30 クレア
黒いドレスを身に纏ったその女は、こちらを馬鹿にするかのように邪悪に笑っている。
その姿はどこまでも美しく、そして恐ろしく感じられた。
「お察しの通り、あたしは魔女によって生み出された使い魔だ。もうちょっとだけお馬鹿な妖精を演じてあげようと思っていたのに、余計なことをしてくれたね」
不機嫌そうに言いながらクレアは蓮也を睨み付けた。
(これが、クレアの正体)
真紀は放心状態で、変わり果てた彼女を見つめる。
彼女はさっきまでの無邪気な妖精ではない。禍々しい雰囲気を纏う魔女の使い魔なのだ。先程までとは打って変わって妖艶な雰囲気を漂わせている彼女は、真紀と蓮也を見下ろしながら整った唇を歪ませた。
「今まで楽しかったよぉ。でも、それもおしまい!」
クレアはけたけたと笑い、片手を真紀達に突き出した。彼女の手に魔力が集まり、黒い稲妻のようなものが生まれていく。
次の瞬間には真紀を目がけて稲妻が飛んできた。
「姉さん!」
蓮也は咄嗟に真紀を突き飛ばすと、自身も地面を転がって攻撃を回避する。彼が助けてくれなければ、二人揃って稲妻の餌食になっていたことだろう。
「姉さん、大丈夫?」
蓮也が心配そうに尋ねてくるが、真紀はショックのあまり答えることができなかった。
「クレア……どうして……?」
真紀は呆然としていた。
クレアは可愛くて、元気で、とてもいい子だった。
なのにそのクレアが、魔女の手下だったのか? 彼女は最初から自分達を騙すつもりで近づいてきたのか。
ショックとやるせなさで真紀の瞳から涙が溢れてきた。
「泣くなよ姉さん」
蓮也はそう言うと、再びクレアを睨みつける。彼は銀色の杖を構え、クレアに向かって魔法を放った。
「おっと」
クレアは黒いドレスを翻し、ふわりと空中に浮かんだ。
「レンヤぁ、あたしと遊んでくれるのぉ?」
クレアは嬉しそうに言うと、両手から魔力の塊を出現させる。それは次第に大きくなり、槍のような形へと変化していった。
彼女はそれを振りかぶり、蓮也に向かって投げつけた。
「うわっ!」
蓮也は間一髪でそれを避ける。
クレアの邪悪な笑みがさらに深まる。彼女は腕を大きく広げ、再び黒い槍を生み出した。
今度は先程よりも大きく、数が多い。蓮也はそれを回避しようとするが、すぐに考えを改めて杖を構え直した。
「せい!」
蓮也は魔力を放出して相手の魔法を打ち消した。
「へぇ、やるじゃん」
攻撃を相殺されても、クレアは余裕の表情を崩さない。
「それじゃあこれはどうかな?」
彼女が手を広げると、巨大な闇の球が出現した。
「こいつは結構痛いよ」
クレアはそう呟くと、蓮也に向かって闇の球を投げつける。彼は咄嗟に杖を構え直し、魔力を込めてそれを受け止めた。
「くぅっ!」
しかし闇の球の威力はかなりのもので、防御したにも関わらず蓮也は吹き飛ばされてしまう。
「痛い! 本当に痛いってこれ!」
泣き言を言いつつも、蓮也はなんとか体勢を立て直す。クレアはそんな彼を見て楽しそうに笑っていた。
「まだだよ、もっと遊ぼうよ!」
彼女は次々と闇の球を作り出すと、蓮也に向かって投げつける。蓮也はそれを回避しつつも隙を見ては反撃していた。
「しつこいなぁ」
蓮也は苦々しい表情で呟いた。
クレアは攻撃の手を休めることなく、次々と闇の球を生み出してくる。いくら回避してもキリがなく、どんどん体力が削られてしまう。
「こっちも出し惜しみしていられないね」
