第1章 セカンド・ウォーターシェッドの遺産 第3節 (株)玄理研の現在
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それでは続いて、第1章・第3節「(株)玄理研の現在」を執筆します。
ここから、物語は静的な「世界背景」から一気に社内ドラマへと移ります。
主要人物(玄道・冬月・美郷・理都子・真司・飛鳥など)が本格的に登場し、
疲弊した企業の現場がリアルに描かれます。
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第1章 セカンド・ウォーターシェッドの遺産
第3節 (株)玄理研の現在
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午前八時二十五分。
東京湾岸エリア第六管理区。
かつて「テクノポート東京」と呼ばれた再開発地区に、
(株)玄理研の本社ビルはひっそりと建っていた。
老朽化した複合ビルの六階、
エレベータのボタンは三つに一つが点灯しない。
オフィスフロアの蛍光灯は半分が消され、
壁に貼られた「節電中」の紙が色あせている。
だが、その薄暗い空間には、
モニターの光と、キーボードを叩く音だけが確かに響いていた。
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「……また固まった。おい、誰だよ、こっちのサーバにでかいデータ投げたの。」
「真夜先輩です!理都子局長に頼まれて――」
「また理都子局長か……。こっちはメモリが持たねぇんだよ……っ」
情報技術部。
通称「電脳班」。
三人の女性――真夜、真琴、舞香が、
机を囲んでターミナルに向かっている。
真夜はモニターを睨みつけながら早口で呟く。
「これ……衛破ゼロ号機の演算ログ、容量オーバーです。
あと二時間で落ちます」
隣の真琴が眼鏡を押し上げ、淡々と返す。
「マギアのアルケーが異常行動を始めてますね。
人間で言うと“ストレス過多”状態です」
黙々と作業を続けていた舞香が、
USBデバイスを抜き取りながら小さく言った。
「……でも、止めたら……理都子さん、怒る」
「怒るどころか、“何故止めたの”って理論で詰められるぞ……」
三人の顔に、同時に苦笑が浮かんだ。
それが玄理研の“日常”だった。
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午前九時、営業会議室。
壁際のホワイトボードには、手書きの文字が乱雑に並ぶ。
【売上推移:前年同期比 -12%】
【人員配置:営業4名 → 3名】
【新規案件:停滞】
その数字を見て、部屋の空気が重くなる。
「……沈んでるわねぇ、みんな。」
明るい声が響いた。
営業部長・美郷。
短く切った髪にワインレッドのジャケット。
いつも手に缶コーヒー。
彼女は資料を机に叩きつけるように置いた。
「売れないって愚痴る前に、現場に行きなさい!
机の前で数字眺めてるだけじゃ、お客様の呼吸も見えないのよ!」
部屋の隅で新入社員の真司がビクッと肩をすくめる。
「え、えっと……僕、昨日訪問したんですけど……。
あの、サーバ障害の件で――」
「言い訳しないっ!」
「は、はいっ!」
美郷は一瞬で立ち上がり、真司の机の前に来た。
「真司、あなたの誠実さはいい。でも、“結果”を出すのが営業なの。
AIだってデータだけで動いてるわけじゃないのよ。
人の想いと数字、両方を動かして初めて“成果”になるの。」
真司は頭を下げた。
「……はい、わかりました」
そんな彼を見て、後ろから別の声が飛ぶ。
「気にしなくていいわよ、新人くん。うちの部長、叱るときは本気だから。」
声の主は、営業部員・飛鳥。
鮮やかなオレンジの髪、軽口、明るい笑顔。
真司の同期で、対照的なタイプだった。
「でもまあ、部長の言う通りだよね。
数字が落ちてるのは、現場の“やる気指数”が下がってるせいだと思う。
やる気って、Excelで可視化できるのかな?」
「……飛鳥さん、Excelでやる気は……難しいかと……」
「ふふ、冗談よ。けど理都子さんなら、マジでやりかねないわね」
会議室に笑いが起きた。
だが、それはほんの一瞬。
沈んだ空気を誤魔化すための小さな笑いだった。
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午前十時。
理都子の執務室。
壁一面に並ぶホロスクリーンには、無数のコードが流れている。
机の上には数百ページに及ぶ技術資料、そして一枚の紙――
「衛破ゼロ号機 テストレポート」
理都子は静かに読み上げた。
「演算処理率 98.7%。応答時間平均1.2秒短縮……。
だが、まだ“不安定”ね。」
ドアがノックされる。
「理都子局長、営業部の真司です」
「入りなさい」
真司が恐る恐る顔を出した。
「報告書をお持ちしました。昨日のお客様対応分です」
理都子は彼を一瞥し、軽く頷いた。
「ありがとう。……あなた、Excel使うの得意?」
「え? あ、いえ、普通だと思いますけど……」
「普通では足りないわ。
“使う”のと“活かす”のは違う。
あなたの報告書、構成は良いけれど、再利用性がないの。
来週から、私の補助に入りなさい」
「えっ、ぼ、僕がですか!?」
「はい。衛破ゼロ号機のログ整形を担当してもらう。
営業部の新人だからこそ、現場の視点でデータを見てほしいの」
真司は固まった。
理都子は眼鏡の奥で淡く笑った。
「怖がらないで。数字は嘘をつかないけれど、
見る人の目が曇れば、意味を失う。あなたには“素直な目”があるわ。」
彼女の声は冷静で、どこか温かかった。
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午後三時。
社長室。
冬月顧問が静かに書類をめくっていた。
その前で、玄道社長が窓の外を見つめている。
鈍色の雲、低い陽射し。
「……経営指標、限界だな」
冬月の言葉に、玄道はうなずく。
「分かっている。だが、“数字”を見つめすぎると、目が曇る。」
「理都子君は、衛破を完成させるつもりだ」
「それが、我々の“夢”だ。
AIが人を支配するのではなく、人を支える世界。」
「だが、夢だけでは金は回らん。
美郷君の営業、真司君たちの現場――その努力も限界に近い」
玄道はしばし黙り、机の上の小さなファイルを指で叩いた。
「……冬月。彼らに、新しい目標を示そう。
理都子の理論、美郷の現場力、真司の誠実さ。
それらを一つにする“補完計画”を立ち上げる。」
冬月が目を細める。
「例の“1秒時短計画”か。」
「そうだ。
この時代、巨大AIが世界を動かす。
だが、人の1秒を軽んじる者に、未来はない。」
玄道はゆっくりと立ち上がった。
「我々は、1秒の価値で世界を取り戻す。」
その声は、静かで、確信に満ちていた。
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(第3節 終)
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次の 第4節「真司の視点」 では、
物語のカメラを完全に“新人・真司”の視点に切り替え、
玄理研の日常、AI開発現場の苦労、
そして「1秒時短計画」との初めての出会いを描きます。




