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アルプスへ

 エル特急「あずさ」もいいけれど、急行「アルプス」もわるくない。

 いかにも山へ向かうイメージがある。


 新宿発の急行「アルプス」は、エル特急「あずさ」に抜かれることなく、終着駅の松本に到着する。

 エル特急「あずさ」の停車駅が限定的であるのに対して、急行「アルプス」の停車駅はこまめである。

 八王子、大月、塩山、山梨市、石和、甲府、韮崎、小淵沢、富士見、茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷、辰野、塩尻。

 これだけ停車駅が多いと、とても使い勝手のいい急行であったであろう。

 うち3往復は急行「こまがね」を併結していた。「こまがね」は辰野で「アルプス」と分かれ、飯田線に入り、伊那市、駒ヶ根、飯田、天竜峡などに直通した。令和の今では見られない。会社が違っているためでもあるのだろうが、少しもったいない感がある。


 急行「アルプス」は夜行列車も多かった。

 定期列車は下りが「15号」「17号」の2本。上りは「18号」の1本。

 季節列車が「13号」、臨時列車は時刻表53年10月号では「53号」「55号」「57号」の3本。

 多くの登山客を乗せて、朝から山に挑む需要に応えていたのであろう。

 ただ、いずれも車両は昼間の列車と共用の電車で、寝台車はない。同じ中央本線でも、名古屋ー長野間には大阪発着、名古屋発着の夜行急行に、寝台車つき列車が運行されていたことを思うと、不思議な気がする。

 トンネル高の関係で、屋根の高い寝台車は入ることができなかったのか、はたまた、登山客の大きな荷物は狭い寝台に収まりきらなかったのか。


 当時の中央本線にあって、今にないもののひとつに、新宿発着の長距離鈍行がある。

 新宿から長野や松本に直通する普通列車が何本か運転されていた。

 下りの新宿発一番列車は6時20分発。甲府に9時12分着で、46分に発つ。上諏訪11時29分着、49分発。塩尻12時51分着。13時5分発。松本13時24分着、52分発。長野15時22分着。9時間の旅である。途中、主要駅で停車時間が長いのは、荷物車を併結していたからであろうか。

 新宿発の長距離鈍行二番列車は、12時9分発の松本ゆき。甲府に15時1分、松本には19時13分に着く。ゆったり信州にゆくにはいいかもしれない。少し遅いが、飲みに行くには不都合ない。

 三番列車は14時45分発の松本ゆき。甲府17時21分、松本21時1分着。

 四番列車は17時10分発の松本ゆき。甲府20時ちょうど、松本22時59分着。


 夜行列車もある。23時55分発の長野ゆき。大月1時44分、甲府2時51分、小淵沢5時1分、上諏訪5時57分、塩尻7時9分、松本8時2分、長野9時49分。

 この列車、週末はカオスの極みであったろう。酔客と登山客が混在する車内では、すっかりできあがったおじさんが、登山に向かう人に「どちらまで?」から始まって、「ご苦労なことですなあ」みたいな話になり、意気投合して杯を重ねるなんてこともあったかもしれないし、くたくたになった若手が登山客を横目に人生の意味を再考するなんてこともあったかもしれない。

 乗り過ごし客は、もう盛大にあったに違いない。夜を徹して果てしなく進むのだから、大月どころで収まることはない。聞いたこともない駅名表を見て我に返り、驚愕し、狼狽し、己の今いる場所をようやく確認し、痛む頭で自虐しつつ帰宅の方法を思案したことであろう。なるようになれとばかりに、もうひと眠りする豪傑もいたやもしれぬ。

 明らかな通勤客が無残な姿になって甲斐路を揺られている。という状況を、車掌さんはどんな目でみていたのであろう。ご苦労が偲ばれる。

 列車は大月で7分、甲府で25分、小淵沢で13分、上諏訪で49分、停車する。帰宅客と登山客を乗せた列車は、信州の始発列車に表情を変えて、全く性格の異なるお客を乗せて、清々しい信濃路を駆けたにちがいない。もっとも、松本への通勤・通学客にとっては、夜行客が残した諸々に「あーあ」と思うことがあったであろうし、あるいは人間らしい一面が垣間見えて、笑ってしまうこともあったかもしれない。


