第6話 暴かれた毒の出処
ゲオルクが、あの夜、食材庫に入っていた。
フリードリヒ元会長が入手した管理記録には、はっきりと記されていた。私が食材を取り出した二時間後、ゲオルクが食材庫の鍵を使った記録。
「これだけでは、ゲオルクが毒を仕込んだ証拠にはならない」
クルトの声は冷静だった。
「分かっています。彼が食材庫に入ること自体は、宮廷第一料理人として不自然ではありませんから」
「だが、状況証拠にはなる。問題は、これをどう積み上げるかだ」
「ひとつだけでは弱い。でも、二つ、三つと重なれば——」
「崩せる。そういうことだな」
「ええ。料理も同じです。ひとつの食材では味が決まらない。複数を組み合わせて、初めてひとつの味になる」
「……また料理に喩えるのか」
「癖なんです。すみません」
「謝るな。分かりやすい」
私は焚き火の前で膝を抱えた。シルが隣に寄り添い、温かい体を押し付けてくる。
「シル、あなたはどう思う?」
くぅん。
「ありがとう。心強い」
「……狐に相談するな」
「シルは賢いんですよ。この子がクルトに懐いたから、私もあなたを信用したんです」
「……俺の信用は狐次第なのか」
「はい」
クルトが呆れた顔をした。でも、嫌そうではなかった。
「もうひとつ、気になることがあります」
「何だ」
「毒物鑑定の報告書です。フリードリヒ様が疑問を呈されていました」
「ああ。鑑定を担当した人物が、協会の現理事と繋がりがあると」
「鑑定士の名前は?」
「シュトルム。協会理事のヴァルターの推薦で鑑定を担当した」
「ヴァルター理事……ゲオルクの後見人ですね」
「知っていたのか」
「宮廷にいた頃、何度か見かけました。ゲオルクがヴァルター理事に頭を下げているのを」
線が繋がっていく。
ゲオルクが食材に毒を仕込み、ヴァルター理事の息がかかった鑑定士が「証拠」を作り上げた。
「動機は?」
「おそらく、ヴィクトリアでしょう。彼女はヴァルター理事の姪です」
「つまり——」
「私が王太子の婚約者である限り、ヴィクトリアに入り込む余地がない。だから、私を排除した」
「筋は通る。だが、推測だけでは——」
「ええ。だから証拠を固めます。観察して、仮説を立てて、検証して、証拠を提示する」
「……お前の口癖だな、それ」
「料理と同じですから」
クルトが、ほんの少しだけ口角を上げた。
◇
マルタさんが、興奮した様子で森にやってきた。
「リーネちゃん、大変よ!」
「どうしたんですか、マルタさん」
「王都で大きな噂になってるの!」
「料理対決のことですか?」
「それもあるけど、それだけじゃないの。宮廷の中から、内部告発があったらしいわ」
「内部告発……?」
「毒殺事件の裁判に不正があったんじゃないかって。それに、王都の新聞に匿名の投書があって」
「何て書いてあったんですか」
「ゲオルク料理人があの夜、食材庫に入っていたことが書かれていたの」
クルトの仕業だろうか。彼に目を向けると、涼しい顔で薪を割っていた。
「マルタさん。王都の人たちの反応はどうですか」
「そりゃもう大騒ぎよ。『やっぱりあの裁判はおかしかった』って声がどんどん増えてる」
「……ありがとうございます。本当に」
「私は何もしてないわよ。あなたの料理が、みんなの心を動かしたの」
マルタさんが帰った後、案の定——。
ブルクハルト監査官が、今度は兵士を二名連れて現れた。
「リーネ・アルヴェーン。宮廷料理協会の決定により、あなたの料理人資格を一時停止します」
「理由は」
「処刑宣告を受けた者に資格を付与し続けることは、協会の信用に関わるため」
「検証会の後に決まったことですね」
「……手続きは適正に行われました」
「では、ひとつ確認させてください」
「何でしょう」
「宮廷料理協会の規則第二十三条。資格停止処分には、本人への聴聞手続きが必要です。私は聴聞を受けていません」
ブルクハルトの顔が強張った。
「また、第三十一条。処分の決定には、理事会の過半数の賛成が必要です。現理事は七名。本日の決定に、何名が賛成しましたか」
「……それは——」
「お答えいただけないなら、この処分は法的に有効とは認められません。フリードリヒ元会長を通じて、正式に異議を申し立てます」
沈黙。兵士たちも、どう対応していいか分からない様子だった。
「……分かりました。本日は、処分の通告のみに留めます」
ブルクハルトは踵を返した。だが、去り際に小さな声で呟いた。
「……規則集の第四十二条も、読んでおくといい」
私は耳を疑った。今のは——助言?
兵士たちが先に歩き出す。ブルクハルトはそれ以上何も言わず、馬車に乗り込んだ。
去っていく馬車を見送りながら、膝の力が抜けた。
「よく調べたな」
クルトの声に、かすかな感心が混じっていた。
「フリードリヒ様にお借りした規則集を、毎晩読んでいましたから」
「毎晩? いつの間に」
「料理の後です。シルを膝に載せて、焚き火の明かりで」
「……そこまでするか、普通」
「普通じゃないですか?」
「普通じゃない。だから——」
クルトが言葉を切った。
「だから?」
「……いや。強い女だと思っただけだ」
「それと……最後にブルクハルトさんが何か言ったの、聞こえましたか」
「聞こえた。第四十二条——『不正な処分に対する被害者の救済措置』だ」
「やっぱり。あの人、教えてくれたんですね」
「中立の人間は、時に最も強い味方になる」
クルトが、初めて私の顔をまっすぐ見た。暗い瞳の奥に、温かな光が灯っている。
「強くなんてありません。ただ、諦めが悪いだけです」
シルが足元で尻尾を振った。
夜、焚き火を囲んで、山菜と干し肉の炊き込みを作った。森で見つけた稗のような穀物を使った即興の一品だ。
「今日は色々あったから、温かいものが食べたくて」
「……同感だ」
「はい、どうぞ」
「美味いな」
「ありがとうございます」
「いつ食っても美味いが、今日のは特に美味い」
「疲れた時は、何を食べても美味しく感じるものですよ」
「違う。お前の料理が美味いんだ」
不意打ちだった。クルトは自分で言ったことに気づいていないのか、平然と食べ続けている。
「……リーネ」
初めて、名前で呼ばれた。
「再審を勝ち取る方法がある。だが、お前自身が王都に出る必要がある」
「どういうことですか」
「王国法に『国王への直訴権』がある。処刑宣告を受けた者が、新たな証拠を持って国王に直接訴えることができる」
「国王への直訴……」
「古い法律だが、まだ廃止されていない。フリードリヒ翁が段取りをつけてくれる」
「クルトさん——いえ、クルト」
名前で呼び返した。クルトが、わずかに目を見開いた。
「なぜここまで私に協力してくれるんですか」
「……美味い飯が食えなくなるのは困るからだ」
嘘だ。でも、今はその嘘が心地よかった。
夜風が火を揺らした。クルトの横顔が明滅する光に照らされて、ほんの一瞬だけ、柔らかく見えた。
この人の正体を知るのが、少しだけ怖い。けれど、もっと知りたいとも思っている。
矛盾だらけの気持ちを抱えたまま、森の夜は更けていった。




