44 対峙
それから一行は宿へ戻り、各自の自由行動の時間がやってきた。と言っても、特に何かをする予定もないのだが。
真紀が部屋でくつろいでいると、隣のベッドでのんびりとしていた恵子が話しかけてきた。
「ルクスさんと別行動で、ちょっと不安になっちゃったけど……エリィが一緒に来てくれてよかったね」
恵子はどこか安心したような表情で言う。
「うん。あの子のおかげで、旅も順調だし」
「香坂くんは心配しているけど、せっかく一緒に行動しているんだからもっと仲良くしたいな」
その言葉に真紀はつい苦笑してしまう。
隆弘は恵子に対して過保護なところがある。彼が恵子を心配するのはわかるが、だからといってあそこまで敵意を剥き出しにしなくてもいいだろう。
「それだけ恵子を大切に思ってるんだよ」
「それは嬉しいけど……でも、やっぱり旅の仲間とは仲良くしたいし……」
恵子はどこか不満そうである。彼女は身を起こすと、窓の方へと歩いていった。恵子が窓を開けると、涼しい風が入ってきた。
「ねえ、真紀」
「なに?」
「えっと……香坂くんは、私に特別な気持ちがある……のかな?」
そう尋ねる恵子の顔は、少し赤くなっているように見えた。真紀はどう答えたものか悩んでしまう。
隆弘が恵子に好意を抱いているのは誰の目から見ても明らかだ。だが彼はそれを素直に認めようとはしないし、そもそも彼には莉愛という恋人がいる。
それなのに恵子に思いを寄せているなら、さすがにどうかと思うのだが。
「――香坂くんが恵子を好きなのだとしたら、それは樋口さんに対する裏切り行為だと思う。樋口さんは香坂くんのこと、好きだと思うし」
真紀の言葉に、恵子は複雑そうな表情を見せた。
「そうだね……香坂くんは、樋口さんを大切に思ってるのかな?」
「それは間違いないと思う。あの二人は幼馴染みで、長い付き合いだし」
「だったらなおのこと……香坂くんは、樋口さんを一番に考えてあげるべきだよね」
そう言って恵子はぼんやりと遠くを見つめる。
「彼が私を心配してくれているのはわかる。守ろうとしてくれて、嬉しいと思う」
そこまで語って、恵子は困ったように眉尻を下げた。それ以上彼女は何も言わず、黙ってしまった。
恵子自身は隆弘からの好意を嫌がっているわけではなさそうだ。だが莉愛のことが引っ掛かっているのだろう、彼女は思い悩んでいる様子だった。
『隆弘は私の彼氏でしょ! どうして他の女に目移りするのよ!』
莉愛のヒステリックな声が真紀の頭の中によみがえる。
あの時、莉愛は怒りに任せて隆弘の胸倉を掴んでいた。隆弘はばつの悪そうな顔をしていて、気まずそうに視線をそらしていた。
真紀はすぐにその場を離れてしまったけれど、あれから二人はどんな話をしたのだろう。あの後に見た莉愛の様子からして、もしかしたら別れ話にまで発展していたのかもしれない。
だけど真紀としてもこれ以上の詮索をするのは気が引けていたし、隆弘と莉愛の問題は当人たちで解決すべきだと思う。
(樋口さんのことがなければ、恵子も香坂くんに向き合う気になるとは思うけど……肝心の香坂くんは、どうするつもりなのかな?)
こればかりは考えても仕方がない。隆弘が恵子に思いを伝えるのか、それとも莉愛を選ぶのか、それは彼の自由であり真紀の関与するところではない。
だけどあの二人の関係に恵子を巻き込んでほしくはなかった。
「……あれ?」
窓の外を眺めていた恵子が、ふと声をあげた。
「どうかしたの?」
「あそこにいるの、蓮也くんじゃない?」
恵子が指さす先には、確かに蓮也の姿が見えた。彼は宿の外にある小さな庭園で一人たたずんでいる。
「どうしたんだろう?」
真紀も恵子の隣に並び、蓮也の様子を見る。すると彼のもとに一人の少女が近寄っていくのが見えた。
「あれは、エリィ?」
少女の姿を見た真紀が呟く。
彼女は蓮也の隣に立つと、何やら真剣な様子で会話をし始めた。とは言えここからでは二人が何を話しているのかまでは聞こえない。
なんだか深刻な雰囲気だ。やがて彼らは周囲の様子を気にしながら、そっと移動をし始めた。
「どこへ行くんだろう?」
不思議に思って真紀は首をかしげる。
「あの二人は仲がいいみたいだから……もしかしたらデートに行くのかも」
恵子の推測に、真紀はあまり納得がいかなかった。
「だったら蓮也は堂々と出て行くよ。それに、なんだか様子がおかしかったし」
ざわざわと胸騒ぎがする。二人は森の方へと向かっていくようだ。
「ごめん、恵子。ちょっと行ってくるね」
真紀はそれだけ言うと部屋を飛び出した。
「ま……待ってよ真紀」
恵子も慌ててついて来る。二人が宿を飛び出した時にはすでに蓮也の姿は見えなくなっていた。だが真紀は迷うことなく森へと足を向ける。
「蓮也くん、どこに行くつもりなのかな?」
