8 これからのこと
それから真紀は、恵子の案内で森を抜けて小さな町へやって来た。
恵子と隆弘は町長の家にお世話になっているらしく、真紀と莉愛は風呂に入れてもらい、清潔な服を貸してもらった。それから食事も振る舞われ、ようやく人心地ついた気分である。
こちらの世界へ来てから食事を取っていなかったから、真紀も莉愛も酷い空腹状態だったのだ。
異世界の食べ物なんて口にしても大丈夫だろうかと警戒していたが、特におかしな味や匂いもしなかったし、見た目にも問題はなかった。
「まさか二人もこの世界に来ていたなんてね」
食事を終えて一息ついた真紀達に、恵子は改めて話しかけてきた。
「私もびっくりだよ……まさか、こんなことが起きるなんて」
出されたお茶をすすりながら真紀は呟く。正直、まだ頭の中は整理しきれていない。
気が付けば見知らぬ土地で目を覚まして、魔女の生み出したとか言う恐ろしい化け物に襲われて、紆余曲折の末に蓮也とはぐれてしまったのだ。
真紀がどうにか自分達の身に起こったことを説明すると、恵子は深刻そうな表情を浮かべた。
「大変だったんだね……それに、蓮也くんは」
真紀は俯いてしまう。蓮也のことを考えると、不安で胸が押し潰されそうになる。
「真紀達を襲った『魔女の影』っていうのは、魔女の使い魔みたいなものらしいよ。本物の魔女ほどの力は持っていないけれど、それでも普通の人間にとっては危険な存在だって、町の人達は言っていたよ」
恵子の説明を聞いて真紀は納得した。
確かにあの時、あの女から底知れない恐怖を感じた。だけどなぜそんな存在があの場所で自分達を襲って来たのだろうか。
「とにかく二人だけでも無事でよかったよ」
「うん。ありがとう、恵子」
真紀が微笑みかけると、恵子は少し照れたような表情を浮かべる。
それにしてもあの状況でよく助かったものだ。魔女の影によって自分達は上空へと飛ばされて、そのまま気絶してしまったのだ。
「どうしてあんな場所に魔女の影がいたんだろう……それに、ここはあの枯れ木だらけの森からは随分離れた場所みたいなのに、どうして私達はこの場所へ来ちゃったのかな」
「もしかしたら、女神様の加護のおかげかも」
「え?」
「私達は女神様によってこの世界へ召喚されたわけでしょ。だから、何かしら女神様の力が働いているんじゃないかなって」
言われてみれば、それもそうかもしれない。
自分達がこうして無事に再会できたのは奇跡に近い出来事だと言える。それが女神の力によるものなのだとしたら辻褄が合う気がした。
「それより、まさか藤木さんが聖女様だったなんてね」
莉愛が刺々しい口調で言うと、恵子は困ったような表情を浮かべた。
「うん……そう、みたい。私自身も驚いてるんだけど」
「ふーん」
莉愛は面白く無さそうな顔で恵子を睨んでおり、彼女は居心地悪そうにしている。
「……恵子と香坂くんは、この世界に来てすぐに合流できたの?」
「つーか、目を覚ましたらすぐ横に藤木がいてさ」
真紀の問いに隆弘が答えた。
「俺らは、さっきお前らがいた森で倒れていたんだよ。で、この町の連中に助けられてさ」
「ここの人達はみんな親切にしてくれたよ。ここがどんな世界なのか、今何が起きているのかも、色々教えてくれたの」
説明をしながらも、恵子の表情はどこか暗い。
「この世界へ来た時、不思議な夢を見たんだ。夢の中で、私は女神様の啓示を受けたの。聖女としてこの世界を救ってほしいって」
そう言いながら恵子は左側の袖を捲り上げる。彼女の白い肌には不思議な形の痣のようなものが刻まれていた。
「何これ? こんな物、なかったよね?」
恵子の腕に刻まれた謎の模様を見て、真紀は首を傾げる。
まるで花が咲くところを象ったかのようなそれは、真紀の記憶の中にはないものだ。
