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5 戦い

 その化け物は全身が黒い体毛で覆われており、目が赤く輝いていた。

 姿は狼に似ていたが、それよりも遥かに大きく凶暴そうだ。何よりも、その体から発せられる禍々しいオーラに圧倒されてしまう。

 明らかに普通の生物とは異なる雰囲気をまとった相手に、真紀達は恐怖を覚えた。


「こいつ、強いよ。気を付けて」


 エリィが声を低くして言い、真紀と莉愛も緊張しながら杖を握り締める。


「グオオォッ!」


 化け物は叫び声を上げながら飛びかかってきた。

 エリィは風の刃を生み出して攻撃をする。相手は一瞬だけ怯んだものの、すぐに体勢を立て直すと再び突進してくる。

 エリィも負けじと攻撃を繰り返すが、なかなか決定打を与えられずに苦戦しているようだった。


「きゃあッ!」


 真紀のすぐ隣で莉愛が小さく悲鳴をあげた。

 化け物の攻撃が地面をえぐり、その拍子に飛んできた石の破片が彼女の腕をかすめたのだ。


「樋口さん、大丈夫?」


「大丈夫なわけないでしょう!」


 莉愛は甲高い声を上げつつも、杖をぎゅっと握って敵から距離を取る。その間にもエリィは魔法を使って応戦しており、少しずつではあるが相手の体力を削っているようだ。

 それでもまだ優勢とは言えない状況であり、このままではいずれ追い詰められてしまうだろう。


「うぅ……なんで私がこんな目に」


 莉愛は泣き言を言っている。

 エリィが魔法を放つ度に化け物が声を上げた。びりびりと空気を揺らすような咆哮に恐怖を感じてしまう。


「もう嫌……帰りたい」


 莉愛はすっかり怯えきっている。杖を握る手は震えており、足もすくんで動けないようだ。

 真紀も同じように、怖くて怖くて仕方がなかった。

 いくらこの杖が身を守ってくれるとは言え、絶対安全というわけではない。ほんの少しでも油断すれば、たちまち自分達は殺されてしまうだろう。


「ウ、グゥ……ガアァアッ!」


 化け物が大きく叫んだかと思うと、真紀の方を睨みつけて襲いかかってきた。エリィの相手は面倒だと判断して標的を変えたらしい。


「い……嫌ッ!」


 真紀は咄嵯に杖を前に出して防御の姿勢を取った。

 杖の先端から光が放たれ、それが盾となって真紀を守った。だがホッとしたのも束の間で、何度も何度も攻撃を叩きつけられている内に盾にヒビが入ってくる。

 このままだと長くは持たないだろう。


「ッ!」


 ガラスが割れるような音がして、とうとう魔法の盾が破壊された。


「あ……ッ!」


「瀬川さん!」


 悲鳴のような声で莉愛が叫んだ。


「だ……ダメぇ!」


 莉愛の杖から放たれた魔法が化け物の顔面を直撃した。

 一瞬だけその巨体が揺れ動いた隙を見逃さず、エリィがすかさず化け物の背後に回り込んだ。


「えい!」


 エリィは敵の足元を魔法で崩していく。

 化け物が体勢を立て直すよりも先にエリィは次々と魔法を放ち、敵を追い詰めていった。


「瀬川さん、大丈夫?」


「うん、ありがとう」


 真紀がもう一度化け物へ視線を向けた時には、すでに勝負がつこうとしていた。エリィの魔法攻撃で相手は次第に動きを鈍らせていた。

 とどめとばかりに彼女は大きな炎を打ち込み、化け物は激しい断末魔とともに倒れてしまった。


「た……倒せた……!」


 真紀は呆然と呟いた。

 莉愛も安心して気が抜けたのか、その場に座り込んでしまった。


「よかったぁ……一時はどうなることかと思ったわよ」


 二人は荒くなった呼吸を整えつつも互いに笑顔を見せあっていたが、エリィは真剣な様子で地面に倒れている化け物を見つめていた。


