61 英雄との戦い
真紀たちがパニックになっている間に、蓮也とエリィはアルベルトとの戦いを始めてしまった。
「蓮也、エリィ!」
結界に捕らわれた真紀は必死に叫ぶ。
二人は連携を取りながら、アルベルトに攻撃を続けていた。エリィが魔法でアルベルトの気を引き付け、その隙に蓮也が彼との距離を縮めていく。
アルベルトは二人の攻撃を上手く捌いていたが、やがて蓮也の魔法攻撃に押される形で後退していった。
しかしアルベルトもそう簡単には倒されてはくれない。
彼は着実に反撃を繰り出し、三人の戦いは激しさを増していく。
「やっぱ腐っても英雄ってわけか。強いな」
「そうね。今まで相手にして来た連中とは格が違う」
蓮也の言葉にエリィは頷いた。
アルベルトは冷静な眼差しで蓮也たちを見つめている。
「どうやら、キミたちを見くびっていたようだ」
彼はそう言って、剣を持った右手をゆっくりと下ろした。蓮也とエリィは警戒態勢を崩さないまま、相手の様子を窺っている。
「少し、本気を出させてもらうよ」
アルベルトはそう言うと、敢えて剣を指輪に収納した。そして代わりに、彼は魔力を両腕に集中させる。
「なんだあいつ、武器をしまったぞ」
結界の中で戦いを見守っていた隆弘が、怪訝な表情を浮かべる。
「まさか、素手で戦うつもり?」
莉愛も同じように不思議そうな顔をしている。だが彼がこの状況であの二人を舐めてかかるような真似をするとも思えない。
アルベルトは冷静な眼差しで蓮也たちを見つめていた。彼は右手に魔力を集中させると、いくつもの風の刃を生み出すと蓮也たちに向かって次々と放った。
「っ!」
エリィが慌てて魔法を放つ。だがアルベルトの攻撃は強力で、彼女の魔法では相殺しきれなかったようだ。
「きゃああっ」
「この程度じゃ、僕の足元にも及ばないよ」
アルベルトは冷たく言い放ちながら、さらに魔法を放つ。
蓮也は攻撃を避けようと試みるが、アルベルトの方が速い。彼の放った風魔法が蓮也の体を直撃した。
「ぐあっ!」
蓮也は苦痛に顔を歪める。だが、アルベルトは容赦なく追撃を加えていく。その素早い動きに翻弄され、蓮也は徐々に追い詰められていった。
「やばいってこれマジやばい! アレ強い!」
蓮也は焦った様子で叫ぶ。台詞そのものはのんきではあるが、その表情は真剣そのものだ。
「キミたちの力はこんなものか?」
アルベルトは淡々と言う。エリィは杖を構えながら、厳しい表情でアルベルトを睨みつけた。
「なら、これでどう?」
エリィは杖を振るい、巨大な岩の塊のような物を呼び出した。そいつはいくつもの岩石を組み合わせ、まるで巨人のような姿を形作っていく。
「行きなさい!」
エリィは岩石の巨人に命令を下す。
重々しい咆哮を上げながら、岩石の巨人はアルベルトに向かって拳を振りかざした。さすがに自分の倍以上の大きさのある相手と戦うのは不利だと思ったのか、アルベルトは咄嗟に後ろに飛び退いた。次の瞬間には、岩石の拳が彼のいた地面に叩きつけられていた。
「今のは少し危なかったな」
アルベルトは冷静に呟いたが、その表情には僅かな焦りが見えた。
「す、すっげー! あんなデカイの召喚できんのかよ!」
隆弘が興奮した様子で叫ぶ。エリィは油断なくアルベルトを見つめ、さらに次の攻撃を仕掛けようとしていた。
「やれ!」
エリィは命令を下す。
巨人はアルベルトに向かって再び拳を振り降ろした。アルベルトは咄嗟に両腕をクロスさせて魔法の盾を展開すると、その攻撃を受け止める。
「くッ」
アルベルトは小さく呻き声を上げた。巨人の攻撃はかなり重いらしく、彼は苦悶の表情を見せている。だがそれでも彼は倒れずに耐え切った。
「うわー、今のを受けて『くッ』で済むなんて、英雄ってやっぱすごいね」
口調だけは相変わらず呑気だが、蓮也も余裕はないようだ。
「次は殺す気で行くわよ!」
物騒なことを言いながら、エリィは杖を構えて威嚇する。
「答えて、あなたは何のつもりでこんなことをしているの!?」
