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第十三話『届ける手と、支える背中』

午前の日差しが、霧の溶けた町に柔らかく降り注いでいた。

石畳に足音が小さく響くたび、ほんのり温まった空気が裾に絡みつく。


蒼汰は手ぶらのまま市場へ向かっていた。

いや、正確には「スキルを使うための手ぶら」だ。

道具や荷物は必要ない──必要なのは、届けたい“気持ち”と、それを受け取る“意思”。


(さっきの布みたいに、相手を思い浮かべれば、売却じゃなくて配達になる)


マーサの頼みで試したあの瞬間。

自分のスキルがただの“物の売買”ではないことに、蒼汰は確かに気づいた。


(もしかしたら、俺のスキルって……“代わりに動ける力”なんじゃないか)


欲しがっている人がいれば、代わりに届けられる。

支払ってくれるなら“売却”として成立し、そうでなければ“贈り物”や“配達”として形になる。


それはつまり──

“時間”や“距離”や“手間”を肩代わりできる力だ。


「……なら、試してみよう」


小さく呟いて、市場の雑踏に足を踏み入れた。


市場の中心には、いくつもの屋台が並んでいた。

朝よりさらに活気づき、仕立て屋向けの糸束、干し肉、保存野菜などが威勢の良い声とともに売られている。


蒼汰が最初に目を留めたのは、粗末な台に並べられた乾燥パリツの袋だった。

干しきのこの一種で、淡い甘味と滋味があり、旅人や冒険者に人気の保存食だ。


(これ、売れるだろうな……)


スキルを使うと、やはり売却先が表示された。

だが、ふと思い直す。


(──“あの三人”に売りたい)


冒険者パーティーのソル、フェリナ、ラナ。

昨日、自分をパーティーに誘ってくれた彼女たち。

あの三人の姿を思い浮かべて、心の中で「売りたい」と念じた。


ウィンドウが現れる。


《対象者:ソル・リヴェール》

《希望価格:あり》

《売却価格:420シエル》

《売却しますか?》


蒼汰の心が僅かに高鳴る。


(やっぱり、欲しがってたんだ)


「はい」


売却を選択すると、袋がすっと蒼汰の手から消えた。

代わりに硬貨の重みが、指の隙間に確かに落ちてきた。


《配達完了:ソル・リヴェールが受け取りました》


──今、彼女たちのもとに届いたのだ。

まるで、そっと背中を押すように。


(これなら……自分にもできる)


蒼汰は胸の奥に灯る熱を確かめながら、次に目に入った露店へと歩みを進めた。


次に立ち寄ったのは、年配の女性が営む雑貨屋だった。

棚には、手縫いの布袋やら、壊れかけの髪留め、使いかけの香水瓶など、よく言えば“味のある”、悪く言えば“ガラクタ”が並んでいる。


「兄ちゃん、お買い得だよぉ。このポーチ、壊れてるけど、中の仕切りはしっかりしてんの」


そう言って、老婆が片目をつむる。


蒼汰は何気なくそのポーチを手に取った。

確かに、外側の留め具が歪んでいて、紐もほつれている。

だが、中の仕切りは丁寧な作りで、小物の仕分けに便利そうだ。


(このポーチを、ラナが欲しがってたら……)


スキルを起動すると、見慣れぬ表示が出た。


《対象者:ラナ・フェンブレア》

《希望価格:微小(使用感あり)》

《売却価格:75シエル》

《売却しますか?》


「──はい」


売却を選ぶと、またふっとポーチが消え、代わりに銀貨が手元に転がった。


(きっと、あの子なら大事に使ってくれる)


そう思いながら、蒼汰は小さく胸を張る。


午前の光が町の屋根を撫でて、石畳に揺れる影を落としていた。

霧はすっかり晴れ、空には絹のような雲が浮かんでいる。

蒼汰は両手を空けたまま市場へ向かっていた。


いや──

手ぶらなのは、“仕入れるため”ではない。

“届けるため”だ。


(あの布を渡したとき……本当に、俺のスキルが“役に立った”って思えた)


