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処刑前の悪役令嬢が作る飯テロが美味すぎて、無愛想な騎士が毎晩通ってくるのですが  作者: 渚月(なづき)


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10/10

第10話 終わらない食卓

森の石窯に火を入れるのは、もう何度目だろう。


再審から半月が経った。処刑の恐怖はもう遠い記憶になりつつある。けれど、あの三十日間で得たものは、何ひとつ遠くなっていない。


今日は特別な日だ。


マルタさんが声をかけてくれた町の人々、フリードリヒ元会長、森の常連客たち。みんなを招いて、感謝の食事会を開く。


「こんな大人数、石窯ひとつで足りるのか」


クルトが腕を組んで、やや不安げに言った。


「足りますよ。料理は段取りが命ですから」


「手伝えることはあるか」


「じゃあ、薪を多めにお願いします。あと、沢でクレソンを」


「分かった」


「それから、シルに味見を止めてもらえます? さっきから鹿肉をこっそり狙ってるんです」


クルトがシルを見た。シルは何食わぬ顔で毛繕いをしている。


「……こいつはもう手遅れだ」


「ですよね」


前日から仕込みは始めている。鹿肉は山葡萄に漬けて柔らかくし、根菜は下茹でを済ませた。パンはどんぐり粉と小麦粉を混ぜた生地を、石窯の余熱でゆっくり焼く。



昼過ぎから、続々と人が集まり始めた。


マルタさんは大きな花束を抱えてきた。


「リーネちゃん、おめでとう!」


「マルタさん、ありがとうございます。……こんなに立派な花束」


「町のお花屋さんが、ぜひにって。あなたの料理のファンなのよ」


町の子どもたちは、森の中を走り回っている。シルを追いかけて、きゃあきゃあと笑い声を上げている。


シルはまんざらでもない様子で、子どもたちの前をちょこちょこ走っていた。


フリードリヒ元会長は杖をつきながら、穏やかな笑顔でやってきた。


「リーネ嬢。いや、もう『森のリーネ』と呼ばせてもらおうか」


「森のリーネ……ですか?」


「町ではすっかりそう呼ばれているぞ。王都の高級食堂よりも、森の料理人の方が似合っていると、わしは思うがね」


「光栄です」


テーブルは倒木を並べたもの。椅子は切り株。食器は木の葉と石を組み合わせた手作り。


不格好だけれど、ここには嘘がない。


「さあ、始めましょう」


前菜は、森のハーブサラダ。十種類の野草を摘んで、蜂蜜と木酢のドレッシングで和えたもの。


「この苦みと甘みの組み合わせ……絶妙」


スープは、栗ときのこのポタージュ。


「また飲めた! この味、夢に出てきたんです」


「大げさですよ」


「大げさじゃないです! 毎晩、栗のポタージュの夢を見てたんですから」


「それは……すみません。もっと早く作ればよかったですね」


「謝らないでください。待った分、余計に美味しいです」


メインは、鹿肉のロースト。山葡萄のソースに、焼いた根菜を添えて。


「これ、王宮でも出てこないわよ」


「マルタさん、それ前も言ってましたよ」


「何度でも言うわよ。事実なんだから」


「私も同感だ。宮廷の晩餐会よりもここの料理の方が上だと、自信を持って言える」


フリードリヒ元会長が、静かに、しかし確かな声で言った。


「会長……」


「わしは長年、宮廷の料理を食べてきた。技術の高い料理人は山ほどいる。だが、食べる人の顔を思い浮かべながら作る料理人は、ほんの一握りだ」


「……ありがとうございます」


「お前の料理には、それがある。だから人が集まるんだ」


隣でクルトが小さく頷いていた。


デザートは、蜂蜜と木の実のタルト。どんぐり粉の生地は香ばしく、噛むたびに森の香りが広がる。


私は料理を出しながら、一人一人の顔を見ていた。


笑っている。みんな、笑っている。


(ああ——これだ)


