エルカトレア王国の息吹
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タンッ、タンッ、タンッ──。
薄暗い塔の中。
湿った空気がじっとりとまとわりつく薄暗い見張り台の螺旋階段。
乱れた呼吸。
肺が痛いほど空気を求めるのを無視して、不安から逃げるようにして一段、また一段と駆け上がっていく。
鉛のような足。
心臓が激しく鼓動するのを感じながら、金属の輪になっているドアノブが手のひらにひんやりと収まる感覚を確かめる。
ドアが軋む音。
強く握りしめて少女はドアを身体で押し開けた。
目が眩む。
いきなり開けた視界に、どこまでも続く地平線。
その眼下に広がる炎の海。
波のように炎はうねり、悪魔の手のように建物を蹂躙していく。
熱さにひりつく肌。
少女はその光景に唖然として立ちすくんだ。
「うそ…………」
左側の王宮、右側の別館は炎に包まれている。
その間の通路脇にある丁寧に手入れされた草花や、その奥の豆粒に見える庭園。
色彩豊かだった花は、庭園中、朱色の炎鳥が飛び回るように燃え上がっている。
炎で息苦しい。
空気に乗って焦げた臭いが辺りに舞い上がり、鼻の奥にこびりつく。眉間に皺を寄せて霞がかった白煙で染みた目を重たく閉じる。
絶望。
そこへ、ドアの軋む音とともに現れた鎧の巨体の姿に、希望を抱く青紫色の瞳を向けた。
こちらに迷いもなく走ってその口から零れ落ちる異国の言葉。
私の目から光が消え、“敵”だと分かった。
だが、もう遅かった──。
* * *
「クラリスお姉さま、もっと品の良いドレスを着てくださらないかしら。カスティールの名に恥じますわ」
イザベラは座っている私の横ににじり寄ると冷たい視線で見下ろしながら、悠然と開いた扇で口元を隠した。
そして部屋の奥に座っている彼女の母親──私からすれば継母を一瞥した。
不自然なほど白く塗られた肌は白々しく、口元に添えられた赤い紅はべったりとつけられている。ほくそ笑む口元が、はっきり見える。
幼き頃の記憶には、すでに継母とイザベラがいた。多忙な父の不在もあり、私の存在をないもののように扱っていた。
意地悪な継母が出てくる物語を読んだことがあったので、そういうものかと妙に納得をしていた。
この嫌がらせが加速したのは、イザベラが社交界デビューした頃。
私は取り合わないようにしていた。
最初はただ睨みつけられただけだった。
次は嫌味の独り言。耳の奥にざらつく言葉。
しかしイザベラの豪華なドレスと対比して、みすぼらしくなる私。
それでも、私は第三王子─レオニス・アルタリアの婚約者なので、継母もイザベラも思い切ったことはしない。
しかし、喉の奥に引っかかった小骨のように毎日地味な嫌味を言われる始末。
イザベラへ溜飲を下せればどんなにいいかと思い巡らせていたが、それにも疲れた。
もう少しすればレオニスとの結婚が決まるはず。
私は本を抱えて重たい足取りで部屋へと帰ってくると、その希望だけを胸に目の前の書物のページを無心でめくった。
* * *
久しぶりの王宮でのレオニスとのお茶会。
失礼にならない程度に着飾るのに、イザベラからドレスと髪飾りを借りるしかなかった。
金糸のように繊細な光を放つ短髪の下にある琥珀色の瞳にどう映るのか気になり、私はしきりにティーカップに口を付けている。
上目遣いでレオニスの顔色を伺う。
私たちは当たり障りのない話から始めた。
しかし、少しずつ遅れるレオニスの相槌に、不思議に思い、レオニスの様子をじっと見る。
どことなく顔色が悪く、考え事をしているのか視線が合わない。
「あの、レオニス様お加減が良くないのではないでしょうか? 早めに切り上げたほうが良さそうですわ」
「いや……はぁ、君にいらぬ心配をかけてしまったな。でも、将来は王位につけるよう努力するから」
「今でも十分頑張りすぎですわ。私はレオニス様が王位と関係なくやりたいことをしてくださるのが一番だと思っておりますわ」
私の本心だった。
王族で王位継承権を持つ者なら誰もが目指すのかもしれないが、道はそれだけではないのではないか。
