7 再会
真紀は夢を見ていた。
何度も何度も、この夢を見たような気がする。
真紀は隣を歩いている少女の横顔を見つめていた。
彼女はいつものように明るく微笑んでいて、真紀も自然とその笑顔に惹かれるように笑い返すのだ。
(明美……)
心の中で彼女の名前を呟いた。
それは中一の夏休みを控えたある日のことだ。その日は二人でプールへ行って、夕方近くまで一緒に遊んだのだ。
夏休みの計画を立てながら帰り道を歩いていたその時、明美が突然立ち止まった。
『あれは』
彼女はいきなり、何もないはずの空間に向かって指を差す。
真紀にはそこに何があるのか見えなかった。
だけど、彼女がそこをじっと見据えていることだけはわかる。
『待って!』
いきなりそう叫ぶや否や、次の瞬間には明美は真紀の手を振りほどいて一人で走り出していた。
『あ、明美?』
真紀は慌てて彼女の後を追いかける。
『ねぇ明美、一体どうしたの? 明美!』
どれだけ呼び掛けても明美は答えてくれず、ただ興奮した様子で走り続けていた。
そのまま明美が道路に飛び出してしまった直後、大きなトラックが迫ってきて――。
「ッ!」
真紀は目を覚ました。
全身にじっとりと汗をかいていて気持ちが悪い。それでもなんとか今の状況を把握しようと辺りに視線を巡らせる。
「ここは、一体?」
ぼんやりとした思考のまま真紀は呟く。
温かい日の光が差し込んでおり、周囲には木々が生えているようだ。どうやら森の中にいるらしい。
まだ頭が上手く働かず、自分がどうしてこんなところで倒れていたのか思い出せない。
「う……うぅーん」
すぐ近くで声が聞こえてきた。
目を向けると、そこには莉愛の姿があった。彼女は苦しそうに眉間にしわを寄せて眠っており、真紀は慌てて彼女の肩をゆすった。
「樋口さん、起きて! しっかりして」
けれど真紀が困惑しながら彼女の体を揺すり続けていたその時、いきなり何者かに声をかけられた。
「おい……お前ら、何をしている?」
「え?」
振り返ると、そこに立っていたのは数人の子供だった。
彼らは二人を囲みながら皆一様に真紀達を睨んでおり、中には石を投げつけようとしてくる子もいた。
「ちょ……ちょっと、やめてよ」
真紀は戸惑いながら言うが、子供たちは聞く耳を持たない様子である。
「うるさい! お前らが悪魔の手下だってことはわかっているんだぞ!」
真紀はわけがわからずに呆然とするしかなかったが、そんな彼女に構わず子供達は次々と石を拾って投げつけてくる。
「痛っ」
「うっ……ん?」
もぞもぞと莉愛の体が起き上がると、彼女も何事かと辺りを見回す。
「あれ? ここどこ?」
「わからないけど、なんか変なことになってるみたい」
真紀は改めて子供達に視線をやる。
彼らの表情は明らかに怯えている様子であり、明らかに敵意を感じ取れる。
「あなた達、一体なんのつもりなの?」
真紀が聞くと一人の男の子が答えた。
「お……俺達は、町を救おうと思って」
「それが私達とどんな関係があるの? いきなりこんなことしてくるなんて、親はどういう教育をしてんのよ」
莉愛が明らかに怒った口調で言うと、他の子が恐々と口を開く。
「だってお前達、悪魔の指輪をしているじゃないか!」
「は? なにそれ?」
「目的はなんだ! どうしてここに来た!」
「知らないわよそんなの。気づいたらここにいたんだから!」
莉愛が言い返すと、子供の一人が泣き出しそうな顔で言った。
「嘘をつくな! 本当は悪魔の手先なんだろ!」
「だから違うって言ってんでしょ!」
「うるさいうるさーい!」