この景色が見たかった。処刑を宣告された夜、失ったと思ったもの。それは名誉でも地位でもなく、この当たり前の風景だった。


「リーネちゃん! 次はいつやるの?」


「来週はどう?」


「毎週やってほしい!」


「考えておきますね」


嬉しい悲鳴に囲まれながら、ふと、視線を感じた。


テーブルの端。フリードリヒ元会長と話していたクルトが、こちらを見ていた。


目が合った。クルトは、すぐに逸らした。


食事会が終わり、片付けをしていると、フリードリヒ元会長が近づいてきた。


「ひとつ報告がある」


「はい」


「ヴィクトリアが、王太子との婚約を辞退した。叔父の失脚で後ろ盾を失って、自ら身を引いたようだ」


「……そうですか」


「王太子も、自らの不明を恥じて表舞台から退くことを陛下に申し出たそうだ」


不思議と、何の感慨もなかった。あの人はもう、私の物語の登場人物ではない。


「それともうひとつ。クルト——レオンハルト殿のことだが」


「何かあったんですか」


「内部告発の功績が認められて、陛下から新たな役職を打診された。が、辞退したそうだ」


「辞退……?」


「『森に用がある』と言ったらしい。陛下が苦笑しておられたよ」


胸の奥が、じわりと温かくなった。


客が全員帰った後、森は静けさを取り戻した。


焚き火の前に座る。隣にクルト。足元にシル。


いつもの場所、いつもの配置。


「クルト」


「何だ」


「国王から役職を打診されたって聞きました」


「……あの老人、余計なことを」


「断ったんですね」


「ああ」


「なんて言って断ったんですか」


「……別に」


「『森に用がある』って言ったそうですね」


「…………」


「その用事って、何ですか」


クルトは黙った。焚き火がぱちぱちとはぜる。


「……聞くまでもないだろ」


「聞きたいんです」


「……お前の飯を食うことだ。文句あるか」


「ありません」


笑ってしまった。


「宮廷に戻るか」


「戻りません」


即答だった。自分でも驚くほど迷いがなかった。


「ここで料理を作り続けます。この森で。この石窯で」


「そうか」


「クルトも、ここにいてくれますか」


「……聞くまでもないだろ。さっき言った」


「もう一回聞きたかったんです」


「……面倒な女だ」


「面倒で結構です」


「……ああ。面倒で結構だ」


でも、その声は優しかった。


シルが、私たちの間に寝転がった。銀色の毛並みが焚き火に照らされて、黄金に輝いている。


「明日の献立、もう考えてるんです」


「もうか」


「秋が深まるから、温かいシチューなんてどうかなって。鹿肉と根菜をたっぷり入れて、ローズマリーの香りを効かせて」


「美味そうだな」


「仕上げに山葡萄の赤いソースをひと筋」


「それ、俺が好きなやつだろ」


「気のせいですよ」


嘘だ。クルトが初めて私のスープを飲んだ夜と、同じ味にしたかった。あの夜から、すべてが始まったから。


「……あの夜のスープと、同じ味にするつもりだろ」


「分かるんですか」


「分かる。お前の料理は全部覚えてる」


それは——今まで聞いた中で、一番嬉しい言葉だった。


クルトが笑った。声を出して。あの低くて掠れた笑い声。


それに応えるように、私も笑った。


森は静かだった。頭上には、数えきれないほどの星が瞬いている。王都からは見えなかった星たちが、宝石箱をひっくり返したように散らばっている。


処刑前夜から始まった物語は、終わらない食卓へと続いていく。


明日も、この石窯に火を入れる。明日も、誰かのために料理を作る。隣には、不器用で優しい人と、もふもふの銀狐。


それだけでいい。それだけで、十分すぎるほど幸せだ。


風が木々を揺らした。森が囁く。おかえり、と。


——石窯の火種は、消えない。それはきっと、この先もずっと。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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