4 神殿の地下へ
真紀は唇を噛んで黒装束の男達を睨み付けていた。
今は従わなければ蓮也が危ないし、それに自分の身だって安全とは言えない。
「どうすれば蓮也を返してくれるんですか?」
震える声で真紀は尋ねた。
「心配しなくてもいい。すぐに解放するさ。ただ、我々の目的に協力してもらいたい」
「何させるつもりなの?」
「この神殿の地下に我々の探している物があるのだが、それを手に入れる手伝いをしてもらおうと思ってね」
男がそう言って杖を振ると、真紀と莉愛の体を縛っていた鎖が解かれた。
「エリィ、来なさい」
男が呼びかけると一人の人物が歩み出た。それは他の者達と同じく黒いローブを身にまとった小柄な人物だった。
仮面のせいで顔は見えないけれど、体格からして女性のようだ。
頭に被っているフードからは金色の前髪が覗いているが、それ以外には彼女がどんな姿をしているのかはわからない。
「詳しい話は彼女に聞きなさい。我々はキミ達が地下へ降りている間、することがあるのでね」
「でも……蓮也が」
真紀は蓮也の方へ目をやった。
蓮也は気を失っているようで、冷たい石の床に横たわったまま動かない。
「大丈夫、傷つけたりはしない。だがもしもキミ達が怪しい動きをするのであれば、その時はこの少年の命はないものと思え」
男の声には有無を言わせないものがあり、真紀は黙って従うしかなかった。
「ついて来て」
エリィと呼ばれた女性は、それだけ言うと神殿の奥へと歩き出した。
莉愛は顔をしかめて嫌そうな表情を浮かべていたが、真紀が無言のまま目配せすると渋々といった様子で彼女の後を追った。
不安な心持ちのまま神殿の中をしばらく歩いていくと、やがて大きな扉の前にたどり着いた。
「この先よ」
エリィはそう言って扉に手をかけた。
ギィッという音を立てて重い扉がゆっくりと開かれる。その先には長い階段が続いているようだったが、暗くて下の方がどうなっているのかよく見えない。
「この先に、何があるってのよ」
莉愛が尋ねると、エリィは静かに答えた。
「ここには特別な力が封印されている。今からそれを取りに行くのよ」
彼女は淡々とした口調で言いながら軽く手をかざす。そこに光の玉が現れて、階段の下まで照らされる。
「最近になって魔女が放った魔物が力をつけ、人々を襲うようになってきた。そこで私達は魔女に対抗するための手段が必要になったの」
エリィは階段を下りていき、真紀と莉愛は慌ててその後を追う。
「えっと……あなた達は、魔女の仲間ではないの?」
こんなにも怪しい格好をしているのだから、てっきり魔女の手下か何かだと思っていた。けれどエリィはこちらを振り返らないまま答える。
「魔女は私達にとって敵でしかないわ。あいつはこの世界の人々を苦しめている……そんな奴と手を組むなんてあり得ない」
その言葉に真紀は少しだけ安堵を覚えた。
少なくとも彼女達は自分と同じ人間なのだ。味方とは思えないけれど、それでもまだ希望はある。
「あなた達は、何者なの?」
という疑問には答えてもらえなかったけれど。
「ってゆーか、これくらいあんた一人で行けばいいじゃない。なんで私達が付き合わなきゃならないのよ」
不満気な様子を隠そうともせずに莉愛がぼやく。
「その理由を教える必要はない」
「はぁ? 何よそれ」
「あなた達に拒否権なんてないの。もし拒否するつもりなら、彼の命を奪うことになるわよ」
エリィの言葉を聞いて、真紀と莉愛は同時に息を飲む。
「……お願いだから、蓮也には何もしないで」
「それなら何も聞かずに着いてきて」
もどかしさを感じながらも真紀は逆らうことができなかった。
(今は、こんなことをしている場合じゃないのに)
早く蓮也を解放してもらって、恵子を捜しに行かなければならない。
