50 魔女について
次の日になって、恵子はすっかり元気を取り戻していた。彼女は心配をかけたことを謝罪したが、誰も彼女を責めることはなかった。
いつもは恵子に対して当たりが強い莉愛でさえ、彼女に対しては優しく接している。
「まったく、しょうがない人ねー」
などと言いつつも、莉愛は恵子が回復して安堵している様子だった。
「キミが元気になってくれてよかったよ」
アルベルトは恵子に微笑みかける。彼女は「ありがとう」と言って、嬉しそうにはにかんだ。
この場面を見て、真紀はまた隆弘が嫉妬するのではないかと思った。しかし予想に反してそこに反応したのは彼ではなく、蓮也だった。
「よほど恵子ちゃんのことが心配だったんだね」
一見穏やかそうに見えて、その実、蓮也は鋭い光を宿した瞳でアルベルトを見つめている。
「そうだね。彼女はとても大切な相手だから」
しかしアルベルトはその視線を難なく受け止め、さらりと言ってのけた。
「お、おいお前、大切な相手って」
と隆弘が遅れて反応してきたが、蓮也もアルベルトもそれを意にも介さずに会話を続けている。
「そっかぁ。それは恵子ちゃんの人柄や内面に惹かれたから? それとも、彼女の持っている力に興味があるから?」
「さあ、どうだろうね」
蓮也の問いに、アルベルトはすぐに答えようとはしなかった。ただ穏やかな表情のまま、じっと見つめ返しているだけだ。
まるで腹の探り合いでもしているかのような雰囲気に、真紀はなぜだか胸がざわつくのを感じた。
(蓮也?)
様子がおかしいことに気が付いた真紀は、こっそり彼の隣まで移動した。
「どうかしたの?」
小声で問いかけると、彼はなんてことなさそうに笑ってみせた。
「いや、別に何も」
蓮也は首を振ったが、その瞳の奥にある感情は上手く読み取れない。
「何もないことはないでしょ? 一体どうしたのよ」
「どうもしてないよ。ただ、彼のことがなんとなく気になってさ」
蓮也はちらっとアルベルトの方へ視線を向ける。彼は恵子と楽しそうに談笑しており、その姿を隆弘が複雑な目で見つめている。
真紀は蓮也の方へ向き直った。
彼のこういう勘は、まあまあ当たる方だと真紀はよく知っている。表面上、蓮也とアルベルトは和やかに会話しているように見えるが、二人の間に流れている空気はどこか張り詰めているように感じられた。
「……ところで、キミ達は魔女についてどれくらい知っているの?」
穏やかな口調でアルベルトが問いかけてきた。
どきりとしてしまう質問だ。魔女と呼ばれる存在が、かつての親友だった少女だったなんて、言えるわけがない。
「えっとー。魔女は魔物を生み出して、この世界の人を困らせているってことくらいは知っているよ」
何も言えない真紀に代わって、蓮也が答える。
「あとは、自分そっくりな手下を作ってあちこちに送り込んでいるよね。でももう少し知識を深めておいてもいいと思ってる」
蓮也の言葉に、仲間達も同意するように頷いた。
「そうだね。私達も、魔女については詳しく知りたいと思っているんだ」
恵子がそう言うと、アルベルトは興味深そうに目を細めた。
「そうか……なら、僕に答えられることなら何でも聞いてよ。知ってる範囲で答えるから」
「ならキミの答えられそうなことを一から十まで聞かせてよ。僕も魔女については、少しは教えられたけど」
「え、そうなの?」
真紀は驚きに目を丸くする。
「うん。あいつらに捕まっている間に、ちょっとね。でも多分姉さん達は何がわからないのかもわからない状態だよね。だからアルベルトくんの知っていることを教えてもらおうよ」
蓮也の言葉に、アルベルトはこくりと頷いた。
――そうして一行は場所を移して、屋敷にある大きな応接間へと移動した。
「さて、何から話そうか」