「いいえ。私達の力では完全に倒すことができない。このままだとすぐに復活するわ」


 エリィは疲れたように息をつく。

 確かに彼女の言う通り、倒れたはずの黒い化け物はゆっくりと起き上がりつつあった。


「う……嘘でしょ?」


 莉愛が絶望的な声を出す。


「じゃあ……今の内に逃げようよ」


 真紀はそう提案するが、エリィは静かに首を左右させる。


「いいえ。その前にすることがある」


 そう言って、エリィは右手を振るう。途端、彼女の付けていた指輪が光を放って輝き始めた。次の瞬間には彼女の手には宝石の付いた杖が握られていた。

 それは真紀や莉愛の持っている小さな杖とは違い、美しい装飾が施された長い杖だった。先端の赤い宝石は不気味に輝いており、見ているだけでなんだか不安になってくる。


「……、…………」


 エリィが何事かを囁くと、杖の宝石がさらに強く輝いていく。おそらくは呪文のような言葉を唱えているのだろう。

 やがて宝石がどす黒い色に染まった時、エリィは杖を化け物に向けて振り下ろした。


「グオオォォォッ!」


 次の瞬間、凄まじい衝撃波が化け物に襲いかかる。

 相手は為す術もなく地面に叩きつけられ――そして、その姿が光の粒子となってエリィの杖に吸い込まれてしまった。


「な……何、今の? あなた何をしたの?」


「これでここへ来た目的は達成したわ。さぁ、帰りましょう」


 混乱する真紀とは対照的に、エリィは落ち着いた口調で言った。

 訳も分からずに真紀と莉愛は彼女に詰め寄ろうとしたが、詳しい説明をするつもりがないのかエリィはこちらに背を向けてさっさと歩き始めてしまう。

 仕方なく真紀達は彼女について入り口まで戻ることにした。




 地上への道を戻りながらも、真紀と莉愛は先程見た光景のことを考えていた。

 エリィは、神殿の地下に特別な力が封印されていると言っていた。その力というのがあの宝石なのかと思っていたが、あれは砕けて消えてしまった。


「エリィ、あなたの言っていた特別な力って、なんだったの?」


 真紀は我慢できずに尋ねた。


「さっきの宝石のことじゃ、ないよね」


 根気よく尋ね続けると、エリィは振り返り、少しの間を置いてから答えた。


「あの宝石は、私の探していた力を封印しておく装置のような物。もう気付いているかもしれないけれど、私の目的はさっき戦った守護者そのものだったの」


「守護者?」


「みんなからは、あれは『悪魔』だと呼ばれているんだけれどね」


 そう答えるエリィの声はどこか悲し気なものだった。


「その、悪魔とかいうのが魔女に対抗するための手段なの?」


「ええ。私達の組織は、ずっと昔から彼らの力を借りて戦ってきた。彼らはとても恐ろしい存在だけど、それと同時に人間にはない強大な魔力を持っている。それを利用して私達は魔女の生み出した魔物達と戦い続けてきた」


 エリィは淡々と語る。


「でもここ最近は戦いが厳しくなってきた。どうやら魔女は復活をするたびに、どんどん強力になっていくみたい。このままだといずれ奴に対処できなくなる日が来ると思って、新しい戦力が必要になったの」


「それが、さっきの化け物ね。でもなんであんなものが神殿の地下に?」


「詳しいことは知らないわ。私はただここに封印されていた守護者を手に入れるように命じられただけ。ともかくあなた達のおかげで目的を果たすことができた。本当にありがとう」


 ほんの少しだけ口調を和らげてエリィは言う。

 真紀は彼女の話を聞きながら先程の戦いを思い出す。本当に恐ろしくて、死ぬかと思った。今こうして無事にいられるのが不思議なくらいだ。


(そんな化け物を利用しなければならないほど、魔女は危険な存在ということ?)


