52 嫌な夢
アルベルトの口から語られた衝撃的な話に、真紀は愕然とした。
「それ……本当?」
真紀は顔を青ざめさせ、無意識の内に口元を手で覆ってしまう。アルベルトは目を伏せて、重い息を吐いた。
「あれはまだ魔女が復活を果たしたばかりの頃のことだよ。英雄では魔女を倒せないことは、父も十分理解していた。だけど、父は戦ったんだ。討伐はできなくとも、せめて魔女がもたらす被害を少しでも食い止めようとしたんだよ」
アルベルトは当時のことを思い出しているのか、自嘲するように笑う。
「あの時の僕はまだ小さくてね。父が戦っている間、ただ震えていることしかできなかった」
そんな自分がとても不甲斐ないと、彼は重々しい声で呟いた。
誰も、何も言うことができない。それぞれが複雑な表情を浮かべている中、アルベルトはふっと息を吐いて顔を上げた。
「だからこそ……僕は父の守ろうとしたこの世界を、命を懸けて守らないといけない」
そう言って、アルベルトはふっと微笑んだ。
「そのためにも、できる限りキミ達の助けとなるよ。困ったことがあったら遠慮なく頼ってほしい」
彼は穏やかな声でそう告げると決意に満ちた瞳を向けた。
「ありがとう。そう言ってもらえると心強いよ」
恵子が素直にお礼を言っている一方、真紀は自身の動揺を悟られないように必死で平静を装おうとしていた。
まさか初恋の少女が、アルベルトの父の仇だったなんて。
確かに魔女にとって英雄は間違いなく敵対する存在だろう。だから、先代の英雄と明美が戦うことになるのだって必然だったのかもしれない。
それでも、真紀の気持ちはとても不安定な状態になってしまう。
明美との思い出が脳裏を過り、ぐっと唇をかみしめた。
「……ちょっと、瀬川さん」
唐突に名前を呼ばれ、真紀は慌てて顔を上げた。莉愛がこちらをじっと見ている。
「さっきから何ぼーっとしてんのよ」
言葉は辛らつだが、その声にはこちらを気遣うような色があった。
「ごめん、ちょっと考え事してて」
真紀はとっさに誤魔化すと、慌てて笑顔を浮かべてみせる。
だけど心の中にはモヤモヤとしたものが募って来て、なんだか気分が悪くなってしまう。そんな真紀の様子を察してか、恵子が声を上げる。
「私、少し疲れちゃったな」
恵子の言葉に反応して、隆弘が彼女に視線を向けた。
「おいおい大丈夫かよ。病み上がりなんだし無理すんなよ」
「うん、そうだね。今日はこれくらいにして休みたいな」
いつもだったら自分の為にみんなの予定を狂わせるなんてと言う恵子だが、どうやら彼女はこちらの様子に気付いて、気を遣ってくれているのだろう。
「藤木がこう言ってんだ。今日はもうお開きにしようぜ」
隆弘がそう言ったのもあって、アルベルトも頷いた。
「そうだね。無理をさせては悪いから、今日はこれくらいにしておこう」
彼の言葉に、真紀は安堵の息を吐く。
「姉さん、大丈夫?」
ソファから立ち上がると、心配そうな顔をした蓮也が真紀のそばにやって来た。
「ごめん……ちょっと、気分が悪くて」
「その顔色を見ればわかるよ。部屋まで送るから」
蓮也に促され、真紀は彼と一緒に部屋へと戻る。
胸の中はまだモヤモヤとしたままで、気分は悪くなる一方だった。
部屋に入るや否や、真紀はベッドに倒れ込んだ。
蓮也が不安そうにこちらの顔を覗き込んでくるが、返事をする気力もない。
「僕、水かなんか貰ってくるね。すぐ戻るからちょっと待ってて」
蓮也はそう言って部屋を出て行く。扉が閉まった音を聞き届けてから、真紀は枕に顔を埋めた。
(なんでこんなことになったんだろう?)