アルベルトは腕組みをして考える素振りをする。
「藤木は病み上がりなんだからよーなるべく短くしてくんね?」
隆弘が口を挟むと、恵子は少し困ったように微笑んだ。
「いいんだよ香坂くん。私はもう元気だし、私も魔女については色々聞いておきたいから」
彼女はそう言うと、真っ直ぐにアルベルトを見つめた。その視線を受けて、アルベルトは静かに語り出した。
「今から数百年……いや、もしかしたら千年くらい昔の話になるけれど、この世界に突然魔女が現れた」
「うん。その話は、前に聞かせてくれたよね」
真紀が相槌を打つと、アルベルトは「そうだったね」と言って先を続けた。
「彼女が最初に現れたのは、今はもう存在しないある王国だった。その頃はまだ人と人とが争っていた時代でね。今でこそ人々は手を取り合って生きているけれど、当時はそうじゃなかった。人間同士の争いによって多くの血が流れたと言われているよ」
アルベルトはそこで一度言葉を区切った。そして少し間を開けてから再び話し出す。
「魔女はそんな時代に現れた。魔女がどこからやってきたのかは不明とされているけれど、彼女は恐ろしい魔物を従えて人々を襲ったんだ。人々は当然魔女に抗おうとしたけれど、彼女に立ち向かう者は次々に倒されていき、みんな恐怖に打ち震えたそうだよ」
「……それで、国の人は女神様を頼ったのね」
恵子の言葉に、アルベルトは神妙な面持ちで頷いた。
「そう。女神様は普段、人々の前に姿を見せることは殆どない。けれど、その時は救いの手を差し伸べてくれたんだ。女神様は、人間の中から一人の女性を選んで彼女に力を与え、魔女と戦えるようにした」
「そのことなんだけどさ」
蓮也が挙手をする。
「女神はどうして自分で戦わなかったわけ? 人間に戦う力を与えるより、女神自身が魔女と直接戦った方が手っ取り早いのにさ」
「それについては諸説あるね」
アルベルトはそう言うと、ゆっくりとした口調で蓮也の疑問に答えた。
「女神様自身には、戦う力がなかったという説がある。だから人間に力を与えて、自分の代わりに魔女に立ち向かうよう託したのではないかと言われているよ」
それを聞いて、蓮也はじっと何かを考え込む様子を見せた。
「さて、女神様に選ばれた女性は聖女として魔女と戦うことになったんだ。激しい戦いの末に、彼女は無事に魔女を倒すことができた」
「けど、完全に倒しきることはできなかったんだろー?」
今度は隆弘が口を挟む。
「ああ。魔女は時と共に何度も復活を続けてきた。聖女はその度に現れて魔女と戦い、世界を救ってきた」
けれど、魔女を完全に倒すことはできていない。魔女は何度でも復活し、人類を苦しめる。それが数百年も続いているなんて、真紀はゾッとしてしまった。
だけど……と、真紀は思う。
「魔女も、聖女と同じように」
気が付けば、真紀は口を開いていた。
「何かに選ばれて、普通の人だったのが魔女になってこの世界を襲うようになった……ってことは、ないの?」
アルベルトは意外そうな表情を浮かべた。
「どうしてそう思うの?」
真紀は慎重に言葉を選んだ。
「ええと、ほら……聖女は女神様に選ばれた存在でしょ? 同じように魔女にも何かに選ばれて、そうなっちゃったんじゃないかと思って」
明美のことを言えるわけもなく、真紀は頭の中で言葉を選びながら話す。
「……詳しいことはわからない。でもその考えを否定できる証拠もないよ」
アルベルトの回答に、真紀は俯いてしまった。その様子を莉愛が密かに見つめていたのだが、真紀はそのことに全く気付いていなかった。
「あー? つまりどういうことだ?」
隆弘はあまり理解できていないようだ。すると、エリィが口を開いた。
「魔女の復活とされている現象は、何らかのきっかけで普通の人間が力に目覚めて、新しい魔女になってしまうことなのでは……と、真紀は言いたいんだよ」