彼女の問いに、アルベルトは無表情のまま答える。
「僕はただ、自分の役目を果たしているだけだよ」
「役目? それは何?」
「答える必要なんてない」
「なら、力ずくで聞き出すまでよ!」
エリィは再び岩石の巨人に攻撃をさせる。
だがアルベルトは今度は避けようとせずに、両手を前へと突き出す。次の瞬間、彼の手から凄まじい勢いで炎の槍が放たれた。岩石の巨人は胸を貫かれ、そのまま後ろに倒れてしまう。
「そんな、一撃で!?」
エリィは信じられないといった表情で、倒れた巨人とアルベルトを見比べた。
「キミの呼び出した悪魔は、確かに強いよ。だけど僕の敵じゃない」
アルベルトはそう言って、エリィに向かって魔法を放った。
「きゃああ!」
直撃を受けたエリィが悲鳴をあげて吹き飛ぶ。
今の攻撃で岩石の巨人も消えてしまい、エリィ自身もかなりのダメージを受けてしまった。
「この程度か」
アルベルトはつまらなそうに呟くと、今度は水の魔法を刃のようにして放った。蓮也はエリィの前に飛び出して、その攻撃から彼女を庇う。
「ぐあっ!」
水の魔法は蓮也の背中を直撃した。アルベルトはその隙を見逃さず、次々と魔法を放っていく。
「まだやるつもりかい?」
アルベルトは静かに問いかける。
結界の中で見ていた真紀たちは、ただ呆然と戦いを見守るしかなかった。
「蓮也、エリィ」
真紀は祈るような気持ちで二人の名前を呼ぶが、二人は苦しそうに呻くだけで身動きが取れないようだ。
「くそ、見てらんねーぜ!」
隆弘は剣を振るい、結界を解こうと試みる。だが、やはり結界は壊れない。
「蓮也、蓮也ぁ!」
真紀は悲痛な声を上げる。蓮也は体を引きずりながらもなんとか杖をアルベルトに向けた。
「……まだ、終わってないよ」
蓮也の目には強い意志が宿っているように見える。だが、彼は地面に倒れているエリィのことが気にかかっているらしく、彼女を庇うようにしてアルベルトと対峙していた。
「くらえ!」
蓮也は杖に魔力を集中させ、アルベルトに向かって魔法を放った。だがアルベルトはそこへ魔法をぶつけて、蓮也の攻撃を打ち消した。
「キミの攻撃は凄いな。でも、僕には届かない」
アルベルトは冷静に言って、蓮也に向かって手をかざす。いくつもの風の刃が発生し、凄まじい勢いで蓮也に襲いかかった。
「っ……!」
蓮也は咄嗟に避けようとしたが、すぐそばで倒れているエリィを見捨てることができなかった。彼は魔法の盾を張り、エリィを守る。
「蓮也!」
真紀が叫ぶ。だが彼はアルベルトの攻撃を防ぐので精一杯のようだ。
「キミ一人なら、まだ僕とやり合えたかもしれないね。でも彼女を庇いながらでは、勝ち目はない」
アルベルトの言葉を受けて、蓮也は悔しそうに唇を噛む。
「レンヤ……私のことは、いいから……」
エリィが掠れた声で言うが、蓮也は静かに首を振る。
「さすがにそうもいかないって。キミには色々と助けられたわけだし」
蓮也はエリィに笑いかける。だが、その笑顔もどこか弱々しいものだった。
「お願い、もうやめてよ!」
真紀は焦燥感に駆られながら必死に叫ぶが、アルベルトは冷めた眼差しを真紀に向けただけだった。
「そうだね……そろそろ終わらせてあげるよ。次でとどめだ」
アルベルトは両手をかざすと、再び魔力を集中させる。彼の手元に赤い光が集い始め、徐々に炎の塊となっていく。どうやら彼はまたあの炎の槍を放つつもりのようだ。
(あんなものをくらったら、蓮也が死んじゃう)
真紀は顔を真っ青にしながら蓮也に呼び掛ける。
「蓮也逃げて! 早く!」
だが彼はその場から動こうとしない。エリィを庇うようにして、アルベルトに杖を向けているだけだ。
「あぁ……もう、畜生……」
蓮也は深呼吸して、ぎゅっと杖を握る手に力を込める。
「使いたくない……あれだけは使いたくない。死んでも……絶対に……ッ!」
蓮也は震える声でぶつぶつと何かを呟いている。アルベルトはやや怪訝な表情を浮かべた。
「何か策があるのかい? 僕は構わないけれど」