「夢の中で女神様に刻まれたものなんだ。目を覚ました後もずっと消えずに残っていて……町の人は、これは『女神様の紋章』だって言ってた」
そう言いながら、恵子は紋章を見つめている。
「聖女の体には必ずこの痣が現れるんだって。だから町のみんなは私を聖女だと信じているみたい」
そう語る恵子は、自分自身の状況に困惑しているみたいだった。
「で、なんで私達まで巻き込まれなきゃならないわけ?」
莉愛が不機嫌さを隠そうともせずに恵子に尋ねる。
「私達は聖女様のお供として呼ばれたみたいだけど……なんで他の人じゃなく、私達が選ばれなきゃいけなかったのよ」
「それは……わからないよ。私も、どうしてみんなが一緒に来てしまったのか知りたいくらいだし」
「はぁ? ふざけてるの?」
「ちょっと樋口さん、そんな言い方はないでしょ」
あまりにもきつい莉愛の態度に耐えかねて真紀は声を上げるが、当の本人は気にした様子もない。
「本当のことでしょ? 私達がいきなりこんな世界に飛ばされたのは藤木さんのせいじゃないの?」
「それは……ごめんなさい。巻き込んじゃって」
「まったくよ。どうしてくれんの?」
謝られてもなお、莉愛は責めるような視線を向ける。
あまりの剣幕に恵子は気圧されてしまったらしく、反論しようともせずに黙っていた。
「お前、いい加減にしろよ」
話を聞いていた隆弘が割り込んで来る。
「藤木だって好きでこんなことになった訳じゃねーだろ。あんまり責めてやるなって」
「別にそんなつもりじゃないんだけど」
「じゃあどんなつもりだったんだよ」
「ねぇやめて。もう喧嘩しないで」
二人の会話に恵子が割って入った。莉愛はそっぽを向いてしまい、隆弘も不満げに舌打ちをする。
「……それで、これからどうするの? 元の世界に戻る為には、選ばれし者が使命を果たす必要があるという話だけど」
真紀は話題をそらすことにした。
選ばれし者というのが恵子なのは理解している。
彼女に与えられた使命が、世界を救うこと。つまり、この世界を危機に陥れようとしている魔女を倒すことだということも。
(でもそんなこと本当にできるの? それこそ恵子みたいな虫も殺せないような子に)
彼女の顔を見つめていると、視線に気付いた彼女が少しだけ笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。頑張るから」
「頑張るって……すごく危険なことなんだよ」
真紀は魔女の影に襲われた時のことを思い出す。あの化け物は普通の人間では太刀打ちできないほどに強いのだ。
それこそあのローブの連中が手も足も出なかったくらいだ。そんな相手の本体とも言える魔女と戦うなんて、とても正気の沙汰とは思えない。
「うん。わかってる。それでも、誰かが戦わないといけないんだよ」
「それは……そうだけど、他に方法はないのかな」
「わからない。でも聖女である私が魔女を倒さないと、この世界は大変なことになってしまうから」
恵子の言葉を聞いて真紀は口をつぐむ。
確かに魔女を放置しておけば、この世界の人達が危ないかもしれない。だけど、そのために友人を危険な目に遭わせるなんて嫌だ。
「ねぇ恵子、それは」
「藤木がそんなことまでやる必要ねーだろ」
真紀の言葉を遮るように、隆弘が口を挟んだ。
「わざわざこっちの世界の連中の為に、藤木が危ない目に遭う必要ないって」
彼の言葉を聞いて恵子は意外そうに目を丸くした。
学校では恵子のことを陰キャだとか言って馬鹿にしていたのに、こうして心配してくれるなんて思わなかったのだ。
「あ……ありがとう香坂くん。でも私が使命を果たさないと元の世界に戻れないみたいだし。みんなだって、早く家に帰りたいでしょう」