色んな気持ちが入り混じり、頭の中がぐちゃぐちゃだ。真紀はきつくシーツを握りしめて小さく嗚咽を漏らすことしかできなかった。
アルベルトはきっと、本気で魔女に立ち向かう覚悟を決めているのだろう。
(どうして……明美)
考えれば考えるほど、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。やがて真紀は、そのまま眠りへと落ちていった。
真紀が目を覚ますと、もう夜になっていた。
恐らく、あれからずっと眠っていたのだろう。
眠る前に考えていたことを思い出し、真紀は顔を曇らせた。明美のことを考えるだけで胸の奥が締め付けられる。
「なーにしけた顔してんだよ」
明るい声に顔を上げると、すぐ目の前に明美の笑顔があった。彼女は真紀の隣に座ると、顔を覗き込んできた。
「ね、あたしがいなくて寂しかった?」
彼女はいつもと変わらない調子でそんなことを聞いてくる。真紀が驚きで何も言えずにいると、明美はおかしそうに笑った。
悪戯っぽい表情を浮かべて笑う明美。
いつの間にか真紀の姿は五年前の容姿になっている。彼女の問いに対して、真紀は素直に答えた。
「……うん」
「ふふっ、素直でよろしい」
満足そうに笑ったかと思うと、明美はぎゅっと真紀に抱きついてきた。驚いて目を見開く真紀に対し、明美は笑顔のまま語りかける。
「大好きだよ、真紀」
明美の口から出た言葉に、真紀の胸はどきんと高鳴る。
「わ……私も……」
思わず声が震えてしまったけれど、真紀は声を絞り出した。
「私も、明美が大好きだよ」
その言葉に、明美は満面の笑みを浮かべる。
真紀は頬を赤らめて視線を逸らすが、明美は真紀の頬に自身の手のひらを添えた。真紀はおずおずと視線を戻す。
「嬉しいな」
そう言って、明美は真紀の目をじっと覗き込む。その瞳はどこか熱を帯びていた
真紀が戸惑っている間にも、彼女はこちらに顔を近づけてきた。心臓が激しく鼓動するのを感じながら、真紀は彼女を見つめ返す。
「あ、明美……?」
真紀の頬に添えられた手に力が込められる。彼女の顔が少しずつ近づいてきて、真紀は混乱したまま動けずにいた。
「でぇも、あんたはヒカリじゃない!」
そう言って、明美は真紀を突き飛ばした。真紀はバランスを崩してベッドに倒れ込んでしまう。
次の瞬間には辺りの風景が一気に崩れていくような感覚に陥った。真紀が呆然としていると、明美は勝ち誇ったような笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。
「あははははは! あー可笑しい!」
そう声を上げてひとしきり笑う明美の姿が、黒いドレスを着た女の姿に変わっていく。彼女は唇を意地悪く歪めると、真紀に向かって言い放つ。
「馬鹿な奴だなぁ。まだあたしのことが好きなわけー? あたしに嫌われてるとも知らずに、おめでたいね!」
ケラケラと魔女は真紀を嘲笑ってくる。
真紀は悲しさと動揺で声が出せずにいた。魔女は上機嫌に笑いながら黒いドレスをはためかせる。
「あんたにあたしが倒せるのかなぁ?」
そう言って、魔女はニヤリと笑みを深める。その目には愉悦が滲んでいるように見えた。彼女は片手を軽く上げると、パチンと指を鳴らした。途端に黒い闇が真紀の体を包み込む。
「や……やめて……」
真紀は恐怖と苦しさで体が震えてしまう。まるでトゲのついた縄のようなもので体を締め付けられているようだった。
「あはは! ばいばーい真紀!」
そう言って、魔女はぱちんと指を鳴らした。次の瞬間、黒い稲妻のようなものがほとばしる。
「い、いやぁぁぁ!」
激しい稲妻が、真紀の体を貫いた――。
「姉さん、姉さんしっかり!」
蓮也の声で真紀は目を覚ました。
はぁはぁと荒い呼吸を繰り返しながらどうにか身を起こす。全身が汗でびっしょりと濡れており、服が肌に張り付いていて気持ちが悪い。
「うなされてたよ。大丈夫?」
蓮也が心配そうな表情を浮かべてこちらを覗き込んでいる。彼の姿を見て、真紀の目から涙がこぼれ落ちた。
「明美が……明美が……!」
動揺と混乱で頭の中がぐちゃぐちゃだった。
めそめそしていたら、蓮也が真紀の背中をさすって落ち着かせようとしてくれる。真紀はしばらくの間何も言えずに泣きじゃくっていたが、どうにか涙を堪えて口を開いた。
「ご……ごめんね、ちょっと変な夢を見ちゃっただけだよ」
真紀はどうにか笑顔を作ってみせる。
蓮也は不安そうに真紀を見るが、それ以上は追及しなかった。
「そっか」
彼はそれだけ呟いて、励ますように真紀の肩を優しく叩いた。
「お水貰って来たよー。今日のところはのんびり休もうよ」
そう言いながら彼は立ち上がる。
確かにベッドサイドのテーブルには水差しとコップが置かれていた。
「ありがとう」
真紀が礼を言うのを見て、彼は少し安心した表情を浮かべて部屋を出て行った。
蓮也が持って来た水を口に含み、ゆっくりと飲み込む。冷たい水が喉を通り胃の中に流れ込んでいく感覚を感じながら、真紀はそっと目を伏せる。
(私は……どうしたらいいんだろう)
こんな風にうじうじすることに、意味なんてない。
理屈ではわかっているのだが、やはり心が追いつかないのだ。
このまま旅を続けていれば、いずれは魔女と直接対決をする時が来るはずだ。その時に、明美と直接話をする。
それが当面の目標である。
それまでには、この心の迷いは振り切らねばならない。
自分で自分をどうにか励ましながら、真紀はコップに残った水を一気に飲み干した。




