第1章 セカンド・ウォーターシェッドの遺産 第5節 玄理研の会議
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では続いて、第1章・第5節「玄理研の会議」を執筆します。
この節では、玄理研の幹部たちが初めて同じテーブルに集まり、
「事業補完計画」の構想が具体的に動き出す瞬間を描きます。
理論派・現実派・情熱派・冷徹な経営者、それぞれの意見が交錯し、
会社の命運をかけた会議がドラマとして展開されます。
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第1章 セカンド・ウォーターシェッドの遺産
第5節 玄理研の会議
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午後七時を過ぎた本社ビル。
窓の外は雨。
湾岸の灯りが雨粒に滲み、オフィスの床に反射していた。
「本当に、こんな時間に始めるのか……。」
冬月顧問がぼそりと呟く。
「社長が“全員揃ってから”って言ってたでしょ。」
美郷が紙コップのコーヒーを手にしながら応える。
「どうせまた徹夜コースよ。あなたも覚悟なさい、冬月さん。」
冬月は苦笑し、眼鏡を外して目頭を押さえた。
「……まったく、歳を取ると夜の会議はこたえる。」
「寝たらダメですよ。議事録、取らされますから。」
ドアの隙間から顔を出したのは、営業部員の飛鳥だった。
その後ろに、真司が控えめに立っている。
「私たちも同席していいんですか?」と真司。
「いいのよ。社長が『現場の声を聞く』って言ってたから。」
飛鳥が肩をすくめた。
「どうせ“見るだけ”で終わるんでしょ。幹部の会議なんて。」
「見るだけでも、学べることはあります。」と真司。
「まじめだねぇ、相変わらず。」
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会議室のドアが静かに開く。
理都子がタブレットを片手に入ってきた。
その背後から、玄道社長が現れる。
「全員、揃っているな。」
その声だけで、室内の空気が一瞬で引き締まる。
「これより、“事業補完計画”に関する第1回合同戦略会議を始める。」
冬月が議事録を開き、静かにうなずいた。
理都子がホロスクリーンを起動する。
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スクリーンには、ひとつのタイトルが映し出された。
【Project EIHVA(衛破)/事業補完計画:概要案】
そして、その下に並ぶ三つのキーワード。
『1秒時短計画』
『活エクセル』
『全体最適』
理都子が説明を始めた。
「まず、現状の整理です。
当社のAI開発部門では、衛破ゼロ号機の演算試験が最終段階にあります。
ですが、実用化のための“業務インフラ”が整っていません。
人的リソースの分散、データ処理の重複、意思決定の遅延。
これらの要因が、結果的に経営効率を40%以上低下させています。」
冬月が腕を組む。
「要するに、我々の“時間”が浪費されているということだな。」
「その通りです。」理都子は頷いた。
「そこで提案するのが、“1秒時短計画”。
一つひとつの業務動作を1秒ずつ短縮する。
単純に見えますが、全社員が1日あたり1秒×100回改善すれば、
1人で1日100秒=年間約28時間の時間を生み出せます。」
飛鳥が目を丸くした。
「たった1秒で、そんなに変わるんですか?」
理都子は静かに微笑む。
「“たった1秒”を軽んじることが、“1年の損失”を生むの。
1秒の意識が、やがて1分の改善、1時間の創造へとつながります。」
真司が頷きながら、小さく呟いた。
「……この前、少しだけ分かった気がします。」
理都子はそれを聞き取り、優しく微笑んだ。
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美郷が手を挙げた。
「いい話だけど、理論だけじゃ社員は動かないわ。
みんな疲れてる。数字を減らせって言われたら、余計やる気が下がるの。」
玄道がそれに反応する。
「だからこそ、“夢”が必要だ。
私は『活エクセル』をその象徴にしたい。」
室内がざわつく。
「Excel、ですか……?」冬月が眉をひそめる。
玄道はホロスクリーンを操作し、社内業務の分析図を表示した。
そこには、無数のExcelファイルが網の目のようにリンクしている。
「我々の業務の80%以上がExcelに依存している。
だが、その多くは“死にエクセル”だ。
誰が作ったかも分からない、修正も再利用もできない。
これは、会社の“記憶喪失”だ。」
理都子が補足する。
「“活エクセル”とは、Excelを『考具』として活かす仕組みです。
I/BB/Oモデル――入力・分析・出力を明確に分け、
データの流れを整理することで、業務の再現性を高める。」
「つまり、属人化の解消だな。」冬月が頷く。
「はい。Excelを“人の思考を見える化する装置”として再定義します。
AIの力を借りず、人間自身が自分の知を構造化するんです。」
美郷は腕を組みながら呟いた。
「……なるほど。“人間の手でAIに追いつく”ってわけね。」
「違う。」玄道が即座に否定する。
「“AIに追いつく”のではない。“AIを追い越す”のだ。
AIが作り出す答えに、人間の“意味”を与える。
それが、玄理研の使命だ。」
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一瞬の沈黙。
その言葉に、誰もすぐ反応できなかった。
やがて冬月が静かに言う。
「社長。理想は分かる。だが、それで企業が立ち直るのか?」
玄道は視線を落とし、手元のペンを握った。
「……理想だけでは立ち直らん。
だから“補完”するのだ。」
彼はホロスクリーンに新しいスライドを映した。
【事業補完計画:骨子】
① 社内全業務の可視化・再構造化
② 1秒時短計画の全社展開
③ 活エクセルによる知的生産性基盤の構築
④ 結果をAI衛破に統合し、意思決定精度を向上
「これは単なる業務改善ではない。
“AIと人間の協働経営”を実証する実験だ。
我々の企業理念を、形にするための挑戦である。」
理都子がうなずく。
「AIが導き、人間が判断する。
その“境界”をどこまで近づけられるかが、鍵です。」
美郷が笑う。
「……つまり、“考える現場”を取り戻すってことね。」
玄道:「そうだ。考えることを放棄した組織は、AIに支配される。
だが、“考える技術”を磨いた組織は、AIを使いこなせる。」
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飛鳥が手を挙げた。
「社長、ひとつ聞いてもいいですか。」
「言え。」
「……私たちがこの計画で目指す“成功”って、何ですか?」
一瞬、室内が静まり返る。
玄道は窓の外を見やり、静かに言葉を紡いだ。
「“成功”とは、成果を上げることではない。
“夢を語れる組織になること”だ。」
その言葉に、美郷の瞳が揺れた。
冬月はペンを置き、理都子はゆっくりと息を吸い込んだ。
真司は、その光景をただ黙って見つめていた。
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こうして、玄理研の未来を賭けた「事業補完計画」は、
正式に始動することとなった。
会議が終わるころ、外の雨はすでに止んでいた。
夜の湾岸に、薄い月明かりが滲む。
玄道は窓際に立ち、誰にともなく呟いた。
「1秒を笑う者は、未来を逃す――か。」
背後で理都子が静かに答えた。
「ええ、社長。
その1秒こそが、“人間らしさ”を証明する時間です。」
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(第5節 終)
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次の 第6節「事業補完計画」提示 は、
この会議の翌日――全社員を前に玄道社長が正式発表を行うシーンです。
組織の空気が一変し、「1秒時短計画」と「活エクセル」が
“社内運動”として広がる契機になります。
続けて第6節を執筆してよいですか?