リリアンに布を届けた朝。マーサの一言がきっかけだった。


「相手を思い浮かべて渡す……そういうことができる力なんだろうねぇ」


スキル【正式売却】は、ただ物を“売る”だけの力じゃない。

欲しがる相手に、確かに“届く”力だ。

支払い意志があれば売却になり、そうでなければ贈与になる。

ただの売買ではない、“気持ちを運ぶ”スキル。


(だったら、今の俺でも、誰かの代わりに動ける)


そんな思いを胸に、市場の喧騒のなかへと足を踏み入れた。


午前の市場はもう賑わい始めていて、旅商人の掛け声や、野菜を選ぶ主婦たちのやり取りが飛び交っていた。

そのなかで蒼汰が目を留めたのは、素朴な木箱に詰められた乾燥パリツ──

保存性の高い淡色の干しきのこだ。


(この前、あの冒険者パーティーが食事中に乾燥品の話をしてたっけ……)


ソル・リヴェール、フェリナ・クラヴィール、ラナ・フェンブレア──

三人の顔を思い浮かべ、心の中で“彼女たちに売りたい”と強く念じる。


スキルを起動すると、浮かんだウィンドウにははっきりと名前が記されていた。


《対象者:ソル・リヴェール》

《希望価格:適正》

《売却価格:420シエル》

《売却しますか?》


「──はい」


呟いた瞬間、パリツの束がふっと消え、代わりに銀貨の重みが手のひらに落ちる。


《配達完了:ソル・リヴェールが受け取りました》


自分の手を介して、確かに誰かの生活に届けられた──

その実感が、胸の奥に小さな灯りをともす。


(俺にだって、できることがある)


次に立ち寄ったのは、静かな裏通りにある年配の女性が営む雑貨屋だった。

棚には、色褪せた布袋や壊れた髪飾り、使いかけの香水瓶などが並んでいた。

店の主は腰を低くして商品の埃を払っており、蒼汰に気づくと顔をあげた。


「あら、いらっしゃい。……えっと、お兄……お姉さん、かしら?」


その声に、蒼汰は一瞬、眉を引き寄せた。

(……やっぱり、そう見えるよな)


頬に苦笑を浮かべて、軽く会釈する。


(俺は男なのに。……だけど、無理に否定するのも、もうやめた)


それより、棚の隅に置かれていた革製のポーチが目に留まった。

留め具は壊れかけ、革紐はほどけている。

だが、中の仕切りはしっかりしており、小物を整理するにはちょうど良さそうだった。


「これ、いくらですか?」


「壊れかけだからねぇ。そうね、75シエルでどうだい」


蒼汰は財布から銀貨を取り出して渡すと、ポーチを手に取った。

軽く擦れた革の感触が指先に残る。


(ラナなら、こういうの、うまく使ってくれそうだ)


スキルを起動。


《対象者:ラナ・フェンブレア》

《用途:薬草整理用》

《売却価格:100シエル》

《売却しますか?》


「──はい」


ポーチはふっと消え、代わりに銀貨が手のひらに転がった。

25シエルの利益よりも、「誰かに渡せた」という手応えのほうが何倍も重い。


老婆がふとこちらを振り返る。


「……あれ、ポーチは?」


「届ける仕事をしてるんです。代わりに、使ってくれる人のもとへ」


「へぇ……気が利くねぇ」


にこりと笑った老婆の顔は、どこか懐かしいような温かさを持っていた。


その後も蒼汰は何件か小さな露店を巡り、目についた物を購入してはスキルで届け先を指定して売却していった。

買った小物のほとんどは、保存食や薬草袋、道具を仕分けるための巾着など。


人々の“ほしい”が浮かび上がるたびに、蒼汰はそれを感じ取り、そっと繋いでいく。


(……誰かの代わりに動ける。そのことが、今の俺にとって、何よりの誇りだ)


そう思えた瞬間、石畳の上を歩く足取りが、少しだけ軽くなった気がした。


老婆がきょとんとした顔をしている。


「ん? あれ、ポーチは?」


「……あ、えっと、代わりに買い取って、届けてきます」


「ふーん。変わった子だねぇ」


老婆はにやりと笑いながら、他の商品のほこりをぱんぱんとはたき始めた。


その後も、蒼汰は小物を何点か購入し、スキルで「届け先」を指定して売却していった。

誰かに直接届ける。そのことが、自分にもできる“仕事”として形になっていく。


市場の喧騒のなか、自分の居場所が少しずつ広がっていくようだった。



市場の喧騒が、午後の風に少し和らいでいた。陽の光は傾き始め、木造の屋根や看板に長い影を落としている。


蒼汰はいつものように背筋を伸ばしながら、ふらりと町の外れにある裏通りへ向かった。小道に入ると、表通りとは違って、話し声もぐっと落ち着いて聞こえる。


(この場所でなら、少し静かに考えられる)