甘いと言われるかもしれないが、私はそう思っていた。
レオニスの心配をしている自分がなんて呑気なのだろうと気がつくのに時間は要らなかった。
* * *
朝から屋敷は騒がしかった。
理由もわからず食堂へ向かうと、廊下でイザベラに出くわした。
それはさぞかし嬉しそうな表情だった。
だが、その笑みにはねっとりとした悪意が滲んでいた。
すぐに私は何かをされたのだと気がついて、身を固くした。
「あらぁ、お姉様。今日が最後になるなんて思いませんでしたわ。どうぞお元気で」
言葉とは裏腹に弾んだ声のイザベラは何度も私の肩を叩くと、愉快そうに笑って行ってしまった。
その奥にいた継母もイザベラと同じような顔をしていた。
そのすぐ後に、王城に呼ばれていることを聞き、自室に戻って支度を始めた。
* * *
私は支度ができるとすぐに父と馬車に乗り込んだ。
私は何が起きているのか全然わからなかった。
父は私に頭を下げた。
「すまない」
何がすまないで、何が起こっているのか。
私は眉間に皺を寄せるしかなかった。
「お父様、全部話してくださいますか?」
「実は、お前の出自についてだが──」
父は揺られる馬車の中で、おでこをしきりにハンカチで拭いている。
私の瞳は澄んだ青紫色で父である公爵の瞳は深いオリーブ色だった。
記憶にも残らない母の姿。
その浮いた存在が、私を公爵家の除け者にする。
その自分の血筋こそが今回の原因となっているなら、私は知らなければならない。
「二十年前⋯⋯」
強い意思を宿す私の目に父も観念したのか、重たい口はようやく開かれた。
* * *
時は二十年前まで遡る。
我が国・アルタリアはエルカトレア王国と激戦中であった。
戦況はアルタリア側が圧倒的に優勢。
エルカトレアの首都を取り囲むように集まるアルタリア軍。
エルカトレアは観念したのか城に炎を放って王族自ら滅亡を図った。
火の手は首都全体に広がりアルタリア軍も引き揚げるほか、選択肢は残されていなかった。
炎から逃げるようにして首都から離れていくアルタリア軍。
その軍の中には、カスティール公爵家に仕えていた執事の息子・ジャステインの姿があった。
火の粉を手で払い除けながら、城からの脱出ルートを探して後ろを振り返る。
すると奥に見えた見張り塔の上の銀髪の後ろ姿を目で捉えると、我を忘れて走り出した。
ジャステインは見張り塔の上へと駆け上がると、その銀髪少女に声をかけた。
「あなたはエルカトレアの王女ではありませんか?」
今にも見張り塔から落ちてしまいそうな彼女に近寄る。
目を見開いた彼女は幽霊のように顔を青白くさせた。言葉が通じないようで、説明してもどの言葉にも反応しない。
ジャステインは一か八かやけになっていた。
「やってみるしかないか」
剣を取り出すと、彼女から短い悲鳴が上がった。
ジャステインはその場に膝を付くと、騎士の誓いのポーズを取った。
「……」
下を向いたままのジャステインに短い言葉が降ってくる。
「アナタ……シンジル」
カタコトの言葉。
ジャステインが慌てて顔を上げると、少女は両手をぎゅっと握って、震えながら何度も頷いている。
ジャステインはその様子を見て、すぐさま鎧を取って服を脱ぎ始めた。
その様子を見た少女は顔を真っ赤にして、視線の拠り所を必死で探していた。
鎧を着直したジャステインは、自分の着ていた粗末な麻の上下を少女に差し出した。
少女の着ているワンピースよりはいいだろう。
彼女が“王女”であることを悟られては、いけない。
彼女は長すぎる袖を何度もめくっているので、ジャステインは裾と袖を引き千切る。
なんとか動けるようになると二人は王家に伝わる秘密の通路を目指した。
それから半年が経ったある日──。
当時の公爵であったギルバートの元に一通の手紙が来る。
差出人はジャステイン。
ギルバートが会いに行くと、そこには少女が一人。
ジャステインは亡くなったようだ。
エルカトレアとの戦争で受けた傷が悪化したようだ。
少女はジャステインから遺された手紙をギルバートに渡す。
そこには目の前の少女について書かれていた。
