45 森での戦い
真紀がそっと恵子を後ろに下がらせている間、デイルは余裕そうな態度で真紀達の方を見ていた。仮面に隠れて表情は見えないが、きっとこちらを嘲笑っているに違いない。そう思うと腹が立つと同時に恐怖を感じた。
(相手は一人だけど……)
それでもこの男には、得体の知れない不気味さを感じるのだ。
「さて、せいぜい楽しませてくれたまえよ」
デイルも臨戦態勢に入ったらしく、ゆらりと体を動かしながら杖を構える。
先手を取ったのは蓮也だった。杖から放った魔法が勢いよくデイルに襲いかかる。しかし彼はそれを予測していたようにひらりと避けると、そのまま蓮也に向かって走り出した。
「っ!」
蓮也は咄嗟に防壁魔法を発動させるが、デイルはそれにも構わず突っ込んでくる。彼は魔法の壁をいとも容易く打ち破ると、蓮也に向かって魔法を放つ。
間一髪で蓮也はそれを避けたが、体勢を崩したところに追撃を仕掛けようとデイルはまた杖を振り上げる。
「レンヤ!」
エリィは二人の間に割って入ると、蓮也を守るように杖をつきだした。
「邪魔をしないでもらいたいものだな」
デイルは冷笑するが、エリィはそれを無視して魔法を放つ。真紀もすぐに参戦しようと杖を振った。
「まったく、血の気が多いお嬢さん達だ」
デイルは素早く身を引くと、エリィが放った魔法を躱した。真紀がすかさず次の攻撃を仕掛けるが、それもまた避けられてしまう。
「この程度の攻撃では、私に傷一つ付けられないぞ」
デイルは嘲笑いながら真紀を眺めている。その態度に腹が立つが、相手は自分達よりも強い。悔しいけれど、それは認めざるを得なかった。
「どうした? もう終わりか?」
デイルは挑発するように手招きをした。
「駄目だよ姉さん、いくらあいつがムカついても挑発に乗ったら相手の思うつぼだ」
蓮也が真紀の隣に立つと、小声で話しかけてくる。
「僕達の目的は、恵子ちゃんを守ることでしょ」
「……うん、そうだね」
真紀は深呼吸をして気持ちを落ち着ける。確かにここで感情的になっては相手の思うつぼだ。
(冷静にならなきゃ)
ぎゅっと杖を握りしめて、真紀は再びデイルに向き直る。
「恵子は渡さない!」
「威勢だけは良いようだ。しかし勘違いしてもらっては困るな。私は何も彼女を傷つけるつもりはない」
「だったらどうして恵子を狙うの?」
「それは教えられないな」
「そんな答えじゃ納得できない! まさか、自分達が魔女と戦うのに邪魔になるから……恵子を始末しようとしてるの?」
「それは面白い考えだ」
デイルは愉快そうに笑うと、再び魔法を仕掛けてきた。今度は一度に複数の魔法が放たれ、一行は防ぐのに精一杯になる。
蓮也やエリィの魔法の腕は、おそらく自分よりも高いだろう。にもかかわらずデイルにはまるで歯が立たない。
あの男とは以前にもやり合ったことがあるが、あの時はアルベルトがいたからなんとかなったようなものだ。
「ったくもう、相変わらず鬱陶しいなぁ!」
蓮也は杖を構えると、黒い火球を投げつける。デイルはそれを難なく避けたが、その隙に今度は真紀が魔法を放った。
(よし!)
これで少しはダメージが入るはずだ。しかしデイルは慌てる様子もなく、冷静に真紀の魔法を防いでしまった。
このままでは魔力も体力も消耗してしまうだけだ。なんとかして状況を打開しなくてはいけない。
「えい!」
その時、澄んだ声で恵子が叫んだ。
彼女の杖の先端から魔力の光が放たれる。その光は一直線にデイルに向かって飛んでゆく。
「これは」
デイルは咄嗟に避けようとするが、直後に魔法の光は再び軌道を変えて彼に襲いかかった。
「ほう」
デイルは感心したように呟く。恵子が放った魔法はロープのように形を変化させて、デイルの腕を杖ごと縛り上げた。
「さすがは聖女。やるではないか」
「余裕そうな態度だね。でも今結構ピンチだって自覚してる? ねぇ、どうなの?」
蓮也が煽るように言うと、デイルは肩をすくめた。
「確かに、このままでは少々分が悪いようだ」
「だったらおとなしくこっちの質問に答えなよ。そしたら見逃してあげても良いよ」
「それはできない。だが、安心するがいいよ。我々は彼女に危害を加えるつもりはないからな」
「そんなの信用できないよ。あんたらが恵子ちゃんを狙ってる事実に違いはないわけでしょ?」
蓮也が疑わしげに言うと、デイルはくつくつと笑い始めた。
「まったく心外なことだ。我々が彼女に野蛮な行為をするとでも?」
「紳士ぶってるけど、僕は結構野蛮なことされたよ」
ちょっと不快そうに蓮也は言うが、デイルはそれを無視すると腕に巻き付いた光のロープをあっさりと魔法で切り裂いた。
「!?」
恵子は驚きに目を見開く。デイルはゆっくりと恵子の方を向くと、口を開いた。
「さあ、共に来てもらおうか」
「ダメよ!」
真紀が恵子を背後に庇う。
「ならば、致し方あるまい。私もあまり手荒な真似はしたくないのだがね」
「よく言うよさっきまで明らかに手荒な真似してたくせに」
蓮也がすかさず言うが、しかしデイルはそれすらも意に介さない様子で杖を構えている。
(どうすればいいのよ……!)