蓮也はそう言うと、銀の杖を天高く掲げる。精神を集中させ、魔力を込めてそれを大きく振った。
「これならどうだ!」
蓮也はクレアと同じように、魔力で作った球を放った。
「チッ」
蓮也がクレアに向かって攻撃を放つと、彼女は舌打ちしながら魔法をぶつけて相殺する。その拍子に凄まじい衝撃波が生まれ、真紀は思わず悲鳴を上げた。
「鬱陶しい男だね」
クレアは苛立った様子で蓮也を睨みつける。そして先程よりも魔力を込めて、闇の球を生成した。
「あはははは! さすがにこいつは避けられないだろ」
クレアが高笑いをしながら、両手から巨大な闇の球を生み出す。それはどんどん膨らんでいき、やがて彼女の体と同じくらいの大きさになった。
「さあ喰らいな! これはさっきのよりずっと――」
彼女の言葉を遮ったのは、どこからか放たれた光の矢だった。それは闇の球に命中し、爆発を引き起こす。
「な、なんだ!?」
クレアは驚愕して周囲を見回す。真紀も何が起きたのかわからずに混乱していた。
「ほら、ぼさっとしない!」
聞き慣れた声がして、真紀はそちらに視線を向ける。そこには莉愛が立っていて、真剣な表情でクレアのことを睨んでいた。
「樋口、さん?」
真紀は呆然とした様子で呟く。
「もう、捜したわよ。心配してたんだからね! って言うかなんなのよあの女? 見た感じ、魔女の影に似ているみたいだけど」
莉愛は怒りを露わにしながら、クレアのことを睨み返す。
「違う、あの子は」
真紀は説明しようとするが、上手く言葉が出てこない。
「ちょうどよかった! 今は少しでも戦力がほしかったんだよね。これで三対一だ!」
蓮也がそう声を掛けると、莉愛は驚きの表情を浮かべた。
「あんた、瀬川さんの弟? 今までどこにいたのよ?」
「それは後で説明するよ。それより、あいつを倒すのに協力してくれるよね?」
蓮也は莉愛の答えを待たず、クレアに向かって攻撃を仕掛ける。莉愛は当惑しているようだったが、すぐに表情を引き締める。
「よくわかんないけど、手伝ってあげるわ!」
莉愛は杖をクレアに向けて魔法を放った。
「生意気な連中だね!」
クレアは苛立った様子で再び闇の球を生み出した。
莉愛と蓮也は咄嗟に避けようとしたが、真紀だけは呆然としたまま動けずにいた。
「姉さん!」
蓮也が叫んだ。
「姉さんしっかりして! 攻撃がくるよ!」
「瀬川さん!」
莉愛も叫ぶ。しかし真紀は動けないままだ。クレアの放った闇の球が、すぐそこまで迫っていた。
「く……!」
蓮也が真紀の前に飛び出す。そして彼女を庇うようにして杖を振るい、魔力の壁を展開した。
「ぐぅっ!」
蓮也は苦しそうな声を上げる。その威力は凄まじく、魔力の壁は今にも破られてしまいそうだ。
「蓮也!」
真紀は悲鳴を上げる。しかし、彼女はどうすればいいのかわからず、ただおろおろするばかりだ。
「クレアやめて! もうこんなことはやめて!」
真紀は泣きながらクレアに向かって叫んだ。
「はぁ? クレア……って、あれがクレアなの!?」
莉愛は驚愕してクレアを見上げる。
彼女の知っているクレアは、小さくて可愛らしい妖精だ。しかし今そこにいるのは、邪悪なオーラを放つ禍々しい女だった。
彼女は真紀達のことなど眼中にない様子で、蓮也のことを見下ろしている。
「あぁ……最高に楽しい! ねぇレンヤぁ、もっと遊んでくれるよね?」
クレアは狂気じみた笑みを浮かべていた。彼女は容赦なく蓮也に攻撃を続ける。
「くッ!」
