7 後宮冥妃は、冷骸陛下を死なせたくない(完結)
けれどもそれは口にしない。緋央の眼前に、刺客の剣が振り下ろされたからだ。
「――……」
きいんと高い音が鳴り、その剣を弾く。緋央は剣を翻し、その柄をみぞおちに叩き込んだ。
「ぐ……っ!」
刺客のひとりが失神し、どさりと倒れる。凄まじく腕が立つようだが、指の痺れがあるこの状況でも対処できない敵ではない。
けれども緋央は、自分自身の行動に無言で驚いていた。
「……驚きましたね」
計算外だとでも言わんばかりに、刺客が目を眇める。
「あなたが後宮に通わなくなってから、食事には動きを鈍らせるための薬を少しずつ混ぜていたはずです。それが効いており……何よりも怪しいはずの食事を黙って口にしていた時点で、あなたはやはり暗殺を受け入れていらっしゃるはず」
「……」
「それなのに何故、反撃を? ……その、痺れているはずの手で……」
数人の刺客が同時に襲ってきて、緋央は再び剣を振るった。
この男の言う通り、指先の動きが精彩を欠いている。いくつも剣戟の音が散る中、切先を繰る動きも、剣捌きもいつもより鈍い。
「生きることに執着がないのでしょう? 死んでいいと思っているんでしょう! 我々のように、明日を生きるにも死に物狂いの下僕として育ったのとは違う、豊かで恵まれた身の上にありながら……!!」
よく喋る男の重い一撃を、なんとか防いだものの顔を顰める。この男の言うことは、なにひとつ間違っていないはずだ。
(生きたいと願ったことはなかった。己の死期がいつだろうと、心底どうでもいいと口にしたはずだ)
それなのに、どうしても彼女の笑顔が浮かぶ。
『……緋央さま!』
「……っ」
顔を顰めて表情を崩し、渾身の力で振り払う。バランスを崩した刺客が後ろに飛び、後宮側の壁に叩き付けられた。
その隙に別の刺客が斬りかかってくる。それを弾き、顔面に回し蹴りを叩き込んで倒す。
壁の向こうに彼女がいることを思うと、刺客の命を奪う気にどうしてもなれない。そのことが却って戦いにくく、少しずつ追い詰められている。
(くそ)
手の痺れを忌々しく思うことも、ひと月前なら有り得ないはずだった。最後のひとりになったその刺客が荒い息をつきながら、壁を背にして立ち上がる。
「どうして、足掻くのです……」
「……うるさい」
「あなたは死んでも構わない存在だ。自分のことを、そう思っていたくせに……」
「うるさい。……わかっている……!」
戦っていて息が上がるのは久し振りだった。顎に伝う汗が不快だが、拭う余裕はない。
「お前は今日、ここで死ぬ……!!」
「――――……っ」
刺客が剣を握り直したとき、痺れの増した緋央の腕から力が抜けた。
剣を取り落としそうになった、そのときだ。
「――いいえ!」
「!!」
後宮までを隔てる塀から、聞いたことのある声がした。
「緋央さまの死期は、たったいま変わりました!」
緋央は上を見上げ、息を呑む。
「それは今日ではない、遠い未来……!」
よく見れば壁の上に彫り込まれた飾りの突起に、何やら縄が掛かっていた。
「緋央さまが生きたいと、そう願ってくださった証です!」
「――朱華!」
瞳を紫色に輝かせ、赤い衣を纏った天女のような少女が、迷わずにそこから飛び降りる。
「受け止めてください、緋央さま!」
「っ、この馬鹿……!」
けれども彼女の『我が儘』は、これ以上ない原動力だった。
ぐっと剣を握り込んだ緋央は、朱華の出現に動揺している刺客に向かって真っ直ぐに駆ける。
「何故!! どこに、そんな力が……っ」
「いいから、退け!!」
こんな大声を出したことは、人生でこれが初めてだった。刺客を斬り払った緋央は足を止めず、そのまますぐ目の前に朱華へと手を伸ばす。
「……っ!」
そうして強く、これ以上にない力で朱華を抱きしめた。
「緋央さま!」
同じく強い力を持って、朱華が緋央に抱き着いた。彼女を死なせずに済んだことを確かめて、緋央は大きく息を吐く。