エルカトレア第一王女アリアルテ・エルデ・エルカトレア。
彼女の出自はすぐに伏せられ、買い取った身分を使って別人になりすまして、暮らすことになった。やがてギルバートは彼女を伴侶として迎えた。
エルカトレア王国の女系に受け継がれる青紫色の瞳。
それを知る者は今は誰もいない。
* * *
父の手には故ギルバートの手記。
それを握りしめる手は震えている。
「クラリス⋯⋯君は彼女の娘だ。ギルバートから託されたのだ」
血の気のない唇を動かし、父は私に「逃げなさい」と伝えた。
この国にとって敗戦国の王族を匿うのは大罪。
もしこの話が明るみに出れば、私は王城へ連れて行かれる。
そして生涯幽閉される可能性もある。
もしかするとそれよりももっと酷いことも……。
「私を逃がしては、お父様が危うくなるかもしれませんわ」
「最後だけでも、ギルバートからクラリスを託された役目を全うしたい。アジューラとイザベラの度重なる嫌がらせから護ってやれなかったこと、本当に済まないと思っている」
馬車は大きな分岐点に差しかった。
右へ行けば王都。
左へ行けば港。
父は左へ行くよう従者に指示をした。
そして私の手に握らせたのは硬貨の入った麻袋と船のチケット。
行き先は中立国のスウェルダン。
これからは公爵令嬢ではいられない。
この時、今の人生が終わることを強く感じた。
多くの船が見える港の喧騒から少し外れた場所で馬車から降りると、父と別れる。
「クラリスの人生に光があらんことを願っている」
「お父様もどうかお元気で」
背中に当たる大きな手のひらに感傷に浸りそうになる心を引きはがす。そして代わりに記憶にはない故ギルバート公爵に思いを馳せた。
そして、徐々に小さくなっていく馬車の姿を名残惜しそうに見送ると、船着き場へと視線を動かす。
すると船の乗降で荷物を持ったたくさんの人たちが目の前を通り過ぎていった。
楽しそうな家族、仕事へ行く青年。穏やかな老夫婦などが目的地へ一様に顔を向けていた。
船のチケットを呆然と眺めて行き先の船を探す。
「オスターラ行きの船はまもなく出発です」
ふいに聞こえるその言葉に顔を上げた。
「オスターラ! すみません、エルカトレアのセロージュ港には寄りますか?」
航路では、ここ、アルタリア国のクリーブロインからオスターラ国へ行く途中にエルカトレアがある。
セロージュ港はエルカトレアで一番大きい港なので、寄らないはずがない。
“エルカトレア”と聞いた途端、蝿を追い払うように手を横に何度振り、船員は顔を歪めた。
「エルカトレアはやめておきな。今はどの船でも行けない。まぁ、その手前のユスダリアのサウロ港には寄るが……」
(エルカトレア王国へ行かないと。今の王国を見届けるのも私の役目だわ)
周りを確認したあと、視線を船のチケットへと戻す。
スウェルダンへ行けば、貧しくとも平民としてなんとかやって行ける。
船のチケットを持つ手を下ろして、目の前の船を意味ありげに見つめる。
エルカトレアへ向かえば、お金もないしどこへ辿り着けるか分からないわ。
平坦な道か、それとも茨の道か──。
「お嬢ちゃん、スウェルダン行きならこんなちっぽけな船じゃねえ。一番奥の大きな客船に向かいな」
「……サウロ港へは幾らで行けますか?」
驚いて顔を上げた船員と私はしばし顔を突き合わせた。先に視線を外したのは船員の方だった。
短く息を吐くと、口を緩めた。
「……訳ありか。分かった。あそこの建物の一階でチケットを売っている。そのチケットはキャンセル扱いで返金してもらって、一番早いオスターラ行きのチケットを買ってくれ。お釣りはたんまり返ってくるはずだ。お嬢ちゃんが戻って来るまで、俺はここで待っている」
気の利いた船員のおかげで、サウロ行きの船に乗り込んだ。
私のたった一つの心残りはレオニス様にちゃんと挨拶が出来なかったこと。
幼い頃から気に掛けてくれた優しい人。
レオニス様の隣に立ちたくて苦しいと感じたマナーも貴族特有の規則も身体に叩き込ませた。
私の人生の中で唯一ほっと出来る場所だった。
思い返すと胸の中はあなたのことばかり。