もっとも、真紀にはまだここがどんな世界なのか、どれくらいの広さがあるのか、どんな人が住んでいるのかも知らない。
そんな世界でたった一人の人間を見つけるのは容易ではないだろう。
考えているだけで気が滅入ってきそうだが、そこで真紀はクレアのことを思い出す。
クレアは真紀達を召喚したという、女神の使いという話だ。そんな彼女なら、もしかしたら恵子の居場所もすぐに見つけ出せるのではないだろうか。
あんなに余裕のある態度を見せていたくらいだし、きっとなんとかしてくれるはずだ。
「て、あれ?」
きょろきょろと辺りに視線をやる真紀に、莉愛が首を傾げながら尋ねてくる。
「瀬川さん、どうしたの?」
「さっきからクレアの姿が見えないの」
そう言われ、莉愛もそのことに気付いたみたいだ。
クレアはいつの間にか姿をくらませていた。一体どこへ行ったのだろう。もしかしたら怖くなってどこかに隠れてしまったのだろうか。
(あたしがついている……なんて言っていたくせに)
真紀は小さく息をつくと、前を歩くエリィの後を追うのであった。
それからようやくのことで地下に辿り着くと、そこから先には長い石造りの通路が続いていた。
真紀はなんとなく恐ろしいものを感じて身震いしてしまう。この先には一体どんな光景が広がっているのだろう。
「この神殿、危険じゃないの?」
真紀が不安を訴えると、エリィは小さく頷いた。
「安全は保障できないわ。だから、これを持っていて」
そう言いながら彼女が取り出したのは二つの指輪だった。片方は金色で、もう片方は銀色だ。よく見るとエリィの右手にも似たような指輪がはめられている。
「これは?」
「魔法のかかったお守りみたいな物。身につけていれば、多少の危険があっても平気だから」
真紀と莉愛はそれぞれ指輪を受け取った。莉愛が金色の指輪を選んだから、真紀は銀色の指輪になった。指輪には血のような赤い宝石が埋め込まれていて、それがぼんやりと輝いている。
「その指輪を右手にはめて、手を振ってみて」
それに何の意味があるのかと思ったものの、言われた通りにやってみる。次の瞬間、二人の手には小さな杖が現れていた。
「えっ、どうして!?」
驚く二人にエリィが説明してくれた。
「その指輪は武器を収納できる物なの。念じれば元に戻るから」
真紀は恐る恐る手の中の杖を見つめる。
指揮棒くらいの長さがある銀色の杖で、綺麗な模様が彫られている。先端の部分に付いている赤い宝石が不思議な輝きを放っていて、見ているだけで吸い込まれてしまいそうだ。
「何かあった時、その杖が身を守ってくれるわ。自分の意思で強く念じれば発動するようになっているし、不意打ちにも自動で反応してくれるから安心して」
そう言っているエリィの声は少しだけ優しい気がした。仮面のせいで表情はわからないけれど、少なくとも悪意のようなものは感じない。
「この先は迷路のようになっているから、気を付けて進みましょう。少しだけど魔物の気配も感じるし、迷ったら大変だから」
エリィはそう言うと、再び先頭に立って歩き始めた。その後ろを真紀と莉愛がついて行く。
まだ不安は拭えないが、今は彼女を信じて従うしかないだろう。
それからしばらく進むと、やがて分かれ道に出た。エリィは立ち止まることなく右側の道を選ぶ。
その後も何度か分岐点があったが、彼女は迷いのない足取りで進んでいく。
「この迷宮について調べはついている。次はこっちへ進んでいくわ」
「……これ、いつまで続くの?」
莉愛が苛立ったように言う。
「目的の場所までもう少しよ」
「もう……さっさと終わらせてよね」
莉愛の愚痴を聞き流しながら真紀は歩き続ける。
頭の中は蓮也のことでいっぱいだ。無事でいてくれるといいのだが、ひどい目に遭っていないだろうか。
「……」
ふと、莉愛が黙り込んだことに気付く。
