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処刑前の悪役令嬢が作る飯テロが美味すぎて、無愛想な騎士が毎晩通ってくるのですが  作者: 渚月(なづき)


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第1話 森に落ちた宮廷料理人の娘

処刑まで、あと三十日。


冷たい石の床に膝をついたまま、私は自分の指先を見つめていた。昨日まで鍋の柄を握り、香草を刻んでいたこの手が、今は鉄の枷で繋がれている。


「リーネ・アルヴェーン。毒殺未遂の罪により、処刑を申し渡す」


裁判官の声が、高い天井に反響して消えた。


傍聴席からは安堵のため息。まるで厄介ごとが片付いたとでも言うように。


私は毒など盛っていない。


宮廷料理人の娘として、十五の頃から厨房に立ってきた。七年間、一日も休まずに。


食材の鮮度、火加減、塩の一振り。料理とは命を預かる行為だと、母にそう教わった。


なのに。


「弁明の機会は——」


「不要だ」


王太子——私の婚約者だった人は、視線すら寄越さなかった。隣に立つ見知らぬ令嬢の手を、当然のように握っている。


「殿下、お願いです。せめて話だけでも——」


「判決は下った。これ以上は必要ない」


冷たい声だった。かつて私の料理を「美味い」と笑っていた人と、同じ声とは思えない。


(……ああ、そういうことか)


胸の奥が冷えていく。怒りではない。もっと静かな、諦めに似た感覚だった。



森に放り出されたのは、その日の夕暮れだった。


「三十日の猶予を与える。その間に逃亡を試みれば、即時執行とする」


護送兵はそれだけ告げて、馬車を走らせて去った。


残されたのは、薄汚れた囚人服一枚と、腰に結わえた小さな革袋だけ。


革袋の中身を確認する。干し肉が二切れ、固いパンがひとつ。三十日分には到底足りない。


足元の土を踏みしめた。湿っている。


鼻を動かすと、苔の匂いに混じって、かすかに甘い香りがした。


(……山葡萄?)


目を凝らす。薄暗い木立の奥に、確かに紫色の実が垂れている。


その隣には野生のタイムらしき草。少し離れた岩場には、きのこが群生していた。


料理人の目が、勝手に動き始める。


食材がある。水の音も聞こえる。火を起こす方法さえあれば——。


両手を見た。枷は外されていた。震えてはいるけれど、まだ動く。


この手は料理のためにある。誰かの命を奪うためではなく、誰かの命を繋ぐために。


崩れかけた石窯のようなものが、少し先の空き地に見えた。昔、誰かが暮らしていた痕跡だろう。苔に覆われているが、構造は残っている。


周囲を歩き回ると、さらに食材が見つかった。


沢の近くにはセリに似た野草。岩の裏側にはわさびのような根。木の幹には樹液が滲み出ている。


(この森……食材の宝庫だ)


料理人の血が騒ぐ。場違いだと分かっている。処刑を待つ身なのに、食材を見るだけで手が動き出す。


手近な枝を拾い集め、火打ち石を探した。


(料理人なら、これくらいはできる)


何度か失敗した。指先が擦れて痛んだ。三度目でようやく火花が散り、乾いた苔に燃え移った。


火が灯った瞬間、森の闇がほんの少しだけ後退した。


石窯に薪をくべ、近くの沢で水を汲む。山葡萄、野生のタイム、岩場のきのこ。それから沢沿いに自生していたクレソン。


鍋がない。けれど、大きな平石を二枚見つけた。一枚を窯の上に置いて熱し、もう一枚を器にする。


きのこを手で裂き、クレソンを添え、沢の水とタイムで煮る。山葡萄は軽く潰して、最後に回しかけた。


酸味が全体を引き締めるはず。母がよくやっていた手法だ。


石の上で、スープがふつふつと泡を立てている。色は深い琥珀色。きのこの旨味が溶け出して、タイムの清涼な香りと混じり合う。


味見をした。少し塩気が足りない。沢の上流で見つけた岩塩を削って、ひとつまみ加えた。


もう一度味見。うん、いい。母に出しても、合格をもらえるはずだ。


湯気が立ち上る。


森の静寂の中に、ことことという音だけが響いた。


「……美味そうな匂いだな」


声がした。


振り返ると、木の陰から長身の青年が現れた。黒い外套に身を包み、片手には使い込まれた剣を提げている。


警戒で身体が強張る。けれど、彼の視線は私ではなく、石の上で煮立つスープに注がれていた。


「……何者ですか」


「通りすがりだ。この森に住んでいる」


「森に……住んで?」


「変か?」


「いえ。驚いただけです」


青年は無造作に近くの切り株に腰を下ろした。まるで自分の家のリビングにでもいるかのように。


「腹が減った。一杯もらえるか」


「……初対面で、いきなりですか」


「ダメか?」


「ダメとは言いませんが……せめて名乗ってからにしてほしいです」


「クルトだ」


「リーネです」


「で、もらえるのか」


「……はい、どうぞ」


図々しい。けれど、料理人の性分というのは厄介なもので。


誰かが「食べたい」と言ったら、作りたくなる。それが、どんな状況であっても。


大きな葉を器にして、きのこのスープをよそった。山葡萄の甘酸っぱい香りが、夜風に乗って広がる。


青年はひと口啜り、動きを止めた。


「……驚いた」


「お口に合いませんでしたか」


「逆だ」


もうひと口。ゆっくりと、味を確かめるように。


「酸味と旨味の均衡が絶妙だ。山葡萄を最後にかけたな?」


「分かるんですか?」


「味は分かる。作り方は分からんが」


「山葡萄の酸が、きのこの旨味を引き立てるんです。母から教わりました」


「いい母親だな」


「……ええ。最高の料理人でした」


「森の食材だけで、ここまで味を整えるやつは初めて見た」


足元に、ふわりと白い影が寄ってきた。銀色の毛並みを持つ、狐のような小さな生き物。


青年の足元にいたのか、それとも森から現れたのか。


銀狐は私の手に鼻先を押し当て、くぅんと鳴いた。


「……懐かれたな。珍しい。こいつは人見知りだ」


「この子は……精霊獣ですか?」


「ああ。森に棲む銀狐の精霊獣だ。普段は人に近寄らない」


「でも、この子は私の手に……」


「気に入られたんだろう。理由は知らんが」


銀狐が私の指を舐めた。ざらりとした小さな舌。温かい。


「料理の匂いにつられたのかもしれないな」


「そうかもしれません。でも——」


温かい毛並みが、冷えた指先に染みた。ふわふわだ。信じられないくらい、ふわふわだ。


思わず両手で包み込む。銀狐はされるがままに、目を細めた。


この子は、私の手が毒を盛る手ではないと知っている。料理を作る手だと、分かっている。


動物は嘘をつかない。この子が私に触れてくれることが、今は何よりの証拠に感じた。


処刑まで三十日。だけど今この瞬間、私の料理を美味しいと言ってくれる人がいる。私の手に寄り添ってくれる温もりがある。


まだ、終わっていない。


「——もう一杯、いかがですか」


「……ああ。もらう」


クルトがかすかに笑った気がした。暗くてよく見えなかったけれど。


「リーネ。明日も、ここで飯を作るのか?」


「……ええ。たぶん」


「なら、また来る」


それだけ言って、青年は森の闇に消えていった。振り返りもしない。けれど、その背中に拒絶の色はなかった。


残されたのは、空になった葉の器と、膝の上で丸くなった銀狐と、胸の奥に灯った小さな火。


森の奥で、何かの鳥が鳴いた。まるで、物語の幕が上がったことを告げるように。


第2話 銀狐と


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