私はレオニスのことを愛していたのだ。
それは優しくも穏やかな愛だった。
お互いに気遣い慈しみ合い、手を取り合っていきたかった。
船の下をうねる白波に紛れ込ませるようにその想いを流した。
そして突然思い出した母の子守唄を風と共に舞うように歌う。
その時、身体の奥で何かが熱くなった気がした。
無事にユスダリアのサウロ港へ着いた。
港には十隻ほどしか船もない小さな港町。
そこから一ヶ月ほど時間をかけてエルカトレアへ降り立った。
初めて来た土地のはずなのにどこか懐かしい雰囲気を感じる。
国全体には大きな結界が張られていた。
半透明にも見える結界にそっと手を伸ばすと水の帯のように手は中へと入っていった。
* * *
エルカトレア国内に入ると、ところどころ燃えている。
私の足はどこかへ向かっていた。
まるで自分の足ではない様な感覚。だが、向かう先を知っているかのようだった。
城壁に残された塔の螺旋階段を登ると、私は扉を開けた。
熱い炎の温度が風と一緒に肺に流れ込んでくる。
塔には先客がいた。
「どうしてクラリスがここに?」
その声の持ち主はレオニスだった。
ひどく驚いているようで虹彩をきゅっと小さくしながら目を見開いて、こちらを見ている。
「レオニス様こそ、どうしてエルカトレアにいらっしゃるのですか?」
おそらく私も同じ顔をしているのでしょう。
エルカトレアの結界内にいたのは、レオニスと私だけだった。
私は走馬灯のように目の前に広がる景色を追って来た。
王城の外と内を結ぶ王家の秘密の通路。
私は王城の中へと入ると黒い炎をなんとか避けながら、見張り塔を登ったのだった。
私は目の前に広がる黒い荒波のような炎を見つめている。
「かつてのエルカトレアの王城では、我が国との敗戦直後にこの“地獄の業火”と呼ばれる呪いの炎を残していった」
二十年前、母もここから同じ景色を見たのだろうか。
「私は第三王子だから、大きな功績でもない限り王位は継げない。だから功績を求め、自ら王に調査を願い出た。こんなに大変なことだとは思いもしなかったけどね。でもこれは自分のできることをやりに来ただけなんだ」
今はレオニスの広域結界で呪いの炎はエルカトレア国内になんとか留まっている。
「これも長くは持つまい」
私はレオニスの服に皺が入り、裾が汚れていることに気がついた。
ひどく疲れを溜めた下まぶたから長い間、レオニスがここで一人炎と闘っていたことが分かる。
やっと会えた最愛の人がこの地で燃え尽きようとしている。
「レオニス様、私の告白を聞いてもらえますか?」
私の目には少しの迷いはなかった。
エルカトレア王国とアルタリア王国の激戦、それから母の出自。
王城に呼ばれた日、姿を消した私。
それからここへやってきたこと。
そのすべてが青紫色の瞳に繋がる。
「レオニス様、私はあなたのことをお慕いしてまいりました。そしてこれからもずっと」
私は黒い炎を見つめ、心を決める。
見張り塔の外壁によじ登り、体勢を整える。
足先で蹴られた外壁の欠片はあっけなく下へと落ちて黒い炎の中へ呑み込まれていった。
「クラリス、やめてくれ……君を失いたくない」
狼狽したレオニスの声が背中に投げかけられる。その声を聞くのは最後になるのかもしれない。
業火の揺らぎに風が起こる。
熱くはない。
しかし少しでも絡め取られれば、飲み込まれそうな地獄の入口。
私がこの業火に身を投げ入れてどうにかなるなら──。
そこへ身体の底から何かが沸き立ってくる。
その魂を押してくれるのは母だろうか。
それとも女系の先祖様たちだろうか。
「私はエルカトレア王家の末裔。
ここにエルカトレアの息吹をもたらす!」
記憶の奥底に眠った母の子守唄。
優しい音色をそっと口から紡ぎ出す。
音色に乗った想いは一つ、また一つと重なっていく。
母なる大地から湧き立つ風が私の音色を空へとそっと巻き上げる。
私の青紫色の瞳は力を宿し、だんだんと目の前に集まるエルカトレアの息吹。
黒い炎を全て包み込むように、私の音色はさらに続く。
柔らかな陽だまりのような温かみのある光がその風に乗ってエルカトレアの大地を優しく撫でていく。
