2 どうして!?
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数日後、後宮の中央にある寝所に呼ばれた朱華は、昨日まで何度も繰り返した発言を改めて口にした。
「――どうしてご自身の死を回避しようとなさらないのですか、緋央さま……!!」
窓辺に腰をおろした皇帝の緋央は、小難しいことの書かれた巻物を膝の上に広げつつ読み込んでいる。
朱華がその肩をゆさゆさと揺さぶれば、彼は気だるげに、それでいてやさしく手で押し退けながらこう言った。
「そもそも俺は、自分の死期に興味は無い」
灯籠の光によって、彼の長い睫毛の影が頬に落ちている。即位直後のことを思い出したのか、緋央は溜め息をつきながら言った。
「どうでもいい。一度は必ず死期見に会うよう、側近がうるさく言うから仕方なく来ただけだからな」
「いやいやいや、だってまさかの一ヶ月後ですよ!? その理由が事故か病気か火事なのか分かりませんが、一刻も早く対策を打たないと……!」
朱華は力を発動させ、紫色に淡く輝いた瞳で緋央を見る。そこに書かれた数字は『二十七』に変わっていた。
「もうあと二十七日で、死の日がやってきてしまいます……」
朱華が彼に訴えていることは、なんら間違ってはいないはずだ。けれども緋央は心の底から面倒臭そうな顔で、朱華の訴えを退ける。
「言っているだろう。どうでもいい、と。臣下にも『俺はあと百年生きるそうだ』と伝えてある、これで当面やかましく言ってこないはずだ」
「うう!! さすがは『妃探しが面倒な上、側近がうるさい』などという理由で、即位後に初めて会った女である私を妃にとご指名なさったお方……!!」
あの突然の正妃指名について、緋央はあっさりと理由をそう話した。朱華はうううと唸りながら、頭を抱える。
「緋央さまは生きることに頓着がなさすぎます! 確かにこの世のものとは思えない美しさをおもちですが、浮世離れしすぎかと!! 臣下の方だって心配なさっているでしょう!?」
「うるさいな。死ぬなら死ぬで構わない、それを回避するためのすべてが煩わしい」
(こ、こんな調子のお方が一体どうして、戦場で敵国の人間を屠って国を勝利に導けたの……?)
あまりに何もかもが適当で、無気力すぎる。一ヶ月後に死ぬ恐怖心などまったく無さそうな緋央は、読み終わった巻物を丸めながら言うのだ。
「朱華。続きは?」
「ううう、お持ちしますので少しお待ちを……! ひどいです、私のお話は全然聞いてくださらないのに……!」
無表情で淡々と言い、寝所に朱華を呼びながら何もせずに眠るだけのこの皇帝を、朱華はどうしても諦められなかった。数日前に会った人といえども、みすみす死なせたい訳じゃない。
(それに、なにより……)
緋央に渡すための新しい巻物を、朱華はぎゅうっと抱き締める。すると脳裏によぎるのは、幼い頃からこれまでに掛けられた冷たい言葉だ。
後宮の片隅で暮らす幼い朱華のことを、女性たちはひそひそと噂しながら遠ざけた。
『「冥妃」って、人がいつ死ぬかが見えるんでしょ?』
『そんな人間が近くにいるなんて気味が悪いわ……』
『死期が見えてるんじゃなくて、あの冥妃が死を呼んでいるんじゃない? ほら、確か母親も亡くなって……』
母の墓前に備える花を手に、何度も自分に言い聞かせたのだ。
(かなしくない。……かなしくない、誰も一緒に居てくれなくても……)
朱華に死期を見させた先代皇帝も、はっきりと忌々しいものに向けるまなざしで朱華に命じた。
『今日こそ言うのだぞ、私の寿命が伸びたと。さもなくば……』
けれどもそんな朱華に向けて、緋央だけが静かなまなざしで名前を呼んでくれた。
『――朱華』
出会ってほんの数日だけれど、朱華は彼を死なせたくないと感じている。
(私のことを怖がらずにいてくださったのは、この人だけ……)
そのことがどんなに嬉しかったか、きっと緋央は知らないだろう。
月を眺めるその横顔は、彼自身のことにさえ興味がない様子なのだ。
(この美しいお方が亡くなるまで、あと二十六日。緋央さまの命を落とす運命は、今ならまだ回避できるかもしれないけれど)
本人がその死を回避するつもりがない状況で、どうにか出来るとは思えない。
(病なら治療が、事故ならば対策が必要なのに。緋央さまにその意思がない限り、後宮から出られない私にはどうにも出来ない……臣下の人に、本当の死期を伝えることすら)
それでも、と朱華は決意する。
(……私はこのお方の命を、諦めたくない……)
そうして緋央の肩をがしっと掴むと、勢い良く彼に言い募った。
「緋央さま!! 生きていることがどれだけ楽しいか、私があなたにお伝えします!!」
「……何?」
「皇帝陛下のために尽くすことも、後宮の姫の務めのはず。仮にも私、妃なのですし! 緋央さまにとっての嬉しいことや楽しいことを、私がお手伝いいたします」
朱華は胸を張り、なるべく堂々として見えるように振る舞った。
「そうすれば緋央さまも、死ぬのはやめておこうと思ってくださるかもしれないでしょう?」
「…………」
すると緋央は息を吐き、心から冷めた声音で言うのだ。
「物好きなやつだな。好きにしろ」
「はい!! これからどうぞ、よろしくお願いしますね!!」
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