そう叫ぶや否や、その子供は足元の石ころを拾い上げて勢いよくこちらに投げつけた。
「きゃっ」
莉愛は小さく悲鳴を上げるが、その時彼女の付けていた指輪が輝いてその手に杖が握られていた。子供が投げた石ころは杖から放たれた魔法によって粉々に砕け散ってしまう。
「ひっ」
子供達はびくっと震えて後ずさりをする。
「や……やっぱり、悪魔の手先なんだ!」
「もう、いい加減にしてよね! 痛い目に遭いたいわけ!?」
莉愛は杖を握りしめたまま怒鳴るが、子供達は怯むことなく次々に石を投げ始める。
「ちょっと、痛ッ! やめなさい!」
「お願いだから落ち着いてよ!」
真紀は必死に叫ぶが、まるで効果がない。
莉愛も挑発してしまった手前どうすればいいのかわからないみたいで、困ったように杖を構えて立ち尽くしていた。
「話を聞いて。そもそも私達は、女神様に召喚された異世界の者よ」
「そんなの嘘だ! ならなんで悪魔の指輪をつけているんだよ!」
彼らがさっきから言っている悪魔の指輪というのは、エリィに渡されたこの指輪のことだろう。
困惑、恐怖、他にもいろいろな感情の入り混じった声と視線が突き刺さってくるのは、なんだか嫌な感じである。
このままではらちが明かないが、と言って下手に刺激をするのもよくないだろう。そう思って真紀が思考を巡らせていた、その時だった。
「ねぇ、なんの騒ぎ?」
聞き覚えのあるその声に、真紀の心臓は大きく跳ね上がった。
子供達も驚いたようで一斉にそちらに目を向ける。
現れたのは胸元に大きなリボンが付いた白いブラウスに、花の模様の入った青いロングスカートを身に着けた少女だ。長い三つ編みをサイドテールにし、どこか優雅な雰囲気を纏わせている。
「あ……ッ」
彼女は目を丸くすると、真紀達の方へと駆け寄ってきた。
「真紀! それに、樋口さんも!」
そう叫んだのは紛れもなく、真紀の友人――藤木恵子であった。
「うそ……恵子?」
「ずっと心配してたんだよ! 大丈夫だった?」
恵子は真紀の手を取りながら言うと、子供達の方に向き直る。
「あなた達、いきなりこんなことしてどういうつもり?」
「で、でもこいつら、悪魔の指輪を付けていたんです」
一人が怯えながらも反論するが、恵子は毅然と言い放つ。
「この人達は私の友人よ。危険な存在じゃないわ」
「で、でもぉ」
「大丈夫。私が保証するから。ね?」
「……はい」
恵子に優しく微笑みかけられて、子供達は渋々ながらも納得した様子である。
「二人ともごめんなさい」
「恵子のせいじゃないよ。気にしないで」
「そうね。一体どういう勘違いをしたのか知らないけど、人の話をろくに聞かずに一方的に石を投げてくる失礼な子供の方が悪いわ」
莉愛の言葉に子供達は気まずげに俯きながらも、もごもごと何か呟いている様子だが、小さすぎて聞こえない。
「え? なんて言った?」
「ご……ごめ、なさい」
「聞こえないんだけど!」
「ごめんなさいぃ!」
子供達はワッと泣き出してしまう。
「樋口さん、あんまり責めちゃダメだよ」
真紀は莉愛を諭すが、彼女は不服そうにするばかりだ。
「ケイコさまぁーあいつ怖いよぉー」
子供達は恵子に泣きついた。
恵子は子供達をあやしながらも、こちらに視線を向けてくる。
「二人とも、嫌な思いをさせちゃって本当にごめんね。とにかく無事に会えてよかったよ。近くに町があるから、そこでゆっくりお話ししよう」
「う……うん。でも」
真紀は周囲を見回す。
そこはいかにも穏やかな森といった感じだが、その景色の中に弟の姿は見えない。
あの時――魔女の影と呼ばれていた女に襲われた時に、蓮也と離れ離れになってしまった。彼は今頃どうしているだろうか。