「どうしたの?」
「なんか、変な音が聞こえない?」
確かに耳を澄ませると、かすか物音のような物が聞こえてくる。エリィも立ち止まって緊張した様子を見せた。
「気を付けて。何か来る」
エリィが警戒を促すと同時に、曲がり角の向こうから魔物が姿を現した。
それは巨大なコウモリのような形をしていた。全身は黒く染まっていて、翼を羽ばたかせながらこちらへ向かってくる。
「なにあれ!?」
莉愛が驚きの声を上げる。
「下がって!」
エリィは咄嗟に指示を出すと、素早く手をかざした。彼女の手の中に炎が現れ、それが槍の形を成していく。
「はあッ!」
放たれた炎の槍が真っ直ぐに飛んでいき、魔物の胴体へと突き刺さった。魔物は苦し気な声を上げるが、すぐ後ろから新手の敵が迫ってきた。
「ひッ」
莉愛が怯えたように短い悲鳴を上げた。
だが次の瞬間には彼女の持っていた杖から魔法が発動されていた。杖の先端から無数の鋭いつららが飛び出してきて、次々と魔物を突き刺した。
「す……すごい」
莉愛の口から感嘆の言葉が漏れた。けれど魔物はまだ生きているようで、よろめきながらも襲いかかってくる。
「や、やめて!」
真紀はそう言うと、手にしていた杖を振って魔物に向けた。その先端から雷がほとばしり、魔物を貫いていく。
「はぁ……はぁ、びっくりした。今のがこの杖の力?」
「ええ、それを使えば、あの程度の魔物なら簡単に倒せるよ」
エリィはそう言いながらも油断なく辺りを警戒している。
真紀は高鳴る心臓を抑えながら呼吸を整えていた。あんなに恐ろしい化け物を倒したというのに、恐怖心は消えてくれない。
「瀬川さん……大丈夫?」
「う、うん。なんとか」
心配そうに声を掛けてくる莉愛に対して、真紀はぎこちなく微笑んだ。莉愛も顔色が悪く、この状況にひどく動揺しているようだ。
「こんなところにも魔物が出るの? 魔物は魔女が生み出しているって聞いたけど」
「おそらくここの魔物達は、魔女のもつ魔力に影響されて普通の動物が変化したものだと思う」
「じゃあさっきのあいつも元はただのコウモリだったってこと?」
「ええ。この迷宮には他にも危険な生物がいるかもしれないから私のそばを離れないようにしてね」
エリィは真剣な口調で言うと、再び歩き出した。
先程の戦いの後では、先に進むのも勇気がいる。
しかしここで止まっているわけにもいかないので、真紀は覚悟を決めると莉愛と共にエリィの後に続いて歩いていくのであった。
それから何度か魔物と遭遇したものの、エリィが的確な判断で対処してくれたおかげで、大きな怪我を負うこともなく進んでいけた。
けれど目的の場所へはまだつかないのか、さっきから長い長い通路をひたすら歩き続けていた。
「この辺りで少し休憩しましょう」
通路の途中でエリィがそう言った時には、真紀達はすっかり疲れ果ててしまっていた。莉愛に至っては既に限界なのか、その場に座り込んでしまっている。
エリィもさすがに申し訳なく思っているのか、少しだけ優しい声で話しかけてきた。
「ごめんなさい。もう少しだから我慢して」
莉愛が恨めしそうにエリィを睨み付けるが、疲労のせいかいつもほどの迫力はない。
「ねぇ、そろそろ答えてよ。あなた達は蓮也に何をするつもりなの?」
真紀がずっと聞きたかったことを尋ねると、エリィは静かに首を横に振った。
「私にもよくわからない。ただ彼は、あなた達と少し違うみたいだから」
「違うってどういうこと?」
真紀は質問を重ねるが、エリィは口を閉ざしてしまった。ますます意味がわからなくなってしまい、もどかしさに歯噛みする。
「まぁ、いいわ。この一件が終わったら、私達はちゃんと解放してもらえるのよね?」
話を聞いていた莉愛が苛立った様子で口を開いた。
「もちろん。約束は守るつもりだよ。だからどうか、信じて欲しい」
