新幹線、食堂車
昭和53年10月改正当時、新幹線は東海道・山陽新幹線だけであった。
無論、「のぞみ」はなく、速達便は「ひかり」、各駅停車は「こだま」だけである。それぞれ12分に1本ずつ運転できるダイヤとなっていた。車両は開業当初から変わらぬ0系。
東京ー新大阪間の所要時間は「ひかり」で3時間10分、ほぼ全列車、途中停車駅は名古屋と京都のみ。実にシンプルである。米原停車が二往復、新横浜、静岡、米原停車が一往復あった。
東京発の「ひかり」は毎時00分発が博多直通の速達便で、山陽区間では岡山、広島、小倉にしか停車しないものと、小郡も停車するものがある。最速便の東京ー博多間の所要時間は6時間56分、小郡停車便は同7時間1分である。
毎時12分発は博多直通の多停車便で、山陽区間では新神戸、姫路、岡山、福山と広島からの各駅に停まる。東京ー博多間の所要時間は7時間31分である。
毎時24分発は広島ゆきで、山陽区間は各駅停車。
毎時36分発は岡山ゆきで、山陽区間は新神戸と姫路に停まる。
そして毎時48分発はランダムで、行き先、山陽区間の停車駅ともに多様であった。
東海道の停車駅が固定的で、山陽の停車駅は列車によって多様性がある。このスタイルは、基本的に令和の今も変わらない。とは言え、民営化後の新幹線のスピードアップと列車本線の増加には目をみはるものがある。今や東京ー新大阪間は2時間30分弱、東京ー博多間は5時間弱である。東京ー博多では2時間以上も短縮している。
新幹線の「ひかり」には食堂車があった。
時刻表の編成表を見ると、食堂車だけでなく、ビュッフェもあった。むしろ、こちらの方が古い。
新幹線に食堂車がついたのは、博多開業時で、案外遅い。昭和50年3月のことである。
東京ー博多間が7時間近くかかるため、軽食主体のビュッフェでは間に合わないという判断がなされたものと思われる。長時間走る列車には、弁当ではなく、暖かい食事を提供するサービスが不可欠である。という認識があったということであろう。
新幹線は昭和39年に東京ー新大阪間が開通し、47年に岡山まで延長された。岡山までの所要時間4時間10分では食堂車不要だが、博多までの7時間なら必要というなら、博多ゆきの直通便だけ食堂車を連結すればいいのではと思わなくもない。車両運用の関係もあったのだろうが、国鉄は全ての「ひかり」に食堂車を連結し、そのほとんどで営業を行なった。
時刻表にはピンクのページに「ひかり&食堂車」と題して、食堂車運営会社とメニューの一部を掲載されている。それによれば、運営会社は4社。日本食堂、ビュフェとうきょう、帝国ホテル列車食堂、都ホテル列車食堂である。
主なメニューは以下のとおり。
日本食堂
・サーロインステーキ定食 3,000円
・海老フライ定食 1,300円
・お好み盛合せ 1,100円
・カレーライス 550円
・ミックスサンドイッチ 530円
ビュフェとうきょう
・ビーフシチュー定食 1,550円
・海老と魚のフライ定食 1,400円
・長崎しっぽく風 豚旨煮定食 1,100円
・カナディアンベーコン 700円
帝国ホテル列車食堂
・ビーフシチュー定食 1,700円
・えびと魚フライ定食 1,400円
・牛肉の串焼 1,100円
・特製ビーフカレー 550円
都ホテル列車食堂
・サーロインステーキコース 3,000円
・特製ビーフシチューコース 1,700円
・ポークカツレツ(イタリア風) 850円
・ハムと野菜サラダの盛合せ 600円
・特製スープ 350円
今から半世紀近く前の価格としては、けっこうなお値段の印象がある。
ちなみに、時刻表に掲載された主な駅弁やみやげ物の当時の価格は以下のとおり。今に比べ桁がひとつ少ない印象だ。
・東海道本線 川崎・横浜駅 シウマイ弁当 500円
・東海道本線 浜松駅 うなぎめし 800円
・東海道本線 名古屋駅 ういろう 250円
・東海道本線 京都駅 八ツ橋 500円
・東海道本線 大阪駅 八角弁当 800円
・山陽本線 岡山駅 祭すし 500・800円
・山陽本線 宮島口駅 あなごめし 600円
・鹿児島本線 八幡・黒崎・折尾駅 かしわめし 400・500円
・紀勢本線 新宮・紀伊勝浦駅 めはりすし 350円