 ところで。

 中央本線は実に特異な路線だと思う。

 路線には下りと上りがある。東海道本線の場合、東京から神戸方面に向かうのが下りであり、神戸から東京方面へ向かうのが上りである。東北本線の場合は、東京から青森方面へ向かうのが下りで、青森から東京方面へ向かうのが上り。

 中央本線は、東京と名古屋を信州経由で結ぶ路線である。東京から信州方面に向かうのが下りで、その逆が上りであるのだが、信州から名古屋に向かう段になると、上下が逆転する。路線の途中で上下が逆さまになるなど、他に類例がない。

 昭和53年10月改正時点でも、東京から信州を越えて木曽谷方面に直通する列車も、名古屋から信州を越えて甲斐方面に直通する列車もない。ましてや、中央本線経由の新宿発名古屋ゆきなどあろうはずもない。

 東海道新幹線が東京ー名古屋間を2時間1分で結んでいるのに、信州経由の在来線直通列車など運転するはずがない。などと言うなかれ。当時、山陽新幹線が3時間24分で結ぶ新大阪ー博多間には、山陰本線経由で12時間以上もかけて特急「まつかぜ」が走っていたのだから。


 路線名について言えば、時刻表の新宿ー松本間は「中央本線」と記載されている。

 なので、松本まで中央本線だと信じている人は少なくないだろう。

 けれど、中央本線とは東京から信州を経て名古屋へ向かう路線の名称であるため、新宿からの列車と名古屋からの列車が合流する塩尻までが中央本線で、塩尻ー松本間は篠ノ井線になる。本当なら、「中央本線・篠ノ井線」と記載すべきであるはずであろうが、ひとつには篠ノ井線部分がわずか4駅13.8kmしかないので、省いたものと思われる。ただ、(新宿ー塩尻ー松本)と追記されているので、暗に塩尻ー松本間は、中央本線ではないことを主張しているのであろう。

 このあたり、上野ー新潟間の記載頁において、東北本線の範疇にある上野ー大宮間があるにもかかわらず、東北本線の記載がないことと同様の措置と言えよう。

 いずれも、利用者にとっては、それを知らないから不便を覚えるものでも、不利益を被るものでもない。得意げに蘊蓄を語ろうものなら、怪訝な顔をされそうな話でもある。

 ちなみに、当時の塩尻駅は、東京方面から名古屋方面へ直通できる配線となっていた。

 なので、名古屋方面から北上してきた列車が松本方面に向かうには、塩尻駅で方向転換する必要があった。中央本線が東京から名古屋に至る路線であることの証左とも言えた。

 今は名古屋方面からでも松本方面へ方向転換なしに進めるよう改められている。線路構造からも、東西が塩尻で分断された格好となった。


 新宿発着の中央本線を語る上で、外すことができないのは、大糸線であろう。

 夜行列車、急行「アルプス15号」がめざすところは、豊科、信濃大町、白馬、信濃森上にあっただろうし、季節列車「アルプス13号」、臨時列車「アルプス55号」も大糸線内各駅を目的としていたであろう。

 登山客、スキー客を満載していたものと思われる。

 エル特急「あずさ」は1往復が大糸線まで入線していたが、運転日は限られていた。

 名古屋からは急行「つがいけ」が每日乗り入れていた。

 大阪からは急行「くろよん」が臨時列車として直通していた。この列車は大阪発が夜行列車で、大阪ゆきが昼間列車という特異な運転形態であった。

 他に、金沢から急行「白馬」も入線していた。この列車は青森ゆきの急行「しらゆき」に糸魚川まで併結する。日本海沿いに北の果てを目指す急行と、標高の高い地域を目指す急行が一緒になって北陸の古都を旅立つわけだ。急行「白馬」は大糸線全線を縦断する唯一の列車でもある。今となっては、かような列車は、もう望むべくもないのかもしれない。


 つい最近に、夜行「アルプス」が限定的に復活することが話題になった。

 リニア中央新幹線が開業した後の中央本線の立ち位置がどうなるのか、定かではないが、甲府はともかく、諏訪や松本を通るわけではない。末永く在来線の形態で残り続ける路線であるだろう。

 古き良き鉄道の雰囲気を最後まで残す路線となるかもしれない。

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