アルベルトがそう言うと、蓮也は首を左右に振って答える。
「やらないから、あんなの」
蓮也は自分に言い聞かせるように言う。
彼はキッとアルベルトを睨みつけると、ゆっくりと呼吸を繰り返しながら魔力を高めていく。
「そうか。なら、これで終わりだよ」
アルベルトは蓮也に向けて炎の槍を放った。それと同時に蓮也も魔法を放つ。
「くらえ!」
二人の魔法が勢いよく激突する。その衝撃によって激しい爆風が巻き起こり、真紀たちのいる結界まで届いてきた。
「きゃああぁ!」
真紀は莉愛と抱き合うような体勢で悲鳴を上げる。三人を捕えている結界が激しく振動し、ビシビシと音を立てていた。
「れ……れん……、きゃあッ!」
真紀が蓮也の名を呼ぼうとした次の瞬間、結界は粉々に砕け散った。そして突風のような衝撃波に飲み込まれ、三人は吹き飛ばされる。
「痛て……ッ、莉愛、瀬川、大丈夫か!」
隆弘は地面に叩きつけられながらも、なんとか起き上がり莉愛と真紀に声をかける。
「えぇ、大丈夫」
「私も平気だよ」
二人は答えつつ身を起こした。けれど、目の前の光景を見て言葉を失う。蓮也がエリィを庇うようにして倒れていたからだ。
「蓮也!」
真紀は慌てて蓮也の元へ駆け寄る。隆弘と莉愛もそれに続いた。
「蓮也、しっかりして!」
真紀は蓮也を抱き起こすが、反応がない。彼は意識を失っているようだった。エリィも同じように気絶しているらしく、ぐったりと地面に横たわっている。
一方、アルベルトはボロボロになりつつも、その場にとどまっていた。
「まさか……ここまでとはね……」
アルベルトは苦し気ながらもそう言って、蓮也を見下ろしていた。
「彼がここまでの力を持っているとは、思わなかったよ。これが、深淵の民の力というものか」
どこか複雑そうな表情を浮かべて、アルベルトは呟く。蓮也の体は傷だらけで、あちこちに血が滲んでいる。真紀は涙目になりながら、蓮也の体をぎゅっと抱きしめた。
「っ、ちょっとあんた! なんのつもりでこんなことするのよ!」
莉愛が怒りをぶつけるように叫ぶと、アルベルトは静かな眼差しを向けながら答えた。
「言っただろう? 僕はただ、役目を果たしているだけだ」
「ふざけんな! 藤木を攫った上に、こんなことまでしやがって!」
隆弘も怒りを隠そうともせずにアルベルトを睨みつける。だが彼は何も答えようとしない。その態度にますます腹が立ってきたのか、隆弘はさらに言葉を続けた。
「何か言えよ! 黙ってたらわかんねーだろ!」
「そ、そうよ! こんな酷いことをして、あんたそれでも英雄なわけ!?」
莉愛も同調してアルベルトを非難する。彼はしばらく沈黙していたが、やがて小さく息をつくと静かに言葉を紡いだ。
「英雄か。なんなんだろうね、それ」
どこか自嘲しているような声音でアルベルトは言う。彼の表情には悲しみの色が浮かんでおり、その瞳にはどこか諦めにも似た感情が見え隠れしていた。
「……もう少し時間を稼ぎたかったけれど、仕方ないか」
アルベルトは手元に魔力を集中させていく。バチバチと音を立てながら、小さな雷のような光が発生していた。
「終わりだよ」
アルベルトは手元に集めた魔力を解放する。それは一瞬の出来事だった。彼の手元から放たれた電撃が、真紀たちに向かって襲いかかってくる。
「きゃーッ!」
真紀たちは悲鳴を上げて、その場に倒れ伏した。アルベルトの電撃は凄まじく、一瞬にして動けなくなってしまう。
だがアルベルト自身も、これまでの戦いでかなり体力を消耗していたようだ。彼はふらりとよろけると、つらそうに顔を歪める。
「くッ……さすがに、これ以上は無理か」
アルベルトは苦し気に呟くと、よろめきつつもその場を後にした。
「ま……待って……」
真紀は必死にアルベルトを呼び止めようとするが、彼は振り返ることなく立ち去っていく。
「けいこ……ごめん……」
真紀は小さく謝罪の言葉を口にすると、そのまま意識を失ってしまうのであった――。




