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第九話・後編『縫い目の奥に宿るもの』


リリアンの仕立て屋は、市場の喧騒から少し離れた静かな通りにあった。

扉には小さな鈴が下がっており、開けたときに鳴るその音が、まるで別世界に入る合図のようだった。


「……おかえりなさい。ぴったりね、時間通り」


奥から現れたのは、相変わらずの無表情で、淡々とした口調のリリアンだった。

けれど、その目が一瞬、柔らかく細められたのを蒼汰は見逃さなかった。


「できてる、よね」


「ええ。よかったら、そのまま試着していって。サイズの確認もあるから」


促されるようにして、蒼汰は奥の試着室へと案内された。

白い布のカーテンをくぐると、内側は明かり取りの窓がついた明るい空間。

衣服が丁寧に畳まれた状態で置かれていた。


灰色を基調に、袖や襟に青の糸が控えめに走るシャツ。

生地は中厚で、動きやすさと防寒性のバランスを両立している。

ボタンは木製で、すべてが一つずつ違う形をしていた。どれも味のある手作りの装飾だった。

ズボンは黒に近い紺。腰のラインにゆるやかな絞りがあり、裾にかけてすっきりと細くなる中性的な仕立て。


そのどれもが──自分のために、丁寧に選ばれた布で作られていた。


蒼汰は、少しだけ息を吐いてシャツに袖を通した。

冷たい生地が肌に触れた瞬間、背筋が自然に伸びる。

下着の上から重ねていく布の重みが、自分という輪郭を静かになぞっていくようで──気恥ずかしさと、ほんの少しの誇らしさが混ざって、胸が騒がしくなった。


鏡の前に立つ。


そこに映っていたのは、肩まで伸びた黒髪と色素の薄い茶色の瞳を持つ細身の若者。

見慣れた姿だ。転生前から変わらない、自分の身体。

だけど今は、その体がきちんと自分に合った服に包まれていた。


(この身体は……なりたかった自分じゃない。けど……)


ずっと否定し続けてきたそれが、今、少しだけ誇れるものになった気がした。


「どうかしら?」


リリアンの声に振り返ると、彼女は珍しく小さく微笑んでいた。

表情はいつもと変わらないのに、ほんのわずかに、口元の柔らかさが違った。


「……似合ってるわ。あなたには、これが似合う」


「……ありがとう」


言葉が、のどの奥から自然にこぼれた。


蒼汰はリリアンに、受け取りの御代──5000シエルを手渡す。

リリアンはそれを無言で受け取ると、小さな引き出しにしまい、うなずいた。


「この服、もともとは別の依頼者のために用意していた布を使ったの。だけど、その人は途中で来なくなって……縁って、こういう形でつながるのかもしれないわね」


その言葉に、蒼汰は驚いて目を見開いた。

服を“繋ぐ”。それはどこか、自分のスキルとも重なる概念だった。


「また何かあれば、遠慮なく言ってちょうだい。あなたは……大事に縫いたくなる人だから」


不意に、胸の奥がぎゅっとなる。

そんな言葉を、今まで誰かからかけてもらったことがあっただろうか?


「……うん。ありがとう、リリアンさん」



その日の夕暮れ、蒼汰はリリアンの服を身にまとい、少し誇らしげに、少し照れながら、マーサの宿の扉を押した。


「ただいま戻りました」


「おかえり、蒼汰ちゃん。今日はまた、ひときわ素敵な格好ねぇ!」


マーサが台所の窓から笑顔をのぞかせた。

ちょうど夕飯前の時間帯。宿の共有スペースにはすでに数人の宿泊客が集まっていて、それぞれにくつろいでいた。


薪のぬくもりが残る石造りの床には、柔らかい敷物が敷かれている。

壁沿いの棚には、本や雑貨、使いかけの裁縫道具などが並んでいた。


「ねぇ、洗濯物、今日って……?」


「うん、出してくれて大丈夫よー!廊下にカゴ置いてあるからねー!」


マーサの明るい声に応じて、数人の宿泊者が洗濯物を手に現れる。


赤毛をポニーテールに結った弓使い風の若い女性が、運動着のような服を手早く畳んでかごに放り込む。

近くには、日焼けした肌に長身の旅商人らしき女性が、白いシャツを几帳面にたたんで並べていた。


「ほんと、マーサさんってありがたいよね……洗濯までしてくれるなんて」


「言わなきゃ下着まで綺麗に畳まれて返ってくるからな……ありがたいけど、ちょっとだけ恥ずかしい」


そんな会話が、あちこちから漏れていた。


蒼汰は、その輪の中に入ることに、ほんの少し緊張しながらも、自分の荷物をごそごそと探り、下着の包みを取り出した。

リリアンから受け取った袋の中に、綺麗に畳まれた下着──白地に淡い青の縁取りが入った、清潔感のあるものが入っていた。


(……これ、渡すのか……)


一瞬、手が止まる。

だが、あたりを見回すと、他の女性たちも自然に洗濯物をカゴへ入れていた。

こういう時、自分の身体が“女性”であることを、いやでも意識させられる。

それでも、逃げるわけにはいかない。


そっと、包みをカゴに置く。

誰も気にしていない──はずなのに、頬の奥が妙に熱かった。


「ありがとね。下着は下着で分けておくから、ちゃんとラッピングし直して返すわ」


マーサがそう言って、にこっと笑う。

その笑顔はあまりに自然で、あたたかくて、蒼汰はほんの少しだけ気持ちが軽くなった。


「……いつも、助かってます」


「ふふ、遠慮しないで。うちは女性専用宿なんだから、そういうの全部ひっくるめての“お世話”よ」


「……はい」


それだけ言って、蒼汰は足早に自分の部屋へと戻った。

廊下を歩く途中、他の宿泊者たちの声が聞こえてくる。

笑い声、今日あった出来事の報告、明日の支度の相談──


(……ちゃんと“暮らしてる”んだ、みんな)


小さな個室に戻って、服を軽く整える。

鏡に映った自分の姿が、今夜は少しだけ誇らしく見えた。


【本日の収支】


前日までの所持金:1470シエル


市場・冒険者へのスキル売却利益:+6930シエル


支出(商品購入):−1350シエル


支出(服代):−5000シエル


支出(宿泊費):−1500シエル


▶ 合計収支:−920シエル

▶ 最終所持金:2480シエル

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