莉愛は不満げにエリィを睨むと、再び黙り込んだ。
真紀にだって、彼女をどこまで信じてよいのかどうかは判別できない。蓮也が人質に取られている以上は従うしかないのだが、やはり不安が拭えないのだ。
「……さあ、行きましょう。もうすぐ着くはずだから」
そう言ってエリィが立ち上がり、真紀と莉愛もそれに続く。
だが再び歩き始めようとしたその時、突然莉愛の足元が崩れ落ちた。
「きゃっ!」
「樋口さん!」
真紀は咄嵯に手を伸ばして、莉愛の手を掴んだ。けれど引き上げることができなくて、そのまま二人して真っ暗な穴へと落ちていった。
「きゃあああああッ!」
落下しながら二人は悲鳴を上げた。
死への恐怖が脳裏に浮かんだその直後、地面と衝突するよりも先に二人の持っていた杖が強い輝きを放ったのだ。
「!?」
二人の体は優しい光に包まれ、ゆっくりと地上へと降りていく。
「何これ……どうなっているの?」
莉愛は呆然と呟いた。
やがて光が収まる頃には、無事に着地することができていた。
「二人とも、大丈夫?」
頭上からエリィの声が聞こえてきた。
二人が落ちた高さは五メートルほどだったのだが、どうやらエリィが持たせてくれた杖が持ち主の危機を察して魔法を起動させたらしい。
「うん、平気!」
そう答えつつ、真紀は辺りを見渡した。
二人が落ちた先は広い洞窟のような場所で、その奥には青い色をした宝石のようなものが輝いている。宝石は鎖で厳重に封じられており、地面には魔法陣が描かれていた。
「もしかして、これがエリィの探していた物?」
真紀は驚いて上ずった声を上げたものの、すぐにハッとしてエリィに呼びかけた。
「エリィ! 不思議な宝石を見つけたんだけど!」
するとエリィはすぐに返事を返してきた。
「わかった。今行くから待っていて」
エリィはそう言うと自分の周りに風を巻き起こし、ふわりと浮き上がってこちらへ向かってきた。
「……あの、瀬川さん」
つないだままだった手をぎこちなくほどきながら、莉愛が小声で話しかけてきた。
「さっきはありがとう。助けようとしてくれて」
莉愛が口にした感謝の言葉に、真紀はつい驚いてしまう。
彼女はいつも真紀に対して冷たく当たっていたから、こんな風に素直な感謝の気持ちを伝えられるなんて思ってもみなかったのだ。
「ううん、気にしないで」
二人がそんなやりとりをしている間に上からエリィが降りてきた。
エリィはゆっくりと宝石の方へ進み出ると、それをじっと見つめる。
「間違いない。私達が探していたのはこれだよ」
そう言ってエリィは振り返ると、真紀と莉愛に向かって告げた。
「今からこの宝石の封印を解くから、あなた達も手伝って」
「いいけど何をすればいいの?」
「あの宝石の左右に立ってほしいの。あなた達が持っている杖で、鎖に触ってみて」
エリィの指示に従って、真紀と莉愛はそれぞれ宝石の左右に立った。そして手にしていた杖で恐るおそる鎖に軽く触れてみる。
「きゃっ」
突然強い光が洞窟内を埋め尽くした。
「な……何よこれ!?」
莉愛が驚きの声を上げる。
眩しさに耐えきれず真紀も目を閉じてしまったが、しばらくして目を開くと、鎖と共に宝石が砕け散ってしまうのが見えた。
「えっ!? ど……どうなっているの? 宝石が割れちゃったよ」
真紀と莉愛は激しく動揺してしまう。
エリィは落ち着いた様子でじっとその様子を眺めていたが、やがて彼女は何かに気づいたように顔を上げた。
「何か近づいてきた」
囁くようにエリィが答えた次の瞬間、闇の中から異様な音が聞こえてきた。
獣が吠えるような低く不気味な音だ。
エリィは冷静に音のした方向を見据え、真紀と莉愛も杖を手に持って彼女の後ろに控える。
そこに現れたのは、鋭い爪と大きな角を持った、巨大な化け物だった。