「わからない……本当にただのデートならいいんだけど」
そのまま森の中を歩いて行くと、やがて木々の奥にあの二人の背中が見えてきた。
真紀と恵子は物音を立てないように注意しながら、二人に気付かれないように近付いて行く。彼らは少しひらけた場所で立ち止まっていた。
「――マジであいつらこの辺にいるわけ?」
「守護者の気配がするもの。きっとこの近くにいるはず」
蓮也とエリィはひそひそと小さな声で話している。二人の表情には緊張感が漂っていた。
「呼んだら出てくるかな?」
「それは……確かに、こちらの様子をうかがっているような気配は感じるけど」
「じゃあ、呼んでみるか」
そう言うと蓮也はゆっくりと深呼吸をしてから口を開いた。
「……おーい、そこにいるんでしょ! コソコソしてないで出てきなよ!」
するとその直後、彼らの目の前に一人の人物が姿を現した。木々の陰から様子を見ていた真紀はハッと息を飲む。
黒いローブに、仮面をつけた男。あれは深淵の民の男だ。
「うわーよりによってあんたが来んの?」
蓮也はげんなりした表情で言う。
「おやおや随分な物言いではないか」
仮面をつけた男はそう言って肩をすくめるような仕草を見せた。その背丈と声や態度からして、彼は真紀達がこの世界へ来たばかりの頃に出会った、あの嫌な男に違いなかった。
「デイル……やっぱりあなただったのね」
エリィが嫌悪感をあらわにして彼を睨みつける。デイルと呼ばれた男は余裕そうにふっと鼻で笑うと、両手を広げて見せた。
「そう怖い顔をするものではないよ、エリィ」
「嫌われているんだから潔く諦めなよー」
蓮也もまた不機嫌そうな表情で言うと、デイルは多少傷付いたのか、しばし硬直していた。
「守護者使って恵子ちゃんを襲おうとしたって聞いたけど、どういうこと?」
「それについて説明する必要はないだろう」
蓮也の質問にデイルはきっぱりと答える。
「……それは、私にも話せないことなの?」
エリィはじっとデイルを見つめていた。彼は意味深に笑うだけである。
「おとなしく教祖様の言うことを聞くのなら、作戦にも加えるのだがね」
「私達があの人の言いなりになるとでも?」
「そもそも組織の上層部にしか知らされていない作戦って、なんかいかにも悪者っぽいし」
皮肉気な口調で蓮也は言うが、デイルはあまり気にしていなさそうである。
「もちろん我々の邪魔はしないだろう?」
「そうもいかないわ!」
「キミに言ったのではない。彼に言っているのだ」
「!」
デイルの言葉に、蓮也の表情が強張った。
「え……?」
様子を見守っていた真紀は、思わず声を漏らしてしまう。蓮也は顔を青くして、心臓の辺りを手で押さえている。額には冷や汗が滲んでいた。
「……別に、僕は、あんた達の仲間じゃないし」
絞りだすように蓮也は言うが、その声は震えていた。デイルはそんな蓮也の様子を黙って見つめている。その仮面の裏側の見えない視線が、さらに彼の心を不安にさせているようだった。
「――ところで、さっきからそこでこそこそしているようだが」
「っ!」
真紀と恵子はぎくんとした。
隠れて様子を見ているつもりだったが、どうやらバレていたらしい。二人は慌てて逃げようとするが、デイルは素早く魔法を放った。
「きゃぁあっ」
真紀達は揃って地面に倒れてしまう。
「え……姉さん!?」
蓮也とエリィが驚いて駆け寄って来る。
「どうしてここに?」
「それは……あんた達が森に入っていくのを見て、気になってつけてきたのよ。あの人……前にも会ったよね?」
真紀は苦々しげに答えると、デイルを睨みつけた。彼は余裕そうな態度でこちらを見下ろしている。
「また会えて嬉しいよ、お嬢さん。それに」
デイルは真紀の傍らに立っている恵子に目を向けた。彼女はビクリと震える。
「聖女――まさかそちらから出向いてくれるとは」
恵子はびくつきながらも、デイルと距離を取るように後ずさった。
「どうして私を狙うの?」
恵子の問いに答えることなく、デイルはくつくつと笑うと、ゆっくりとした足取りで彼女に近付こうとする。
「やめろ!」
蓮也が叫ぶとほぼ同時に、エリィも魔法を放った。魔法の矢はデイルに向かって飛んでいく。しかし彼はそれをひらりと避けてみせた。
「やはりキミ達は私に逆らうのだな。ならば、相応の罰を与えねばなるまい」
言いながら、デイルは二人をじっと見据える。
真紀は恵子を庇うように立ちながら、この状況について考えていた。恵子を狙っていたのは、やはり深淵の民だったようだ。しかしなぜ彼らが彼女を付け狙うのか、その理由がわからない。
でも一つはっきりしていることがある。目の前にいるこの男は、危険な存在だ。
「恵子……下がってて」
真紀は小さな声で告げる。
そして指輪から取り出した杖をぎゅっと握りしめ、デイルと対峙するのであった。