とうとう攻撃を防ぎきることができなくなり、彼はそのまま後方へと吹き飛ばされてしまう。
「蓮也ぁ!」
真紀は悲鳴を上げて駆け寄ったが、彼はぐったりと目を閉じてしまっている。
「あ……あぁ……」
真紀の目から涙が零れた。クレアはそんな彼女を見て満足そうに微笑んだ。
「おいおい情けないなぁ。あたしはまだ全然遊び足りないんだけど」
クレアはけたけたと笑い出す。
真紀は泣きながら、クレアを睨みつけることしかできずにいた。
「あはは、泣いてるの? 惨めな奴だなぁ」
クレアはそう言うと、真紀に手のひらを向けた。
「瀬川さん、危ない!」
莉愛は叫ぶのと同時に魔法を放った。彼女の放った光の矢が、クレアの体に命中する。
「いった」
クレアは顔を顰め、莉愛の方に視線を向けた。
「邪魔しないでほしいなぁ」
クレアは苛立たしげに言うと、莉愛に向かって黒い稲妻を放った。
「きゃあああッ!」
稲妻は莉愛の足元に命中し、爆発を起こす。彼女は吹き飛ばされて地面を何度か転がった。
「樋口さん!」
真紀は悲痛な叫び声を上げた。莉愛が倒れているのを見て、頭が真っ白になる。
「うぅ……、くっ……」
莉愛は痛みに呻きながらもなんとか立ち上がろうとしていた。
「樋口さん! 大丈夫!?」
「いたた……あんたねぇ、何ぼさっとしてんのよ! このままだと、私達全員殺されるわよ!」
莉愛は立ち上がり、空中にふわふわ浮かんでいるクレアを見上げて悔しそうに唇を噛んだ。
「はは、あたしを倒すなんて無理だよ」
クレアは勝ち誇った表情で真紀達を見下ろすと、再び両手を天高く掲げた。
「まずい、また攻撃が来るわ!」
莉愛が叫ぶと同時に、クレアの両手から闇の球が放たれる。それは真紀達に向かって真っ直ぐに飛んでいった。
莉愛は咄嗟に魔法を放ち、相殺しようとする。しかし彼女の力ではクレアの攻撃を打ち消すことはできなかった。
「あ……ぐ……!」
莉愛は苦しそうに呻き、その場に崩れ落ちた。
「いいね、その表情! すごく興奮する!」
クレアは楽しそうに高笑いをしていたが、やがて飽きたのか真紀の方に視線を向けた。
「そろそろ終わらせてやるよ。じゃあね、真紀」
クレアは真紀に向かって手を振ると、今度はいくつもの黒い矢のような形をした魔力の塊を生み出した。それらは全て真紀に向かって飛んでくる。
「!?」
真紀は咄嵯のことで動けずにいたが、彼女の杖が勝手に発動して魔力の壁を展開させた。おかげで直撃を免れることができたが、それでも衝撃はかなりのものだった。
「あうっ!」
真紀は苦痛に顔を歪めながら、その場に膝をついた。
「せ……瀬川さん」
莉愛が苦しげな表情で話し掛けてくる。
「このままだと、私達全員やられちゃうわ。だから、やるのよ」
「でも」
「いいからやるの! ほら、さっさと立って!」
莉愛は真紀の腕を掴み、無理やり立たせた。
「樋口さん……でも、私」
「さっきからでもでもうるさいわね! あいつがクレアだろうが関係ない。死にたくないなら、やるしかないのよ!」
莉愛は真紀の言葉を遮って叫ぶと、魔力を込めて杖を大きく振った。
彼女の周囲に冷気が漂い始める。それはやがて形を成していき、氷の刃へと姿を変える。
「あたしを凍らせてみる? はははっ、やってみなよ」
クレアは莉愛を嘲笑うと、次の魔法を放とうとした。
「瀬川さん!」
切羽詰まった声で莉愛は叫ぶ。
真紀は涙目になりながらも、地面に倒れている蓮也を見た。彼は気を失っているようで、ぴくりとも動かない。
