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処刑前の悪役令嬢が作る飯テロが美味すぎて、無愛想な騎士が毎晩通ってくるのですが  作者: 渚月(なづき)


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第3話 噂は湯気とともに街へ

王都の紋章が入った馬車から降りてきたのは、見るからに高慢な表情をした若い女性だった。


絹のドレスに宝石の髪飾り。深い森にはおよそ似つかわしくない出で立ちで、彼女は泥を避けるようにつま先立ちで歩いてくる。


「あなたが、森で料理を振る舞っている女?」


「……ええ。何かご用ですか」


「ヴィクトリア・レーゼンタール。王太子殿下のご婚約者よ」


息が止まった。


私の後釜。私を追い落とした女性。目の前にいるのが、その人だった。


「殿下が心配なさっているの。森で怪しい料理を出して、人を集めているって」


「怪しくはありません。ちゃんとした食材で、ちゃんとした料理を作っています」


「あら、強気ね。まさか、また毒でも盛っているんじゃないかと」


「毒など、盛ったことはありません」


「裁判ではそう認定されたけれど?」


ヴィクトリアの口元が歪んだ。勝者の余裕、とでも言うのだろうか。


シルが私の足元で低く唸った。銀色の毛が逆立っている。


この子は人の善悪を見抜く。今、シルはヴィクトリアに警戒を示している。


「シル、大丈夫。落ち着いて」


クルトが、いつの間にか私の斜め後ろに立っていた。何も言わない。ただ、そこにいる。


「用件をお聞かせください」


「これ以上、人を集めるのをやめなさい。処刑を待つ身で、民衆の同情を買おうだなんて」


「同情を買うつもりはありません」


「なら、何のため?」


「ただ料理を作って、食べたい人に出しているだけです。それ以上でも以下でもありません」


「あなたにそんな権利が——」


「権利の話をするなら、私には弁明の権利がありました。裁判では、その権利すら与えられませんでしたけれど」


ヴィクトリアの目が揺れた。ほんの一瞬だけ、何か——罪悪感のようなものが過ぎった。


「……そう。忠告はしたわよ」


ヴィクトリアは一瞬、何か言いたげに唇を震わせた。けれどすぐに表情を取り繕い、踵を返した。


「次は忠告では済まないから」


馬車に戻る彼女の足取りは、来た時ほど堂々としていなかった。


馬車に戻る彼女のために、従者が外套を地面に広げている。泥が跳ねないように。


馬車が去った後、膝が震えていることに気づいた。


「大丈夫か」


クルトの声が、思ったより近くで聞こえた。


「……大丈夫です。少し、驚いただけで」


「震えてるぞ」


「これは怒りです。怖いんじゃなくて」


「……そうか」


クルトは何か言いかけて、やめた。代わりに、シルを抱き上げて私の腕に渡した。


温かい。シルの体温が、震える手に染み込んでいく。


「……ありがとうございます」


「礼を言うようなことじゃない」


ぶっきらぼうな声。でも、その不器用な優しさに、少しだけ救われた。


「あの人……ヴィクトリアさん、最後に少しだけ、表情が揺れたように見えました」


「見えたのか」


「ええ。ほんの一瞬ですけど。自分がしていることに、迷いがあるのかもしれません」


「だとしても、敵は敵だ。油断するな」


「分かっています。ただ——彼女も、誰かに操られている側なのかもしれないと思って」


「甘いな」


「甘くて結構です。料理人は、食べる人すべてに対して公平でなければいけませんから」


クルトがわずかに目を見開いた。何も言わなかったが、否定もしなかった。



翌日も、その翌日も、客足は途絶えなかった。むしろ増えている。


ヴィクトリアの訪問が逆に噂を加速させたらしい。


「王太子の婚約者がわざわざ止めに来るほどの料理って、どんな味なんだ?」


そんな好奇心が人を呼んでいた。


今日のメニューは、森で採れたハーブと木の実のガレット。


そば粉の代わりに、どんぐりを乾燥させて挽いた粉を使う。三日間天日で乾かし、石で丁寧に砕いて篩にかけた粉だ。


香ばしい生地を石窯の上で薄く焼き、山羊乳を煮詰めたものを載せる。仕上げにタイムとはちみつをひと回し。


焼き上がりの瞬間、甘い香りが森に広がった。


「こんな食べ物、初めてです!」


「どんぐりって食べられるんですね……」


「食べられますよ。ちゃんと処理すれば、とても香ばしい粉になるんです」


「毎日通いたい。本気で」


「お子さんの分も包みましょうか?」


「いいんですか? うちの子、偏食がひどくて困ってたんです」


「この生地なら、きっと気に入ってくれますよ。どんぐりの甘みは、子どもの舌に合いますから」


「ありがとうございます。明日、連れてきます!」


「ありがとうございます。また来てくださいね」


客たちの反応に、口元が緩む。


マルタさんが、薬草と一緒に情報も運んでくれるようになった。


「リーネちゃん、聞いた? 王都で、あなたの裁判のことを疑問に思ってる人が増えてるらしいわよ」


「本当ですか?」


「だって、毒を盛るような人がこんなに美味しい料理を作れるわけないって。みんなそう言ってるの」


「それは……嬉しいですけど、そんな単純な話じゃ——」


「単純でいいのよ。人の心を動かすのは理屈じゃなくて体験なんだから」


「マルタさん……」


「あとね、市場でも噂になってるのよ。『あの裁判、証拠が怪しいんじゃないか』って商人たちが話してたわ」


「証拠が怪しい……?」


「詳しくは分からないけど、鑑定がおかしいとか何とか。ねえ、リーネちゃん。味方は増えてるわよ」


マルタさんの言葉が、胸に残った。


私の料理を食べた人が、「この人は毒なんか盛らない」と感じてくれること。それは、どんな弁明よりも強い。


クルトに報告すると、珍しく真剣な表情で言った。


「世論は力になる。だが、それだけでは足りない」


「分かっています」


「お前を陥れた連中は、証拠を握っている。もしくは、証拠を捏造している」


「……そうですね。私もずっと考えていました」


「何か心当たりはあるか。毒殺未遂の件で」


「王太子に出した夕食の中に、毒が検出されたと言われました。でも、私はいつも通りに作った」


「食材の仕入れ経路に、誰かが手を加える余地は?」


「宮廷の食材庫は、複数の料理人が共有しています。鍵はありますが、上級料理人なら誰でも開けられます」


「つまり、食材に毒を仕込むことは可能だったと」


「ええ。でも、それを証明する手段が——」


「ある」


クルトの目が光った。


「食材庫の管理記録だ。誰がいつ入ったか、記録が残っているはずだ」


「残っています。でも、あの記録は宮廷長官の管理下にあって——」


「俺に任せろ」


短い一言だった。けれど、その声には有無を言わせない確信があった。


「クルトさん。あなたは、一体——」


「今は聞くな。そのうち話す」


シルが、クルトの足元に寄り添った。この銀狐は、人の本質を見抜くのかもしれない。


私はゆっくり頷いた。


「分かりました。待ちます」


夜の森は静かだった。焚き火のはぜる音と、遠くの梟の鳴き声だけが聞こえる。


クルトが立ち上がり、森の奥へ歩き出す直前、振り返ってこう言った。


「明日の飯、楽しみにしてる」


その一言が、不思議なほど胸に残った。


処刑まで、あと二十二日。けれど、王都からもうひとつの馬車が、こちらへ向かっていることを、私はまだ知らない。


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