その黒い炎を慰めるように光と風が大きく包み込みエルカトレア全体が光に包まれた。
かつての伝記に書かれた『エルカトレアの息吹』は黒い炎を飲み込んで、生命をもたらす。
エルカトレアから黒い炎が消えた。
* * *
アスタリア城・王の間──。
王の御前に現れたのはレオニスと私だった。
通常よりも倍の警備兵を配置させていた。
レオニスは第三王子。
王位継承権を持つと言っても、第一王子と第二王子は人望も厚く、将来有望とされている。
そこでレオニスは王位継承権を辞退した。
その代わりにエルカトレア王国の再建に名乗りを上げた。
王は黒い炎が国中に溢れている旧エルカトレア王国をレオニスに押し付けられると考えて、すぐに了承した。
そして敗戦国のエルカトレアの唯一の直系であった私をエルカトレア王国に連れて行くことも二つ返事だった。
王の側近が耳打ちした。
『王様、本来なら大罪に処すか生涯幽閉とするものです。本当に捕らえなくてもよいのですか?』
『黒い炎に覆われた死の土地へ送れば、生かしたまま国外追放できる。しかもエルカトレアの血筋を持つ者がそこで死ねば、後顧の憂いも断てる』
王は表情を変えずに側近にそう伝えた。
レオニスはそのまま書類を作成し、王から調印された。
王は黒い炎が消えたことを知らない。
王城から馬車に乗ると私は我慢できずに聞いた。
「レオニス様、本当に良いのですか?」
私は心配そうな表情を浮かべレオニスに問う。
「私にはやりたいことができた。クラリス、ついてきてくれるか?」
私はレオニスのやりたいことを聞くと、身体中が熱くなった。
この人とならこの先もやっていける。
そう心から確信した。
「私こそやりたかったことです」
「私はもう王子ではなくなるのだぞ?」
「それを言うなら私もただの人です」
レオニスは手のひらほどの大きさの箱を私に渡した。
「実は一年前から用意していたが、こんな形で渡すことになるなんて」
開けてみると鮮やかな赤、最高級のピジョンブラッドの巨塊のルビーのネックレス。
「素晴らしいルビーのネックレスだわ」
「何かあったら売って財産にでもしてほしい」
私は何も言えず口を閉じてしまったが、この先、ルビーを売ることになるのは、他の選択肢のすべてがなくなったときだろうと確信した。
レオニスは自分に信頼を寄せる側近や使用人を引き連れてエルカトレアに向かった。
王子ではなくなったレオニスと敗戦国の王女。
二人の肩書きは何の意味もなさなかった。
再建と言っても、黒い炎が消えただけで黒い大地には、何も生えていない。
燃えきって煤けた城壁しか残らない。
「本当に何もないのね⋯⋯」
「それでも君がここにいる」
「私とレオニス様。それからこの土地の繁栄を願う人たちがいるわ」
今は何もない。だが、ここに私とレオニス、それに付いてきてくれた者もいる。
「皆の者、エルカトレア王国に来てくれて感謝する。ここに広がっていた黒い炎は消えた。なぜならここにいるクラリスはエルカトレア王国第一王女アリアルテ・エルデ・エルカトレアの実娘であるクラリス・アルト・エルカトレアなのだ。彼女と共に必ずや王国を再建しよう」
私は笑みを浮かべていた。
それなのに目からは大きな涙が零れていた。
嬉しかった。
何もかも失った人生だと思っていたが、隣には強い味方がいた。
そう感じると身体が熱くなり、中から何かがせり上がってくる。
レオニスは私の肩を強く抱いた。
それを見た者たちは大きく頷いた。
それから私とレオニスはエルカトレアの国中を回った。
土は焦土と化し、どこまでも焼けた大地が広がっている。
私は土で汚れるのを構うことなく跪くと祈りを捧げた。
行くところの先々で祈りを捧げて回る。
生活はほそぼそとしたものだった。
他国の王族とは思えないほど質素な生活に平民の生活かと勘違いするほどだった。
「今日もくたくたね。でも悪くはないわ」
「クラリス、私もそう思う」
小屋のように質素な家にはリビングと一部屋しかなかった。
「失礼します。レオニス様、井戸からまだ水が出ません」
「私が行こう」