昼間、市場で買い集めた小物類──巾着袋、乾燥パリツの余り、色の褪せた布切れ──どれもが、いわば“売れ残り”であり、“誰かが欲しがっていれば価値を持つ”品だ。


蒼汰は静かに呼吸を整えて、スキルを起動した。


(これは、ソルさんに。これは、ラナ。あとは……誰だろう)


その瞬間、視界に淡く青いウィンドウがいくつも浮かび上がる。


《対象者:ソル・リヴェール/保存食補充のため需要あり/売却価格:320シエル》《対象者:ラナ・フェンブレア/雑貨整理袋用途あり/売却価格:240シエル》《対象者:フェリナ・クラヴィール/素材として研究使用/売却価格:180シエル》


「……届けます」


そう呟くと、蒼汰の手から荷物がふっと消え、代わりにざらりと銀貨が袋に落ちた。その音が、誰かの暮らしに小さな支えを与えたことを教えてくれる。


(直接会わなくても、関われるんだな)


どこか少しだけ、胸が温かくなった気がする。


午後、荷物を軽くした蒼汰は、ふたたび宿の近くまで戻ってきていた。ちょうどその頃、裏手の小道でふらっと寄った広場の一角。洗濯物を干しているマーサの姿が目に入る。


「ただいま戻りました」


「おかえり、蒼汰ちゃん。……お使い、うまくいった?」


「ええ。いくつか……受け取ってもらえたようです」


蒼汰が小声でそう告げると、マーサは手に持っていたバスケットを下ろし、優しく微笑んだ。


「それは、よかった。あんたが届けたもの、きっと誰かの役に立ってるよ」


「……そうだと、いいんですが」


「いいんじゃないかしら」


と、マーサは肩をすくめてから、エプロンの裾を軽く直した。筋肉質な太い腕とは裏腹に、エプロンには小さな刺繍の花がいくつも丁寧に縫い込まれている。そのギャップが、蒼汰にはたまらなく“可愛くて、強い”という言葉そのものに思えた。


「マーサさん」


「ん?」


「……俺も、いつか誰かを“支えられる”ような人になりたいんです。マーサさんみたいに」


ふいに口をついて出た言葉だった。


けれど、それを聞いたマーサは、びっくりするでもなく、ふんわりと微笑んだだけだった。


「もう、なってるんじゃないかしら。少なくとも、誰かが“あなたを覚えてる”ってのは、もう十分にね」


蒼汰は黙って、小さく頷いた。


部屋に戻った蒼汰は、袋の中から文具を取り出す。昨日買ったばかりの安物のノートと鉛筆。だが、それに今日という日を綴ることが、とても大切な行為に思えた。


【本日の記録】パリツ:売却 420シエル革ポーチ:購入 75 → 売却 100文具:ノート・鉛筆購入 180その他:手作り小物など売却 290スキル売却:追加小物類 計 740シエル宿泊費:1500


今日の収支:−130シエル


【総資金】34,965シエル


「……今日は、あと少しでプラスだったな」


それでも、不思議と気分は悪くなかった。銀貨以上に、自分の力で“誰かの役に立てた”という確信が、何よりの報酬になっている。


夜になり、食後の片付けを手伝っていると、数人の宿泊者たちがランドリースペースで洗濯物を干していた。蒼汰も、そっと自分の洗濯物を出すと、すかさずマーサが寄ってくる。


「預かるわよ、まとめて洗っておくから。ほら、脱いだの全部」


「えっ……あ、あの……」


「ふふ、大丈夫よ。女の子のものは慣れてるから」


そんな言葉に、蒼汰は肩をすくめてうつむいた。この身体は、確かに自分のものなのに。未だに、誰かに見られるのが苦手だった。


「……ありがとうございます」


「ううん、いいのよ」


そのやりとりを聞いていたのか、近くにいた別の宿泊客──小柄な薬草師のラナが、ほんのりと笑っていた。その表情が、“ありがとう”と言っているように見えて、蒼汰は不思議な安心感を覚えた。