 胸の中で不安が渦巻いていく。

 それにしてもこれまではあまり詳しいことを語ってくれなかったエリィが、今回は自ら進んで教えてくれたのは意外だった。


「……ねぇ、エリィ。どうしてそんな話をしてくれるの?」


「別に、深い意味はない。ただ二人とも私に協力してくれたから、話しておこうと思っただけ」


 エリィはそう答えると、また前を向いて歩いていく。

 するとそれまで黙っていた莉愛が怒りのこもった声で言い放った。


「あんなおっかない奴がいるなんて聞いてない! なんでそういう肝心なことを黙っていたのよ!」


 莉愛は興奮しているようで、感情をむき出しにしてエリィに食ってかかる。


「ごめんなさい。いくらこちらに人質がいるとは言え、あなた達が素直に従ってくれる保証がなかったから」


 エリィの声は本当に申しわけなさそうに沈んでいた。

 仮面のせいで表情は分からないが、きっとつらそうな顔をしていることだろう。真紀はそんな風に思った。


「でも……樋口さん、私達はこうして無事に済んでいるよ。だから」


「だから、何? それでこの子を責めるなって言うの?」


 莉愛が冷たい声で告げた。


「確かに結果的には無事に終わったけど、下手したら怪我どころじゃ済まなかった。そんなことされて、簡単に許せると思う?」


 真紀は何も言えなくなってしまう。

 莉愛の言葉はもっともだ。自分達は命の危険に晒された。その事実は変わらない。

 エリィは沈黙してしまい、莉愛もそれ以上何も言わなくなってしまった。


 ともかくここですべきことは終えたのだ。

 三人は再び地上を目指して歩き出す。幸いなことに帰り道では魔物に襲われることはほとんどなく、無事に元の場所まで戻ってくることができた。

 重苦しい空気のまま無言で階段を上りきり、ようやくのことで神殿の地下から脱出した時には心から安堵することができた。


「戻ったか、エリィ」


 待っていたのはあのローブの男達だった。しかし彼らは真紀達の姿を見て少々意外そうな態度を見せる。


「ほう……まさか、そいつらを生かした状態で戻って来るとはな」


「え、どういうこと?」


 莉愛が尋ねると、真ん中にいた男は小さく笑ったようだった。


「お前達には守護者の贄になってもらう予定だったのだよ」


「なっ」


 莉愛が絶句する。真紀も驚きのあまり言葉が出てこなかった。


「わざわざ戦わずとも、生贄を捧げれば守護者を手にできるのだ。それなのに二人を無事に連れ帰って来るなんて、随分と優しいものだな」


「……」


 エリィは無言で男の話を聞いている。


「だが、これで我々の計画は前進した。感謝するぞ、エリィ」


「ちょ……ちょっと、待ってよ! 何よそれ! 最初から私達を殺すつもりでいたの!?」


 莉愛が声を荒げるが、エリィは何も答えずに俯いているだけだ。あまりにも不条理な状況に真紀も指先が小さく震えてしまうのを感じた。

 エリィを信頼し始めていただけに、裏切られたという気持ちが強かった。

 だけど彼女は決して悪人ではないはずだ。もしそうだとしたら、あの化け物が出てきた時に彼女は迷わず自分達を犠牲にしたはずなのだから。


「わ、私達はあなた達の言うことを聞きました。もういいでしょう? 早く、蓮也を」


 そこまで言いかけた真紀は、周囲に視線をやって大切なことに気が付いた。


「蓮也はどこ?」


 地下に潜る前までは確かにいたはずの弟の姿がない。

 どこかへ移動させられたのだろうか。それによく観察してみればあの黒服の半分近くが姿を消している。


「蓮也をどこにやったんですか?」


 青ざめながらも真紀は詰め寄った。


「私達は約束通りあなた達に協力したでしょ。弟を返してください」


「やれやれせっかちなお嬢さんだ。しかし残念ながら、彼にはまだ用があるのでね。すまないが諦めてもらおうか」


「そんな!」


 思わず大きな声で叫んでしまう。

 あの化け物との戦いで怖い思いをしながらも頑張ったのに、こんな結末になるなんて。

 絶望感が胸を満たしていく。

 どうすればよいのかわからずに呆然と立ち尽くしていると、エリィが厳しい声で男に言った。


「彼女達は役に立ってくれたわ。なのに約束を反故にするつもり?」


「落ち着きなさい、エリィ」


 男は冷たい声で答える。


「あなたこそ誰に向かって口をきいていると思っているの。いいから、この人達を彼に会わせてあげて」


「そうはいかないんだ。教祖様が、あの少年に興味があるようでね」


 男の言葉を聞いて、エリィが息を飲むのがわかった。


(……教祖?)


 初めて聞く単語に首を傾げたが、今はそんなことを考えている場合ではなかった。


「お願いします、なんでも言うことを聞きますから……だから、蓮也を返して!」


 必死の思いを込めて叫んだが、男は肩をすくめるだけである。


「彼はこのまま本部まで連れ帰ることにした。そして、キミ達二人は」


 男がゆっくりと杖を構えてこちらへ向けてくる。


「ここで始末させてもらうとするよ。まったく、守護者への生贄として連れて行かせたのに、生かしたまま戻って来てしまうのだから困ったものだ」


 男の無慈悲な言葉と共に、杖の先端が光り輝く。


「くッ!」


 真紀は右手を振るってあの小さな杖を出現させると、こちらから先に攻撃を仕掛けた。

 しかし相手は軽々と身を翻して真紀の放った魔法を避けてしまう。


「おやおや……エリィ、彼女達に指輪を貸してやったのか? 本当に甘いものだな」


 男はそう言って軽く手を振うと光の球を放ってきた。


「きゃっ」


 光は真紀の右手を掠め、痛みで握っていた杖を落としてしまう。再び光が放たれて、今度は真紀の足元に着弾する。


「あうっ」


 衝撃で真紀は地面に倒れ込んでしまった。


「瀬川さん!」


 莉愛が駆け寄り、真紀を助け起こしてくれる。

 二人の様子を見て男はくつくつと笑みを漏らした。


「本当に愚かな娘達だ。自分の立場というものを理解していないらしい」


 男は真紀達に向けて杖を構える。


「まぁいい。今からたっぷりと後悔させてやるからな」


 真紀と莉愛は体を硬直させて、これから襲い来るであろう衝撃に備えるしかなかった。


「やめて!」


 エリィが咄嗟に両手を広げて二人を庇う。


「ほう。逆らうつもりかね? だが、彼女達は女神に選ばれた者だ。さっさと始末しておかねば後々面倒なことになるだろう」


「それでも、彼女達は何の力もないただの人間よ。生かしていたところで危険はないはずだわ」


「それを決めるのはキミではないだろう」


「あなたでもないわ。それに彼女達に何かをすれば、いずれあの少年に報復されるかもしれないでしょう」


「ふむ」


 男は考える素振りを見せる。


「彼女達も直接教祖に会わせるべきよ。その上でどうするか決めましょう」


「キミがそこまでこの二人を庇うとはね。まあいいだろう。その案を受けようではないか」


 エリィは安堵の息を吐いた。


「ただし」


 男は真紀に魔法を放った。


「うッ!」


「マキ!」


「瀬川さん!」


「彼女は少々興奮しすぎているようだからね。少しの間眠っていてもらうとしよう」


「瀬川さん、しっかり! 瀬川さん!」


 莉愛の声が遠くから聞こえてくる。

 けれど真紀は、彼女達の声に反応することができずにいた。

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