隆弘は言葉を詰まらせるが、すぐに真紀の方へ向き直った。
「瀬川もなんか言ってやれよ。藤木に危険なことさせらんねぇだろ」
「それは」
「お前ら仲いいんだろ、だったら藤木を説得してくれよ」
焦燥した様子で訴えかけている隆弘に、莉愛が怪訝そうな顔をする。
「あんたどうしちゃったのよ、そんなにムキになって」
「別に……なんでもねぇよ」
そう言いながら彼はどこか居心地が悪そうにしている。
なんとも言えない空気の中、そのまま隆弘は席を立ってどこかへ行ってしまった。
「あ、ちょっと待ってよ!」
莉愛も彼の後を追い掛けて行ってしまい、残されたのは真紀と恵子だけだった。
「彼、どうしちゃったんだろう」
「わからないよ。まさか彼が私を気遣ってくれるなんて」
今まで散々悪態ばかり吐かれていたのに、急に態度が変わったことに二人は戸惑ってしまった。
「とにかくね、私は魔女を倒すために出来る限りのことはやるつもり」
「って言われても……具体的に、どうするの?」
「魔女の闇を浄化する為には、各地にある女神様の神殿を回らないといけないんだって」
恵子は女神の紋章が刻まれた腕をそっと撫でながら、夢の中で女神様に言われたことを真紀に語って聞かせてくれた。
――この世界では遥か昔から女神様に守られており、あちこちに女神様を祀る神殿が点在しているらしい。
そこに聖女が訪れ、祈りを捧げることで女神様の加護を受けることができると言われている。
全ての神殿を回った者は最果ての地にある聖地で、直接女神様と対話ができる権利を得ることができる。そこで女神様から魔女と対峙する力を与えてもらい、そして魔女を打ち倒すことが聖女の役目だという。
「……町の人達の話によると、これまでも世界には何人かの聖女が現れていたみたい。みんなも女神様の神殿を巡って魔女と戦う力を手にしたんだって」
恵子は真剣な表情で言う。
まるでゲームの設定みたいな内容だが、実際に聖女として選ばれた恵子はその話を疑うことなく信じているようだ。
「だから、まずはここから一番近い神殿に行かなければならないの」
恵子は冷静に説明してくれるが、真紀の頭は混乱していた。
魔女と戦うのは命懸けになるかもしれない。きっと各地の神殿を巡る旅だって大変なものになるはずだ。
ごく普通の高校生の肩に背負わせるにはあまりにも重すぎる。なのに、どうして彼女はこんなにも落ち着いていられるのか。
「恵子……私は嫌だよ、友達が危険な目に遭うのは」
真紀が必死に訴えても、恵子の顔色は変わらない。彼女はただ静かな眼差しで真紀を見つめている。
「魔女を放っておいたら私達はいつまで経っても元の世界に戻ることができないよ。確かに私も納得できないけど……でも文句を言っていたって始まらないもの」
(そんなこと、わかってる。だけど)
恵子の言葉を聞いている内に、真紀の胸の中には不安と恐怖が入り混じったものが生まれ始めていた。恵子は少しだけ悲しげに微笑むと、ゆっくりと語り始めた。
「……正直言って、ピンとこないよね。そもそも私はこの世界の人間じゃないし、魔女のこともよく知らないし」
そんな風に語っている彼女の目は、ここではないどこか別のところを見ているようにも思える。
「それでもこのまま何もしないのは、よくないことだって思うの。漠然とした気持ちだけど、きっとこれが正しい選択なんだと思う」
恵子の瞳は揺らぐことのない信念を抱いているように見えた。
何が彼女にここまでのことを言わせているのか、真紀には感じ取れない。何か大きな力が動いているような気がしてならないが、それが何かはわからない。
ただの使命感によるものなのか、それとも他に理由があるのか。
彼女を引き留めることができない自分が歯痒くて、真紀は唇を噛み締めた。