4 あなたに会いたい
「そあ……っ、へ、変なのは私でなく緋央さまです!!」
「ほう? 一体どこが」
「どこもかしこもですよ! あと十日で命を落とすって分かっていらっしゃるのに、そんなに平然と過ごして……そもそも私のことを怖がらないのなんて、家族以外は緋央さまだけで」
「……」
そう告げると緋央は目を眇め、朱華に手を伸ばした。
「何を怖がる理由がある?」
「だ……だって。私の能力は、他の人の死期を見ることで……」
「その力に罪など無いだろう」
あまりにもはっきりと言い切られて、朱華は目をまんまるくする。
「自らの死期を知ることが出来れば、それを回避する手段が取れるかもしれない。避けられない死であるとしても、お前の力によって己の生に向き合い、死までの日々を有意義に過ごせる人間もいるはずだ」
「……緋央さま」
綺麗な形をした緋央の手が、朱華の頬を撫でてくれる。
「冥妃の『死期見』は、人間に対して誠実な力だ。……少なくとも俺は、そう思う」
「……っ」
そんな言葉を掛けられて、朱華の視界はぼやぼやと滲んだ。このまま瞬きをしたら雨になって、緋央の上に降らせてしまう。
「……っ、う、緋央さま……」
ぐずぐずに濡れた双眸を袖で隠し、朱華は思わず抗議した。
「泣いてるところをお見せしたくないので、お膝からちょっとだけ退いて下さいいいー……っ」
「っ、ふ。……断る」
「うううー……っ!!」
今夜の緋央は意地悪だ。朱華がべそべそと泣く顔を、両手で隠すことを許してくれなかった。けれども朱華がやがて泣きじゃくるようになると、少しだけ焦った顔をしてあやしてくれる。
(うれしい。……うれしいです。誰も幸せに出来ないと思っていた力を、そんな風に仰って下さるなんて)
けれどもやっぱり朱華にとって、気掛かりなのは緋央のことだ。
(緋央さまを、死なせたくないです)
緋央に抱き寄せられ、それに甘えてぐすぐすと泣きじゃくりながらも、朱華は心の中で問い掛ける。
(どうやったら緋央さまに、死にたくないと思っていただけますか?)
けれどもただひとつ、確かな事実は存在していた。
(私では、緋央さまが生きていたいと感じてくださる理由にならない――……)
それでも、どうしても死なせたくない。
そんな想いが募るのに、刻限までは僅か十日だけだ。
「…………」
泣いている朱華を抱き締めた緋央が、寝所の外の気配に耳を澄ましていることに、朱華が気付くことはないのだった。
***
朱華が見た緋央の死の日まで、残り五日。
昨夜は珍しく、緋央が後宮に来なかった。
『今夜はお渡りがない』と聞かされてとても落胆したのだが、今日は彼に会うことが出来る。
そう思うとなんだかどきどきして、鼓動は寝所に向かうにつれて大きくなった。
渡り廊下の途中で立ち止まり、庭の池を覗き込む。月の光に照らされた水面を鏡にして、朱華は前髪を手で直した。
水面に映った朱華の顔は、自分でも見たことがないような、何かに焦がれる表情をしている。
(緋央さまに早く会いたい。……お顔を見て、お声を聴いて……)
朱華をやさしく慰めてくれたことを思い出すと、どうしても頬が火照る。
(あんなにお優しい方に、死の危険や恐怖が迫っているなんて、絶対に嫌だもの)
立ち止まったのは僅かな時間のつもりだったが、実際はそれなりに時間が経っていたようだ。いつまでも来ない朱華を不思議に思ってか、渡り廊下の先にある寝所の戸が開かれる。
「――朱華?」
名前を呼ばれてどきりと肩が跳ねた。慌てて寝所の方を振り返ろうとした、そのときだ。
「緋央さ、ま……っ!?」
池に映り込んだ月の中から、火のような何かが飛び出した。
それは真っ赤で巨大な蛇だ。燃え栄える色をしたその蛇が、朱華の方目掛けて飛び掛かってきたのである。
(まさかこの蛇が、緋央さまの死因……!?)
だとしたら絶対に守らなくてはならない。朱華は懐に手を伸ばし、護身用に持っていた短剣を取り出そうとする。
けれどもそのときには、蛇は朱華の目の前に迫っていた。
「緋央さま、お逃げくださ……っ」
最後まで言い切る前に、蛇よりも鮮やかな赤色が朱華の前に翻る。
「……あ……」
朱華の視界に映るのは、真っ赤な衣を纏った緋央の背中だった。
彼の手に握られた抜き身の剣が、月の光を反射して氷のように煌めく。たった一瞬、朱華が怯えて瞬きをしたその刹那に、剣を抜いた緋央が蛇を切り払ったのだ。
それを認識した瞬間、朱華は緋央に取り縋った。
「緋央さま、お怪我は……!?」
「……」
行きた心地がしないほどの恐怖に、思わず体が震えてしまう。
(もしも傷を負っていたら。緋央さまが、蛇の毒を受けてしまっていたら……!)
祈るような気持ちで彼の腕に触れた。見たところ怪我はないようだが、朱華の指は震えたままだ。
「どこか痛いところはございませんか? 嫌な感じのするところや、痺れや違和感は……」
「…………」
「私の、所為で」
朱華が池の傍でぼんやりしていなければ、緋央を危ない目に遭わせることもなかったはずだ。襲われたとしても自分の身を守れていれば、緋央に庇ってもらうようなことはなかった。
「申し訳ありません、緋央さ……」
「謝罪をされる筋合いはない」
「!」
緋央のそんな声を聞き、朱華は初めて気が付いた。
(緋央さまのこんなに冷たいお声、聞いたことがない)
恐る恐る顔を上げる。
月を逆光に背負った緋央は、赤色の双眸に暗い光を宿し、ひどく忌々しそうな目で朱華を見下ろしていた。
「――俺は金輪際、お前に関わるのをやめる」
告げられて、頭の中が真っ白になる。