表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/7

5 あなたに生きてほしいのです

「……緋央(ひおう)さま……?」

「正妃としての契りも破却とし、今をもって白紙だ。俺はもう後宮に来ない」


 そうして形のいいくちびるは、朱華(しゅか)の最も聞きたくなかった言葉を紡ぐのだ。


「もう二度と、死ぬまでな」

「……っ!!」


 その瞬間、身体中の血が凍りついたかのような心地になった。


「今日はそれだけを伝えに後宮に来た。……もう戻る」

「……緋央(ひおう)、さま」

「それと」


 振り返った緋央(ひおう)は、冷たいまなざしのままこう続ける。


「案ずるなら俺ではなく、自分の身を先にすることだ」

「…………」


 後に取り残された朱華(しゅか)は、しばらくそのまま呆然と、渡り廊下に座り込んでいた。


***


 緋央(ひおう)の死期まで残り三日。


 後宮でひとりぼっちの朱華(しゅか)は、半ば呆然としながら庭を見つめていた。


(……緋央(ひおう)さま、今日は何をして過ごしていらっしゃるのかなあ……)


 朱華(しゅか)が手元に広げた巻物は、数日前に緋央(ひおう)に読ませてあげた本だ。

 朱華(しゅか)にとってはとうの昔に読み終えた物語なのに、緋央(ひおう)が読んでいた物語だと思うと、ついまた読み返したくなったのである。


(あれから緋央(ひおう)さまは、一度も後宮にお見えにならない。けれど)


 朱華(しゅか)がちらりと一瞥したのは、自分の元に運ばれてきた今日の朝餉だ。


(私のところに運ばれてくるご飯は、いままでの水みたいなお粥だけじゃなくて、緋央(ひおう)さまが手配してくれたご飯……)


 あのときの緋央(ひおう)は、まるで朱華(しゅか)のことが邪魔で嫌いになったかのように冷たい振る舞いだった。


『――俺は金輪際、お前に関わるのをやめる』

「……っ」


 彼の言葉を思い出すと、心臓が抉られたかのように痛い。


(だけど)


 朱華(しゅか)はきゅっと体を丸めつつも、首を横に振った。


(あれはきっと、緋央(ひおう)さまの本心じゃない。……ううん)


 顔を上げ、きりっと表情を引き締める。


(たとえ本心でも、関係ない……!)


 心の中にある想いは、たったひとつだ。


(あの人を死なせたくない。――怖い思いも痛い思いも、苦しい思いもしてほしくない)


 ただ、それだけだった。


緋央(ひおう)さまは『どうでもいい』だけで、死にたい訳じゃない。……生きるのがどうでもいい人に、生きていて良かったと思ってもらえるまで、何度でも挑まなきゃ)


 緋央(ひおう)の死期を知っているのは、彼自身と朱華(しゅか)だけだ。


(あと三日なんかじゃ、全然足りない!)


 朱華(しゅか)は決意し、後宮の庭を駆け出した。


 そんな朱華(しゅか)の姿を見た他の姫たちが、驚いて声を投げつけてくる。


「ちょっと、『冥妃』さまが日中にうろつかないでよ!」

「そっちは花の庭よ! あなたみたいな人が近付いたら、花が枯れてしまうわ!」

(小さな頃からそう言われて、人目に触れる場所や時間は外に出ないように気を付けてきた。でも)


 花畑を囲う塀の向こうに、緋央(ひおう)の住まう宮殿の屋根が見える。


(後宮の中でここが一番、緋央(ひおう)さまに近い場所。だから)


 朱華(しゅか)は立ち止まると、彼女たちに向けて宣言した。


「……その通りです」

「え……?」


 これまでどんなことを言われても、言い返さずに耐えてきた。そんな朱華(しゅか)が言葉を発したのを、姫たちがたじろいで見詰める。


「私はこれからこの花畑で、世にも恐ろしい儀式の支度をいたします。命が惜しいと感じられるお方は、決して近付かれませんよう……」


 朱華(しゅか)は冷たいまなざしを作り、妖艶に笑う。それを見た彼女たちがごくりと喉を鳴らし、一歩後ろに下がった。


 強い風が吹き、朱華(しゅか)の赤い髪が靡く。


 煽られた無数の花びらが舞い散る中で、これまで冥妃の身に注がれてきた恐れを利用して、朱華(しゅか)は言い切った。


「――次にこの花畑で私の姿を見れば、忌むべき死があなた方に襲い掛かるでしょう」

「ひ……っ!」


 みんなが一様に逃げ去って、朱華(しゅか)は心の中で拳を掲げる。


(やったあ! 緋央(ひおう)さまの冷たそうな表情の真似、大成功だわ! この一ヶ月近くの『作戦』で、緋央(ひおう)さまの表情がぴくりとでも動かないか観察し続けてきてよかった)


 結果としてあの表情を動かせた回数は少ないのだが、目を瞑っていても緋央(ひおう)の顔が思い浮かぶほどに詳しくなった。

 怖がらせてしまった人たちには申し訳ないものの、誰もいなくなった花畑の隅で、高い壁に触れて考える。


(よし。……この壁を越える方法を、考えないと!)


 そして朱華(しゅか)は、ううんと首を傾げる。そしてひとつ、閃いた。


(……死期見をする楼の、あの縄飾り……)


***


 新皇帝である緋央(ひおう)は昔から、ずっと母にこう呪われてきた。


『お前はね。他人の死を呼ぶ存在なのよ』


 痩せ細った母が緋央(ひおう)を見る目は冷たく、憎しみがこもったものだった。物心ついた幼い頃から、これ以外の母の顔を見たことはない。


『……三人もいたお前の兄たちは、お前が生まれてから命を落とした。お前が生まれた直後に、陛下の病が露見して、残り十五年しか生きられぬと……。お前が生まれる少し前に見た死期は、もっと未来を示していたというのに……!!』


 一度見た死期も何かのきっかけで変動することを、朱華(しゅか)に言われる前から知っていた。その理由は緋央(ひおう)の父こそが、あるときから大幅に死期が近くなった張本人だったからだ。


『皇后陛下、床にお戻りくださいませ……お体に障ります。殿下、あちらでお勉強を』

『私もこの子に殺されるのよ……! 緋央(ひおう)が生まれてくる前に、死期見の女に私の子供たちを見せていれば!! 緋央(ひおう)が死を呼ぶ子供だと分かっていれば、お腹にいたうちに殺してしまったものを……!!』


 その言葉を耳にした幼い緋央(ひおう)は、そのとき考えたのだ。


(俺がいると、みんなが死ぬ)


 そしてこうも考えた。


(俺が死を呼ぶ人間ならば、戦場に出ればいい。周りに味方を近づけなければ、死ぬのは敵兵だ)


 勉学だけではなく剣術を学んだ。周りに人を近付けないように、人から距離を置いた。


 その行動は正解だったらしく、緋央(ひおう)が戦場に立てばあっさりと敵が死ぬ。母が死に、父が衰弱しはじめてからは、無心で剣を振るった。


 振るって、殺し、斬り続けた。長らく続いていた各国との戦争が、この国の圧勝で終わってしまうほどに。


(……ああ)


 戦場で無数の屍の中央に立った緋央(ひおう)は、勝利を告げる自軍の旗が翻るのを見てぼんやりと考える。足下に転がるのは、緋央(ひおう)によって生み出された死の軍勢だ。


(母上の仰っていたことは、本当だった)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