・和歌山線 吉野口駅 柿の葉ずし 500・1,000円
・山陰本線 鳥取駅 かにずし 550円
・北陸本線 富山駅 ますのすし 800・1,500円
・信越本線 横川駅 峠の釜めし 600円
・高崎線 高崎駅 だるま弁当 500円
在来線の特急列車の食堂車では、どんな料理がどんな値段で出されていたのか、時刻表に記載がないため、よくわからない。
新幹線では4時間程度の運転時間では食堂車を連結しなかったが、在来線ではその程度の運転時間でも、普通に食堂車つきの特急列車があった。
東北本線のエル特急「ひばり」は4時間15分であったが、全列車で食堂営業をしていたし、北陸本線のエル特急「雷鳥」も金沢まで3時間少々、富山まで4時間で、全列車食堂営業をしていた。
函館本線の「北斗」、伯備線のエル特急「やくも」も同様である。
似たような運転時間でも、上越線のエル特急「とき」には食堂車は連結されていなかったし、7時間近くもの運転時間のあった信越本線のエル特急「白山」や特急「はくたか」、日豊本線のエル特急「にちりん」もまた同様であった。
食堂車が連結されているのに、営業をしていない列車もあった。
常磐線のエル特急「ひたち」は11往復のうち6往復に食堂車を連結していたが、いずれも営業していない。食堂営業をする東北本線のエル特急「ひばり」の編成を使う運用をしていたためだが、ほとんどの列車が運行する上野ー平間の運転時間2時間35分では、食堂営業する意味がないと判断されたものと思われる。
鹿児島本線のエル特急「有明」は、全列車に食堂車が連結されていたが、時刻表の編成表をみる限り、営業列車は10往復のうち3往復だけだったようだ。ようだと書いたのは、時刻表本文には、編成表には「営業休止」と記載された列車にもしっかり食堂車の記号がついているものがあるためだ。編成表と本文のどちらが正しかったのかはわからない。
寝台特急にも食堂車つきの列車はいくつもあったが、営業していたのは東京発着の「さくら」「はやぶさ」「みずほ」「富士」「あさかぜ1号・4号」「出雲1号・4号」に限られる。夜行列車の場合、食堂車のスタッフがひと晩拘束される。夕食と朝食の時間帯をともに走っている列車でなければ、需要も限られたのであろう。大阪ー青森間を結ぶ「日本海」にはあってもよかったのではとも思ったものだが。
個人的には、後年に登場した新幹線100系の二階建て車両の食堂車が最高だった。
高い目線から大きな窓を通して眺める景色、モーターのない付随車ならではの静かな乗り心地、華美ではないものの品のあるインテリアなど、食堂車としてこれ以上なにを望むことがあろうかと思われた。
在来線車両では、寝台兼用電車583系の食堂車は、高い天井が開放感いっぱいであった。後年、「北斗星」に電車特急の食堂車を改造して連結したとき、なんで583系車両を使わなかったのだろうと思ったものだ。
食堂車。
今や見ることはほとんどなくなった。食堂車で食事をする必要があるほど、長い時間を列車に揺られる機会がなくなったことが、その主因と言えるであろう。
昭和53年10月改正当時、東北新幹線はまだなく、仙台はもとより、盛岡や青森、秋田にも何時間もかけて走る特急列車はありふれていた。大阪から北陸方面の列車も然りである。大阪ー新潟間を特急「白鳥」や「雷鳥」は7時間10分〜30分ほどで結んでいた。これは東京経由で「ひかり」「とき」を乗り継ぐよりも速く、安い。今なら、「のぞみ」「とき」で5時間もかからないから、在来線特急では直通列車があったとて勝負にならない。長時間、列車に揺られる必要があった時代、食堂車の必要もまたあったと言うことであろう。
食堂車で思い出すのは、始発駅で列車が入線する前に、食堂車のクルーの方々がホームに待機される姿であり、列車が入ってから資材の積込作業をされる姿である。そのときだけ、クルー専用の食堂車の扉が開かれる。そして、始発駅を出発するとき、クルーの方々が食堂車車内に立って、ホームを見送る。その凛とした佇まいに、特急列車の矜持が表れていたように思われる。揺れる車内での調理や配膳には、ご苦労されることもあったに違いない。
食堂車、何もかもが、懐かしい。