「うん……そう、そんな感じ」
「へー。でも、そんなことまじであんの?」
隆弘は半信半疑のようだ。
「魔女は謎の多い存在だからね。彼女の推測通りかもしれないし、そうでないかもしれない。その答えを出すには材料が足りないんだ」
アルベルトの言葉を聞いて、蓮也はやはり何か引っかかっていることがあるのか、難しい顔をして彼のことを見つめている。
とにかく、魔女と聖女はセットで存在することが多い。そして、魔女が何度も蘇る原因はまだわかっていない。ということは理解した。
でも真紀が知りたいことは、なぜ明美が魔女になってしまったかだ。
やはり女神が聖女を選ぶように、魔女も誰かが選んでいるのだろうか? もしそうだとしたら、一体誰が何のためにそんなことをするのだ。
わからないことだらけで頭が痛くなってしまう。
「ところでさっき言っていた、魔女が最初に現れた王国についてなんだけど」
恵子はアルベルトに問いかける。
「今はもう、その国はないんだよね。でもどうして魔女は、そこに現れて人々に襲いかかったの?」
「これも諸説あるんだけど……その国では特に女神様への信仰が厚かったらしいよ。魔女は女神様の力に引き寄せられて現れたと言われている」
「女神様の力……?」
「そう。ずっと前に滅んでしまったその国は、今は女神様のいる聖地になっている」
真紀達はハッとアルベルトの方を見る。
女神のいる聖地。それは、神殿を巡る旅の最後の目的地。その場所こそが、魔女が初めて現れた場所でもあるのだ。
「聖地は、魔女にとっても特別な場所なのかな?」
その疑問に答えられる者は誰もいなかった。
「……なぁ、話は変わるけどよ」
隆弘が声を上げた。
「聖女は毎回代替わりしてんだろ。それに魔女も、もしかしたら同じような感じかもしれない。英雄も似たようなもんなんだろ」
隆弘はアルベルトのことをじっと見つめる。その視線を受けて、アルベルトは静かに微笑み返す。
「そうだね。英雄は、女神様ではなく世界に選ばれたという話だけど」
「あぁ……そんな感じのこと、ルクスさんから聞いたことがあるわね」
莉愛が思い出したように言う。
「英雄って引退する時に後継者に力を譲るんだよな。で、お前はその力を受け継いで英雄になったわけだろ。じゃあそれまではふつーの奴だったわけ?」
隆弘の口ぶりにはほんの少しばかり、揶揄するような響きがあった。
「そうだよ」
アルベルトは素直に答える。その返答に、隆弘は少し驚いたような顔をした。
「僕は元々、普通の少年だった。剣や魔法の才能が秀でていたわけでもなく、特殊な力を持っているわけでもない。本当にただの子供だったんだ」
アルベルトは自分の掌を見つめながら言う。その声音にはどこか懐かしむような響きがあった。
「けれど、僕の父……先代の英雄アルベルトが、僕に英雄としての力と名前を託してくれたんだ。それ以来、僕は英雄として人々のために戦ってきた」
「あ、力と名前?」
隆弘が首を傾げると、アルベルトは頷く。
「英雄の力を継承する場合、必ずその名前も受け継ぐことになっているんだ」
「あ……そうか。だからあなたも先代の英雄も、同じアルベルトって名前なんだね」
真紀は納得して頷いた。
ルクスから英雄に関する話は多少聞いていたが、襲名性であることは初耳だった。アルベルトは少し複雑そうな表情をしてみせた。
「……少し、休憩しようか。みんな喉乾いたでしょ? 飲み物を用意させるから少し待ってて」
そう言って、アルベルトは部屋を出て行った。
心なしか彼は少し疲れているように見えた。そしてなぜだか、少し思い詰めているようにも見える。
彼が何を思っているのかはわからないが、真紀は彼の様子が気になってしまうのであった。