「私も行きますわ」
その一時間後、井戸から水が出てきたことに皆で歓喜の声を上げた。
夜に小さな蝋燭を囲み私はおどけた。
「レオニス、知ってる? 私はお屋敷で飾り立てられた令嬢ではなかったわ。継母にイザベラ、それからその侍女たちの扱いは貴族のそれではなかった。でもそれがこんなところで役に立つなんて、感謝したいくらいだわ」
「それは丁重にもてなさないとな。濾過した水なら飲んでくれるかな? 黒い炎と対峙していた時は、温かな寝床もなかった。炎で熱かったけどね」
私はレオニスの手を強く握った。
二人にそれ以上の言葉はいらなかった。
そんな彼らにある者はついてきたし、ある者は出稼ぎに出て生活を支えた。
父も私たちを支援し、物資を送ってくれた。
レオニスに賛同した第二王子を筆頭とする一部の王族と貴族も支援した。
しかしそれはほんの僅かだった。
最初の三年間は国の中で収穫が何もなかった。
「いつかは報われるかと思うけれど⋯⋯踏ん張るしかないわね」
「この生活は必ず終わる。共に進もう」
二人は少しやつれた顔をしていたが、目には光を宿していた。
「ここに緑を生やして、民が笑い、安全で豊かな国ができるかもしれない。それまで私たちについてきて」
「クラリス様とレオニス様が大変な思いをされているのは存じております。私たちはいつまでもついて行きます!」
「皆の者、感謝する」
その次の年に初めて小さな芽が出てきた。
「私たちの希望が形になったわ」
「やっとだな。いや、これから始まるんだ」
「嬉しい⋯⋯本当に嬉しい⋯⋯」
私は涙を目に浮かべた。その隣にはレオニスがいた。
初めて収穫した小麦は豊穣の神に捧げられた。
その小麦を挽いた粉に、井戸から汲んだ水を加えて作られた初めてのパン。
お世辞にも柔らかく美味しいとは言えないほど質素なパンだった。
その一つ目のパンをレオニスは真っ先に私に渡してきた。
「まずはクラリスに食べてほしい」
そっとパンを受け取る。
とても温かい。
ところどころ焦げ目がついたパンを私は何度も美味しいと零しながら、かじりついた。
このパンの話はその後も数え切れないほど、二人の会話に何度も出てくることになる。
その年、ようやく戴冠式が執り行われた。
私の頭上に輝く王冠には、以前レオニスから贈られたルビーが中央に飾られている。
「本当にこの王冠で良かったのかい?」
「これじゃなければいけないわ。だって、何も持たずにここへ来た私が、最後まで手放さなかったものだから。そしてあなたが隣にいてくれる証だから」
炎のように赤く燃え上がるルビーは私の心の象徴のように見えた。
エルカトレアも二十年の月日をかけて、大きく繁栄することになる。
エルカトレア王国の直系にしか引き継がれない不思議な力もあり、大地には緑が溢れ、王国は息を吹き返した。
エルカトレアは奇跡の土地として世界中で有名になり、人々の希望となった。
ある者は何年もかけてエルカトレアを目指し、ある者は鞄に全財産を持ってエルカトレアを目指した。
この国の中心にいるのは女王のクラリス。
人々から深い信頼を寄せられる存在だった。
その横には必ずレオニスがいた。
再建してしばらくした頃、祖国のアルタリアと同盟を結んだ。
それは対等な立場だった。
その治世には幾度も困難が訪れた。
それでも国が再び滅びることはなかった。
私は一人ではなかった。
レオニスはずっと私を支え続けたのだった。
それから国の再建に力を尽くしてくれた人々も。
エルカトレアには王城の近くに丘がある。
そこは聖なる丘と呼ばれている。
かつての王城の城壁の西塔があったところだ。
母から娘へ、娘からその子へ。命を繋いでいく。
そこには青紫の野花が数え切れないほど咲いていた。
ザ・ファンタジーを意識したいつもの大好きな主人公が強く進んでいくお話になっていたらいいなと書きました。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
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