第八話『商人の目と、おかしなパン』
翌朝、早めの時間に目が覚めた。まだ窓の外には霧が残っており、町は静かな呼吸をしているようだった。
蒼い光がさす部屋の隅で、俺は軽く伸びをしながら考える。昨日は想像以上の収穫があった。だが、それはほんの偶然か、運が良かっただけかもしれない。そう思う自分もどこかにいる。
「今日も、ちゃんと歩いて、自分の目で確かめよう」
顔を洗い、軽い朝食を終えると、街の市場へと足を運んだ。
*
市場は朝からにぎわっていた。果物の香り、香草の匂い、焼きたてのパンの湯気──感覚すべてが呼び覚まされる。今日の目的は『珍しい素材』ではなく、『何が売れているのか』『どうして価値がつくのか』を探ることだ。
「まとめて400シエル、安いよ!旅人用の乾燥スープ!」
「この菓子パン、俺の妹が初めて焼いたんだけど、味は保証しない!けど見てくれは最高だぜ!」
雑多な声が飛び交うなか、一つの小さな屋台が目に留まった。十代後半くらいの女の子が、一生懸命パンを並べている。パンは不格好で、見た目も均一ではない。だが、手作りの温もりが感じられた。
「いらっしゃいませ……パン、どうですか……?」
控えめな声。名前を聞く前から、俺は彼女の不器用な真面目さに心を惹かれていた。
「全部でいくら?」
「え? えっと……売れ残りの分まとめて、300シエルで……いいです……」
スキルで値段を確認する。すると──
《この商品は、地方の工房が欲しがっています。用途:子供向けのパンのアイディア素材。売却価格:900シエル》
「まさか……」
驚きながらも売却する。なぜか、この世界では“試み”そのものに価値がある場合がある。完璧ではないからこそ、誰かにとっては希望の始まりになる。
「ありがとう。すごく、助かりました……」
彼女が小さく頭を下げる。俺は「また来るよ」とだけ伝えて、次の店へと歩き出した。
*
その後も市場を回りながら、いくつかの品を購入し、小路に入ってスキルで売却していく。
・乾燥きのこの詰め合わせ:料理研究者の試験用素材として高値売却(+600シエル)
・木製の素人細工のボタン:演劇団の衣装部が買い取り(+420シエル)
・色褪せた花のリース:老人ホームの飾りに需要(+300シエル)
自分の見る目が少しずつ磨かれていくようで、奇妙な満足感が胸に灯った。
(誰が何を欲しがっているのか、それを想像すること──それが、俺の武器になりつつあるのかもしれない)
*
昼過ぎ、ギルドへ立ち寄ると、アイリスが珍しく声を弾ませて言った。
「実は、昨日納品された鉄片の中に“魔導鋳金に使える素材”があったみたいで、鍛冶師ギルドの方があなたのことを覚えていらっしゃったんですよ」
「……そんな、大したことしてないよ」
「いえ、ちゃんと見て選んでる証拠です。偶然かもしれないけれど、誠実に拾ったからこその結果ですよ」
その言葉が、また胸の奥にじんわりと広がる。
ギルドを出た頃、空は少し赤く染まり始めていた。今日も宿に戻って、あの優しい夕食を待とう。そう思うだけで、少し背中が軽くなる気がした。
宿に戻ると、マーサさんがにこやかに迎えてくれた。
「おかえり、蒼汰ちゃん。今日もよく頑張ったね。夕飯、すぐ出すからね」
素朴であたたかいスープと焼きたてのパン、それに香草で風味づけされた卵焼き。心も身体もほっとほぐれる味だった。
食後、片付けを手伝おうと台所へ向かうと、マーサさんが俺の着ていた上着を手に取りながら、ふと微笑んだ。
「そういえば、明日は洗濯の日だから、今日はこれ預かっておくね。下着も出しておいていいわよ」
「え……あ、う、うん……」
顔が少し熱くなる。こういうとき、体が女であることを意識させられてしまうのが、やっぱり気恥ずかしい。
「ふふ、恥ずかしがらなくて大丈夫よ。うちは女性専用宿なんだから、気を遣わないでいいの」
そのやさしさに、救われるような気がした。
*
【本日の収支】
スキル売却(パン、乾物、装飾等):合計 2220シエル
支出(購入費):950シエル
支出(宿泊費):1500シエル
▶ 合計利益:-230シエル
▶ 累計所持金:約7620シエル(※保管中の青い石除く)
“売る”という行為の先に、人の暮らしがあり、想いがある。
そのことを、今日もまた一つ知った気がする。