「なんという無茶を……間に合わなければ、お前こそ死んでいたぞ」
「緋央さまはやさしいお方です。ご自身の食事を面倒くさがっても、私のご飯を用意する指示はてきぱきとなさっていたでしょう? 自分が死なないためよりも、他人を死なせないための方が、力を発揮なさるかと思って……」
誰にでもやさしい訳ではない。それを反論する余裕はなかったので、朱華を抱きしめたまま息を吐き出すに留めた。
けれども彼女の手が、緋央の頬に触れる。
それに促されて少しだけ体を離すと、緋央の顔を覗き込んだ朱華が、嬉しそうに笑った。
「願ってくださったのですね。緋央さま」
「…………」
生きたい、と。
緋央がそう願うことを、朱華はこれほどに喜んでくれるのだ。
「あの壁の向こう側で、お話は全部聞こえてました。ご両親やお兄さまたちが亡くなられたのは、悪い人たちに殺されてしまったからで……それは、緋央さまの所為ではありません」
「……」
「緋央さまは、死を呼ぶ存在なんかじゃないんです。……だから」
美しい彼女の瞳が潤み、泣きそうな声がこう言った。
「少しずつてもいいから。……あなたが生きていることを、あなたご自身が許してあげてください……」
「……」
そうして両目から零れた涙が、宝石のように美しかった。
緋央はそのまなじりに口付けて、彼女がもう泣かずに済むように祈る。
「ひ、緋央さま?」
「お前の存在だ」
彼女を抱き締めて髪を撫で、その耳元で告げる。
「お前がこうして腕の中にいてくれるだけで。……これまで生きていてよかったと、そう思う」
「……!!」
そう告げた瞬間に、朱華の瞳からいくつも涙が零れる。
「お前は本当によく泣くな」
「だ……っ、誰のせいだと思っているんですかあ……!!」
「そうだな、すべて俺が悪い。……生涯をかけて償うから、俺が死ぬまで傍にいてくれるか?」
心からの愛おしさを込めて懇願すれば、朱華の顔が一気に赤くなった。
耳まで染まった顔が愛らしくて、この顔を見るために死ななかったのだと、そんな気にすらなってしまう。
「よ……よろしいんですか?」
朱華はぐしぐしと両目を拭いながら、照れ隠しのようにこう続けた。
「緋央さまの死期、ずーっと先まで伸びましたからね! ちなみに私の死期もとっても先ですから、陛下が想像しているよりも長いあいだ私と一緒ですよ? 飽きちゃって、退屈になるかも……」
「恐らくお前に飽きることはないな。退屈などと、そんな心配は露ほどもしていない」
その髪を指に絡め、緋央はわざと意地悪く問う。
「生きることの楽しさは、お前が教え続けてくれるんだろう?」
「……!」
こんな風に揶揄っては、拗ねられてしまうだろうか。
ほんの僅かに危惧したが、懸念に終わった。朱華は心から嬉しそうな顔で、「はい!」と微笑んで飛び付いてきたのだ。
***
妃を守るために生きる覚悟をした緋央は、その武才と物事の先を見通す聡明さによって、国を栄させたという。そして傍らの妃は、そんな夫をよく支えた。
いつも冷たい表情をした皇帝が、妃と子供たちの前ではとても穏やかに笑うことを知る者は、それほど多くはなかったという。
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おしまい
お話はここで完結となります! 読んでくださり、ありがとうございました!
本作は元々、コミックアンソロジーの原作として、小説形式で提出させていただいた物語となります。
咲宮いろは先生が麗しい作画と最高の構成で漫画にしてくださっているので、まだの方は是非!絶対!ご覧くださいませ!!
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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