…」
アイリーン様が厳しいわ…。気持ちはわかるけど。
このままでは埒が明きません。わたくしが話しかけてみようかしら?
横にいるアイリーン様の腕にそっと触れてわたくしの意思を示してから、笑顔で半歩前に出る。
「初めまして。あなた、お名前は? どちらの家の方かしら?」
「え…? ひ、ひどい…! わたしの家が男爵家だからって…!」
うーん。やはり名乗っていただけませんのね。困ったわ。
それにしてもこの方、きちんとお話しできないのかしら? 質問しているだけなのに、答えが返ってこないわ…。
わたくしと見知らぬ女子生徒の間に、おかしな沈黙が流れる。
このままでは皆様との交流の時間が削られてしまう。それはよろしくないと判断し、くるりと振り返り、アイリーン様の従姉妹であるメーベル子爵令嬢にお願いをすることにした。
「メーベル様、校医の先生をお呼びいただける? できれば女医の方がいいわね。
あと、学園長と面会したいから、申請用紙を頂いてきてもらえるかしら?」
「はい、すぐに手配します」
「助かりますわ。お願いしますね」
メーベル様はきれいに一礼すると、同じ下位貴族の友人を伴って場を辞した。
「わ、わたしのこと無視するんですか…?! ひどいです!」
無視されているのは、むしろわたくし達の方だと思うのだけれど…。
この方、震えているけれど大丈夫かしら? まさか痙攣ではないわよね? ああ、早く校医の先生が来てくれるのを願うしかないわ。
「レイチェル様、先に誰かサロンへ向かわせましょう」
小声で囁くアイリーン様に頷く。校医が来るまでこの場にいなければならないけれど、予約しているのに誰一人サロンに来ないとなると、管理人も困ってしまうでしょうし。わたくしはここで待つとして、誰に行ってもらおうかしら。
考えを巡らせていると、中庭から第一王子殿下と側近候補の方々がいらっしゃった。
わたくし達がいるのは建物内の廊下だけれど、この場所から屋外に行き来できるようになっている。少し目立つし、通行の邪魔にもなってしまうので、できれば早く立ち去りたい。
「ご機嫌よう、アルバート殿下」
端に避けて一斉に礼を取る。
「あぁ、レイチェル。と、ルーシー?」
「アル様!!」
先程の女子生徒が、大声をあげて殿下に駆け寄った。殿下はお知り合いなのかしら?
「アルバート殿下、そちらのご令嬢を紹介していただけますか?」
「えっ?」
殿下の「えっ?」はどういう意味かしら?
「先程話しかけられたのですが、お名前を伺っても、お答えにならなくて困っていたのです。殿下のお知り合いなのですか?」
「え、と、レイチェルはルーシーを知らないのか?」
「ルーシー様とおっしゃるのですね」
やっとお名前がわかったわ。
「わかりましたわ、レイチェル様。おそらくですが、ロス男爵家のご令嬢です。ルーシー・ロス男爵令嬢。
三年前に現当主様の弟君が亡くなり、残されたご息女を養子にしたと聞いております。それまではご家族で市井で過ごされていたとか」
「そうなのね」
アイリーン様が情報を補足してくれた。数年前までいなかった男爵令嬢で同じ派閥でないなら、わからなかったのも仕方ないわ。
でも…。
「三年前…」
「はい、三年前です」
頷くアイリーン様も、きっと内心驚いているのでしょう。校医を呼んで正解でした。
何やら戸惑っておいでの殿下と側近候補の方々。何故か涙目のロス様。
情報を共有し合うわたくし達の元へ、メーベル様が戻ってきました。
「ホワイト公爵令嬢、お待たせ致しました」
メーベル様は要望通り、女医を連れてきて下さいました。
「ご足労頂きありがとうございます、先生。あちらの方ですわ。ルーシー・ロス男爵令嬢…でよろしいのかしら? わたくし初対面なので、後程ご本人にも確認を取って下さいませ」
「わかりました。何があったのかお聞かせ願えますか?」
周囲に声が広がらないように、そっと扇子を広げる。ロス様がずっと大声だったからあまり意味がないかもしれないけれど、一応礼儀よね。
「なるほど…」
先生も難しいお顔をしているわ…。校医一人では、対応も難しそうですもの。
「わたくし、これから学園長に面談を申し込みます。早ければ本日の放課後には話し合いができますわ。先生の診断と学園長の判断を待つことになりますが、その後でしたら我が家から彼女のご実家に今後のご提案もできるでしょう」
「まあ! それは心強いです。ご協力感謝します」
「ええ、よろしくお願いしますね」
先生が笑顔になりました。憂いが晴れたようでなによりですわ。
こちらが呼びつけてしまったのですから、協力は惜しみません。頼りになる友人達もいますしね。
「ロス男爵令嬢、こちらへ」
「え? えっ?」
校医の先生がロス様を連れて行って下さったので、わたくし達もようやくサロンへ移動することができました。いつもより高級な茶葉で紅茶を入れて、皆で疲れを癒します。
「メーベル様が子爵家に入られたのは、確かニ年前でしたよね?」
「はい。未だ慣れないことばかりで、お恥ずかしい限りです」
「そんなことありませんわ。よく努力していらっしゃるもの。
メーベル様のように向上心のある方に参加して頂けると、こちらも嬉しいもの。ねぇ、皆様」
友人達ににっこりと頷かれて、嬉しそうに頬を染めるメーベル様。アイリーン様のサポートもあると思うけど、本当にがんばっていらっしゃるわ。
本人はまだまだだと言っているけれど、もう十分下位貴族としての立ち居振る舞いは身についている。ひたむきな姿がかわいらしくて、つい応援したくなってしまうのよね。
ロス様は三年間何を学んでいらしたのかしら? いえ、そもそも言葉が通じなかったわね。
世の中にはいろいろな方がいらっしゃるのね…。
そういえば、何故アルバート殿下は彼女のことをご存知だったのかしら? 学舎が違うのに不思議だわ。次の交流会のときにでも聞いてみようかしら。
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数週間後、ルーシー・ロス男爵令嬢は学園を退学し、貴族籍から外れ、王都から遠く離れた病院に入院した。
『貴族籍になって三年が経過しているにも関わらず、貴族令嬢としての振る舞いができていない』ことがレイチェル・ホワイト公爵令嬢から学園へ報告され、更に校医から『言語・会話能力に著しい不自由がある』と判断された為である。
校医と学園長は、個別にルーシー・ロス男爵令嬢と面談を行ったが、支離滅裂な発言ばかりで会話が成立しなかったという。
その後、専門医の診察で『精神に不調を抱えている可能性』が指摘され、ロス男爵も養女が貴族として生きていくのは難しいと認めた。ロス男爵家から籍は外したが、姪の治療への支援は今後も続けていくという。