明日も、またきっと何か届けられる。売るだけじゃない。繋ぐために。


蒼汰はノートの最後の行に、こう記した。


「売るということは、誰かの“手間”を引き受けることかもしれない」


自分の道が、ようやく少しずつ形を持ち始めていた。


翌朝。

日の出よりも少しだけ遅れて目を覚ました蒼汰は、窓辺のカーテン越しに差し込む陽光を眩しげに見つめていた。


静かな朝だった。

町の喧騒はまだ遠く、聞こえるのは鳥の声と、下の階から微かに香るパンの匂いだけ。

シーツを整えながら深く息を吸い込むと、胸の奥に残っていたわずかな疲労感が、少しずつ抜けていくようだった。


(……三日か)


レオンの手紙を売却してから、もう三日が経った。

まだ胸の奥には、その出来事の余波が残っていたけれど、ようやくこうして“日常”を取り戻しつつある。


──誰かの、最後の言葉を、届けること。

それが「売却」という形であったとしても。


「……今も、あの子たちが泣いた顔、思い出せるな」


窓の外を見つめながら、ぽつりと呟く。


“渡してよかった”と思える一方で、まだ心の片隅には、答えの出せない想いが澱のように残っていた。


(俺は……本当に、あの子たちのためになれたのか?)


ぬいぐるみも、お金も、手紙には入っていなかった。

だけど、手紙だけでも「お父さんが帰ってきてくれたみたい」と言って泣いてくれたリーナとアリアの姿は、何度思い返しても胸に迫る。


(売却、なんて形じゃなく……直接、渡せたらよかったのかな)


そんなことを考えては、自分の力の限界を思い知る。


けれど、それでも。


(俺は……たしかに、あの人の気持ちを届けた)


届かなかった想いを、誰かの手に──確かに渡した。


そしてそれは、きっと“自分にしかできなかった”形なのだと、今では少しだけ思える。



朝食のスープは、野菜の甘味と香草の香りが優しくて、蒼汰の胃に心地よく染み込んでいった。

向かいでは、マーサが新しいエプロンをつけながら、にこにこと他の宿泊者たちに食事を配っている。


ふと、食堂の扉が静かに開いて、昨日の親子──リーナとアリアが顔を見せた。

宿泊はしていないのだろう。だが、何かを届けに来たようで、小さな紙包みをマーサに手渡す姿が見えた。


蒼汰は声をかけなかった。

けれど、帰り際にアリアがこちらへと顔を向け、はにかむように小さく微笑んだ。


その一瞬だけで、胸の奥にぽっと何かが灯った気がした。


(それで、十分だ)


午前。

町の空気が少しずつ動き出すころ、蒼汰は身支度を整えてギルドへ向かった。


今日は特に急ぎの予定はない。

ただ、何かできることがあればと思って、足を運ぶ。

フリークエストでもいいし、誰かの代わりに探し物でも、届け物でもいい。


それが、蒼汰の日々になりつつある。


ギルド前の掲示板の前で、ふと隣に立った見知らぬ冒険者が、ちらりと蒼汰を見たあとに言った。


「……あの、すみません。前に薬草、届けてくれたのって……」


「あ、はい。たぶん、俺です」


「あのとき助かりました。ちょっとした傷だったんですけど……旅先で使いたかったんですよ」


「いえ……こちらこそ、ありがとうございます」


やり取りはそれだけ。

けれど、蒼汰の頬には自然と笑みが浮かんでいた。


誰かの“代わりに動く”こと。

それは、どこか遠くの人をつなげるということ。


ただ物を売るだけじゃない。

その背後にある“想い”や“事情”や“タイミング”──そういった、目に見えない価値まで運ぶこと。


(俺は、まだ弱いし、目立たないし、魔法も使えない)


だけど、それでも。


この世界で、できることがある。


(……なら、歩こう。俺の歩き方で)


今日もまた、蒼汰は誰かの“代わり”として静かに町を歩き出した。


──その背中には、少しだけ、風が吹いていた。

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