「真紀、どうかしたの?」
「実は……」
「ってゆーか、随分その子達に懐かれているのね。しかもケイコ様なんて呼ばれちゃってさ」
莉愛が皮肉っぽく言うと、恵子は複雑そうな表情を浮かべる。
「うん。色々あってね」
「ケイコ様は選ばれた聖女様なんだぞ!」
「聖女……って」
真紀は思わず恵子の顔を見つめてしまう。
やっぱり、彼女こそが女神によって聖女として召喚された人物だったのだ。莉愛もそのことに気付いて、少しだけ不機嫌そうな顔になる。
「マジで藤木さんが聖女様だったってわけ?」
「樋口さん?」
彼女の口調は荒く、明らかに敵意が込められていた。
「私達がこっちの世界へ来ちゃったのは、藤木さんのせいってことじゃないの?」
恵子を睨みながら莉愛はかなり強い調子で言う。
「あの……それは」
「ちょっと樋口さん、いくらなんでもそんな言い方は」
「だって、そもそもこの世界に来たのは藤木さんが女神に選ばれたからなんでしょう? それで私達まで巻き込まれるなんて納得がいかない!」
莉愛がさらに語調を強めると、恵子は悲しげに顔を伏せてしまった。
見かねた真紀が慌てて彼女を庇おうとした、その時だった。
「おーい藤木ーどこだー?」
遠くから聞き覚えのある声がして、一同はそちらに目を向ける。その少年はのんきそうな笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってくる。
「んだよ、こんなとこでガキどもと遊んでたのか」
真紀の記憶しているよりもかなり柔らかい口調でそう言いながら現れたのは、やはり真紀のよく知る人物であった。
「どーしたんだよ藤木。そんな辛気臭いツラしやがっ……て」
そこでようやく、彼は真紀と莉愛の存在に気付いたようだ。
「なっ、莉愛! それに、瀬川!?」
「隆弘!?」
莉愛は驚きの声を上げる。
それは莉愛と一緒によく真紀達をからかっていた、クラスメイトの香坂隆弘だった。
「なんでお前らがここにいるんだよ?」
「それはこっちの台詞よ! あんたまでこっちの世界へ来ちゃったわけ?」
動揺しつつも莉愛は答え、同じく困惑しながらも真紀は言った。
「私達は女神様に召喚されてこの世界にやって来たのよ」
「な……マジ、かよ」
隆弘は唖然とした様子で真紀と莉愛を眺めている。
「ともかく、場所を変えましょう。ここじゃ落ち着いて話せないだろうし、それに真紀も樋口さんも疲れてるみたいだから」
「あ……ああ、そうだな」
恵子の提案に、隆弘は同意する。
周りの子供達は心配そうに真紀達の方を見ていた。
「ほら、お前らもさっさと帰れよ。いつまでもこんな場所うろついてんじゃねーぞ」
「なんだよタカヒロ偉そうにして」
「るせーな。いいからさっさと行け」
子供達を追い払うように手を振る隆弘を見て、真紀は違和感を覚える。
「香坂くん……その子達の言葉がわかるの?」
「は? 何言ってんだ。当たり前だろ」
隆弘は怪訝な顔で答えると、興味なさそうに子供達と一緒にその場から去っていく。
(どういう、こと?)
真紀は混乱する頭の中で必死に思考を巡らせる。
隆弘はこの世界の住民達と言葉が通じ合い、会話も成立していた。
蓮也の時とは違う。彼は全くと言っていいほどこちらの世界の者と互いに意思疎通が取れていなかったのに。
彼らの話す言語すら理解出来ていなかった蓮也と、普通にコミュニケーションが取れている隆弘。
これは一体どういうことなのか。
「真紀? 大丈夫?」
「う……うん」
釈然としない気持ちを抱えながらも、真紀は恵子と共に歩き出した。