名阪急行
名古屋と大阪を移動するには。
鉄道で移動する場合、新幹線が普通であろう。
近鉄特急という手もある。
新幹線より時間はかかるが、値段は安い。
これら以外では、今はマニアックな乗継をすることとなり、現実的とはとても言えない。
昭和53年10月改正当時、名阪間の直通列車は他にあった。
急行「比叡」とエル特急「しなの」である。
下りは急行「比叡」が7時30分と16時30分に名古屋を出る。エル特急「しなの」は17時44分発。
上りはエル特急「しなの」が大阪8時30分発、急行「比叡」が12時58分と18時13分発。
所要時間は2時間半程度なので、新幹線「ひかり」の1時間7分より倍以上かかる。
近鉄特急はノンストップ便で2時間15分なので、所要時間に大差ないものの、便数と運賃・料金の安さでは勝負にならない。
急行「比叡」の運転目的はどこにあったんだろう。
ひとつ考えられるとすれば、岐阜駅や大垣駅への直通列車としての位置づけであろう。
新幹線の岐阜県の停車駅は岐阜羽島なので、県庁所在地の岐阜や大垣を通らない。不便と言えば不便である。
急行「比叡」なら、大阪・京都から乗り換えなしに行ける。これは新幹線にも、近鉄特急にもできない。
あとは、名古屋・岐阜から滋賀県内主要都市への直通列車としての位置づけもあろう。
米原ー京都間には、彦根、近江八幡、草津、大津などの都市があるが、新幹線に駅がない。これらには乗換を強いられる。急行「比叡」は一本で結んでくれる。
大阪や名古屋にこだわらなければ、近畿と中京を結ぶ国鉄の直通列車は他にもあった。
東海道本線では、飛騨古川ゆき急行「たかやま」が大阪と岐阜を結ぶ。下りが岐阜17時44分発、上りが大阪発7時58分発だったので、大阪・京都から岐阜に用のある人には使いやすい列車だったと思う。
関西本線では、急行「かすが」が名古屋と奈良を、急行「平安」が名古屋と京都をつなぐ。名古屋ー奈良間は不思議なことに上下で本数に違いがある。下りは名古屋発8時10分、13時20分、17時40分の3本に対して、上りは奈良発9時4分、11時45分、14時54分、16時29分、18時30分の5本。うち16時29分発は「かすが」ではなく、新宮発の「しらはま1号」で新宮から白浜、和歌山、五条、高田、桜井を経て奈良に至る変則急行である。上下で差があった理由はよくわからないが、新幹線で名古屋や京都から近鉄に乗り換えるのに比べれば、3本も5本も一緒と言えなくない。
名阪間の究極の直通列車は、名古屋と天王寺を夜行で結ぶ921列車と924列車であろう。
名古屋を15時19分に発てば、天王寺には翌朝5時ちょうどに着ける。天王寺を23時ちょうどに発てば、名古屋には12時59分に着ける。
ちなみに、昭和53年10月改正前、紀勢本線が未電化だったときは、特急「くろしお」は気動車による運転だった。その多くは新宮ー天王寺間の運転だったが、ただ1往復は名古屋ー天王寺間のロングランであった。下りは名古屋を9時50分発、天王寺18時14分着。上りは天王寺9時10分発、名古屋17時42分着。グリーン車2両、食堂車も連結した10両編成であった。山陰本線経由で大阪ー博多間を結ぶ特急「まつかぜ」に匹敵する酔狂な列車と言えるかもしれない。
名古屋ー天王寺を直通するのは、特急「くろしお」だけでなく、急行「紀州」の1往復もあった。
電化によって、新宮を境に東西分離の運転体系に変わった。
名阪間を通る列車を夜行まで広げると、東海道本線には多くの列車が行き交っていた。
東京ー九州間のブルートレイン、名古屋ー博多間の寝台特急「金星」、東京ー大阪間の寝台急行「銀河」の他、大阪ー長野間の急行「ちくま」が加わる。
急行「ちくま」は寝台車つきの定期列車の他、季節列車が2往復、臨時列車まであった。
大阪・京都から信州への需要は決して小さくない。夏山登山、冬のスキーなど観光、レジャー需要を満たすひとつが当時の急行「ちくま」だったと言えよう。
ただ、名阪間の足として見れば、これら夜行に役割はなかった。
寝台急行「銀河」も急行「ちくま」も、名古屋には停まってくれない。
名阪間の急行「比叡」の停車駅を見る。
名古屋、尾張一宮、岐阜、大垣、米原、彦根、近江八幡、草津、石山、大津、京都、大阪の12駅。
これが新幹線「ひかり」なら、名古屋、京都、新大阪の3駅に減る。「こだま」では名古屋、岐阜羽島、米原、京都、新大阪の5駅になる。
名古屋と京都・大阪間を移動する多くの客にとって、「ひかり」の存在はありがたい。
けれども、在来線の途中駅を乗降する客にとっては、主要駅にしか停まってくれない新幹線が便利な乗り物とは言えまい。
新幹線の開業にはこのような側面がある。
地方の衰退が言われて久しい。
新幹線や高速道は、地方の発展のために作られると言われてきた。
実際には、東京へ出かけやすくなった結果、地方から首都圏に人や企業が移っていった。短時間で行けるところに便利な都会があるなら、人は乏しい品揃えしかできない地元よりも都会に向かう。企業は拠点を置く必要が少なくなった。
在来線の急行「比叡」の停車駅を見ると、そればかりでもないように感じる。
新幹線ができるまでは、地方の隅々にまで、他と直通する列車の停車駅があった。決して多くはない利用客数であったにせよ、都会や他の地域とつながっていることには大きな意味があったろう。
新幹線は在来線のようにこまめに停まってくれない。
特急停車駅でも、新幹線の駅が置かれなければ、普通列車しか停まらない駅に落ちぶれてしまう。当然、そんな不便なところに人は寄りつかない。街は寂れる。
新幹線の拠点駅を除いて、直通できる駅がなくなったこと。
これが地方衰退の要因のひとつだったのではなかろうか。
名阪間にも、リニアモーターカーがあと何十年かすれば走る(浮く?)だろう。
京都ではなく、奈良を経由する計画だと聞く。
だとすれば、京都はどうなるか。また、奈良には「のぞみ」のような速達便が全列車停まるのだろうか。
交通は街の盛衰に関わる。興味深いところである。