なんとか彼女を安全な場所まで避難させたいのだが、目の前の男はそれを許してくれそうにない。真紀は背筋に冷たいものが走るような感覚に襲われた。
「お遊びはここまでだ。そろそろ幕を引くとしよう」
デイルは冷酷な口調で言うと、静かに杖を振り上げる。
「ならこっちだって容赦しないよ。このまま恵子ちゃんを、渡したりなん……か……!?」
言いかけている途中で、蓮也は苦しそうに胸をおさえると地面に膝をついた。
「蓮也!?」
突然のことに動揺しながら、真紀は蓮也に駆け寄る。蓮也は苦しそうに顔を歪めたまま、立ち上がることもできない様子だった。
「どうしたの? 大丈夫!?」
蓮也の背中に手をやると、彼の体が震えているのが分かった。額には冷や汗が滲んでいて、呼吸も荒い。
「レンヤ……まさか、あなた」
エリィが何かを察したように呟くと、蓮也は力なく頷いた。
「僕は平気だから。恵子ちゃんを連れて早く逃げて」
「そんな青い顔しているくせになに言ってるのよ!」
真紀が言うと、蓮也は困ったような笑みを浮かべた。
「とにかく、大丈夫だって。心配しないで」
蓮也はどうにか立ち上がろうとするのだが、上手くいかないようだった。
「ダメよレンヤ、じっとしていて」
エリィは彼を背後に庇うと、デイルに対峙する。
「あなたが本気で来るというのなら、私も本気でいくわ」
エリィは真剣な眼差しでデイルを睨みつけると、杖を高くかざした。途端に黒っぽい靄のようなものがエリィの前に現れる。それは瞬く間に形を変えて行き、以前見たあの狼の姿になった。
エリィの呼び出した狼は、低いうなり声をあげながらデイルを睨みつける。しかし彼は怯むことなく、静かにエリィを見据えていた。
「残念だよエリィ。キミを傷つけたくはないのだが」
デイルが杖を振りかざすと、先程と同じように空中に黒い靄が現れる。そしてそこから巨大な鳥のような怪物が現れた。
その姿に一瞬気圧されるエリィだが、すぐに気持ちを切り替えて狼に命令を下す。
「行きなさい!」
狼は弾丸のように怪鳥に飛びかかって行った。鋭い牙が相手の翼に食い込むと、そこから鮮血が飛び散る。しかし怪鳥はそれをものともせず、狼に向かって反撃を仕掛けてきた。
もろにダメージを受けた狼は吹き飛ばされるが、空中でくるりと体勢を立て直して着地をする。そして再び怪鳥へと突進していった。
「姉さん……今の内に、恵子ちゃんと逃げるんだ。ここは……僕とエリィで、なんとか食い止めるから……!」
切羽詰まったような声で言いながらも、蓮也は杖をついてなんとか立ち上がった。しかし足元がふらついていて、とても一人で歩けそうには見えない。
「馬鹿! 無茶しないでよ!」
真紀が叫ぶように言う。本人は大丈夫だと言い張っているが、彼の顔色は先程よりもさらに悪くなっていたし呼吸も荒い。どう見ても平気そうには見えないのに強がってみせる弟に、真紀は胸が締め付けられる思いだった。
「真紀、私も戦うよ! 蓮也くんを休ませないと」
恵子は蓮也を支えようとするが、彼はそれをやんわりと断った。
「ありがとう、でも……あいつは強いし、恵子ちゃんを守りながら戦うのは……厳しいと思うから」
「私なら平気だよ。一緒に戦おう」
「ダメだよ。だって恵子ちゃんに何かあったら、この世界は……」
そこまで言いかけて、蓮也は顔を上げた。
エリィとデイルも何かに気付いたのか戦いの手を止めると、同じ方向を同時に見つめた。その視線の先に目を向けてみると、そこには一人の女性が立っていた。
一体いつから、そこにいたのだろうか。真紀は息を飲んで彼女を見つめた。
女は黒を基調としたドレスに身を包み、長い黒髪をなびかせながらふわふわと宙に浮いている。彼女が身に纏っている空気にはどこか異質なものがあり、真紀は全身に鳥肌が立つような感覚に震えた。
彼女は静かに微笑みながら、ゆっくりとこちらに近付いてくる。その動きに合わせるように、黒髪がふわりと揺れた。
「あ……あ……」
震える声で真紀は呟く。頭の中に警鐘が鳴り響いていた。今すぐにここから逃げなければならないと本能が告げている。
しかし足が竦んでしまって動けなかった。その場にいる全員が、彼女に釘付けになっているようだった。
「魔女の影……!」
エリィが絞り出すような声で呟いた。
女は妖艶な笑みを浮かべて、じっとこちらを見つめてくる。
(明美……!)
すぐそこに現れた存在に、真紀はくらくらするような目眩に襲われた。
「やばい……来るよ……!」
蓮也が焦ったような声で言う。
真紀は震える手で杖を握りしめると、泣きそうになりながらもなんとか歯を食いしばるのであった。