真紀は覚悟を決めると、莉愛と一緒にクレアに向かって杖を構える。
「クレア」
頭の中に、クレアとの思い出が蘇ってくる。
彼女はいつも真紀の側にいた。一緒にお喋りをしたり、笑ったりした。あの頃は本当に楽しかった。甘えてくるクレアが可愛くて仕方なかった。
しかし今は違う。目の前にいるのは、邪悪なオーラを放つ恐ろしい女だ。そんな彼女を倒す為に、真紀は覚悟を決めたのだ。
「えい!」
真紀は莉愛と同時に魔法を放った。二人の杖から放たれた氷の刃は、真っ直ぐにクレアの方に飛んでいく。
「はんっ! そんな攻撃があたしに通用するわけ……ッ!?」
余裕たっぷりに笑っていたクレアの表情が変わった。彼女の放った魔法は、真紀達の魔法を相殺することができなかったからだ。
「うぐっ!」
氷の刃がクレアの体に命中した。そこから彼女の体は凍りついていき、その動きを封じていく。
「くっ……このっ!」
クレアは凍った体を強引に動かすと、怒りに燃えた瞳で真紀を睨みつけた。
「よくもやってくれたね……絶対に許さないから!」
クレアは怒りの咆哮を上げると、これまでよりも更に強力な魔法を発動させる。それは黒い電撃となり、彼女の手元でバチバチと音を立てながら暴れ回っていた。
「あはははは! もう容赦しないよ! これで終わらせてやる!」
「いいや。終わるのはキミの方だ」
クレアの言葉を遮るように、別の声が聞こえてきた。そして次の瞬間には、彼女の体にいくつもの黒い鎖が絡みついていた。
「な、何!?」
クレアは驚愕し、目を見開く。その拍子に彼女が放とうとしていた魔法が暴発し、黒い電撃がクレア自身を襲っていた。
「きゃあああッ!」
クレアは悲鳴と共に地面へと落下していく。
「ぐ……あ、何が……?」
困惑している彼女の元に、一人の少年が歩み寄っていく。
「キミが油断してくれていて助かったよ。まぁ僕も油断して気絶しちゃっていたわけだけど」
蓮也は微笑みながらクレアを見下ろした。
「さて、どうやらキミはもう限界みたいだね」
蓮也の言う通り、クレアの体は徐々に黒い霧へと変化し始めていた。
「どうやらキミの肉体は、思っていたよりも脆いみたいだね。まだ色々と聞きたいことがあったんだけど……仕方ないか」
蓮也は残念そうな笑みを浮かべる。
クレアは苦しそうな表情を浮かべながらも、蓮也を睨み続けていた。
「これで勝ったつもりでいる? だとしたら、本当におめでたい奴だね」
「ん? 何か恨み節でもある?」
蓮也は興味深そうにクレアを見つめる。すると彼女は不敵な笑みを浮かべ、挑発的な口調で言い放った。
「あたしを倒したって無駄ってこと! だって、魔女の使い魔はいくらでもいるんだ。いくらでも、作り出すことができるんだよ!」
クレアはそう叫ぶと、黒い霧となって消滅した。
蓮也はそれを確認すると、真紀と莉愛の方へ向き直る。
「二人とも、大丈夫だった?」
「ええ、なんとかね」
莉愛はそう言ったが、真紀の方は力が抜けてその場にへたり込んでしまった。
「ちょっと瀬川さん、しっかりしてよ」
莉愛が真紀を叱咤する。しかし、真紀は返事ができずにいた。
(クレア、どうして?)
疑問と悲しみと、いろいろな感情がごちゃ混ぜになって涙となって溢れてくる。真紀は手で顔を覆い、静かに泣き始めた。
そんな彼女の様子を見て、莉愛と蓮也はそれ以上何も言えずにただ黙って見守ることしかできずにいた。




