25 戦闘
深淵の民の男は、じっと真紀達を見つめていた。仮面越しで表情は見えないが、凄まじい威圧感を覚えて真紀は怯みそうになってしまう。
アルベルトは剣を構えたまま、相手の出方を窺っているようだった。
「まさか、このような場所で英雄と巡り合えるとはな。光栄に思うよ」
男はそう言うと、くつくつと不気味な笑い声を上げる。
アルベルトは真紀と莉愛を庇うようにして一歩前に踏み出した。
「そう怖い顔をしないでくれたまえ。キミ達に危害を加えるつもりはない」
男は穏やかな口調で言う。
アルベルトは険しい表情で、相手を睨みつけていた。
「この魔法陣は何だ?」
「さっきキミが想像をした通りのものだ。この魔法陣は、捕らえた魔物から魔力を吸い上げる効果がある」
「なぜそんなことをするんだ?」
「すまないが、それを答えるつもりはない」
「どういうつもりかは知らないが……こんなことをして魔女の逆鱗に触れれば、ただでは済まないぞ」
アルベルトは険しい表情で言い放つ。
「心配してくれるとは優しいではないか。だが、それも無用な気遣いというものだよ」
「どういう意味だ?」
「なに、気にしないでくれたまえ。そちらこそ、こんな場所に何の用だ? ここはキミ達の来るような場所ではないはずだが?」
男は静かに問いかけてくる。
真紀はアルベルトの陰から、そっと男の様子を窺う。こちらに敵意を向けているようには見えないが、やはり不安になってしまう。
「蓮也を、返して」
真紀は思い切って男に声をかける。
「レンヤ……あの少年のことか」
「知っているのね。蓮也はどこ!」
真紀は杖を取り出すと、男に向かって突き付ける。
「やれやれ、相変わらず血の気の多いお嬢さんだな」
「え……何?」
真紀は思わず聞き返す。
彼の口ぶりはまるで、こちらのことを以前から知っているかのようだった。真紀は呆然として男を見つめ、莉愛も驚いたように男を見つめていた。
「ねぇ、こいつもしかしてあの時の」
莉愛の呟きに、真紀の記憶が呼び起こされる。
この世界に始めてきた時、真紀は黒いローブを身に纏った仮面の男達に出くわした。その中の一人に、蓮也に魔法を掛けて気絶させたり、エリィに偉そうな態度を取ったり、真紀達を生贄にしようとしたりと、とにかく嫌な男がいた。
「まさか、あの時の人なの?」
真紀は思わず身震いする。
「そう構えないでくれたまえ。何も危害を加えるつもりはない」
男は穏やかな口調で言う。莉愛は顔をしかめて彼を睨み付けていた。
「どーりで聞き覚えのある声だと思ったわ! あんた、いったい何のつもりよ?」
「すまないが、今キミ達と話をしている暇はない。大切な実験の途中なのでな」
「あなた達が何を企んでいるのかは知らないけれど、お願いだから蓮也を返してよ」
真紀は懇願するように訴える。
しかし男はこちらの話などまるで聞いていない様子で、魔法陣の方に向き直った。
「そろそろ時間だ」
男は杖を振ると、何か呪文のようなものを唱え始める。
魔法陣から放たれていた光がだんだんと強くなっていく。魔物が苦しみ始め、悲鳴が辺りに響き渡る。苦悶の表情を浮かべて暴れる姿は、非常に痛ましい光景だった。
「やめろ!」
アルベルトは素早く男に斬りかかった。
だが男はそれを躱すと、素早く後ろに下がる。
「乱暴な男だ。その行動が何を意味しているのか理解しているのかね?」
「そっちこそ、この行動が何を意味するのか分かっているのか?」
アルベルトは剣を構えたまま、男を睨み付ける。
「ふむ……キミとは分かり合えぬようだな」
男は残念そうにため息をつくと、杖を構えてこちらを威嚇してくる。
「こんなバカげた実験は、さっさと終わらせるべきだね」
アルベルトは再び攻撃を仕掛けるが、男は結界を張ってその一撃を防いだ。
どうやらこの男はかなりの手練れのようだ。アルベルトが魔法と剣を駆使して攻め立てるが、なかなかダメージを与えられない。
「なかなかの腕だ。さすがは英雄と言ったところか」
男はアルベルトの攻撃を防ぎながら感嘆の声を漏らす。
アルベルトは冷静に相手の攻撃を伺いながら戦っていく。まだお互いに本気は出していないようだが、それでも両者の間には激しい攻防が繰り広げられていた。
「が、頑張って!」
真紀は応援の声を上げる。
「そうよ! そんな奴さっさと倒しちゃいなさい!」
莉愛も声を上げて、アルベルトを応援する。
男はアルベルトの攻撃を防ぎながら、何か考え込んでいるようだった。
「ふむ……どうしたものか」
男はアルベルトから距離を取ると、真紀達の方を向く。
「お嬢さん達を退屈させるわけにはいかないな」
男はそう言うと、真紀達に向かって手をかざした。すると彼女達の目の前に黒い霧のようなものが現れた。
「な、何これ?」
真紀達は驚きの声を上げる。
霧は徐々に形を整えていき、やがて黒っぽい人のような形になった。それは子供くらいの大きさで、頭には二本の角が生えている。
「キミ達の相手は、この子に務めてもらうとしよう」
そいつは黒い翼を羽ばたかせ、こちらに近づいてくる。背中に生えた蝙蝠のような翼には、鋭い爪が生えていた。
「気を付けて、そいつは『悪魔』だ!」
アルベルトが叫ぶ。
「悪魔とは失礼だな。守護者と呼べ」
男は不機嫌そうに言う。
真紀達の前に現れた悪魔は、ニタニタと不気味な笑みを浮かべていた。
体は小さいが恐ろしい形相をしており、明らかな殺気を放っている。こんな怪物とまともにやり合って勝てるはずがないことは、真紀にも理解できていた。
「来るわよ!」
悪魔は翼を羽ばたかせて空中に浮かぶと、真紀達に襲い掛かってきた。
莉愛が咄嗟に杖を取り出して光の盾を作り出す。悪魔はその盾にぶつかると、弾かれて地面に転げ落ちた。
「瀬川さん、大丈夫?」
「う、うん。ありがとう」
「お礼は後! 今はあいつを何とかしないと」
莉愛は険しい表情で悪魔を睨むと、杖を振るって魔法を放つ。けれど悪魔は素早く動いて攻撃を躱してしまう。
「もう、ちょこまかと!」
莉愛は苛立ったように声を上げる。
アルベルトは男の相手で忙しく、真紀達の援護に回る余裕はないようだった。
「この!」
真紀は魔法で光の鎖を作り、悪魔を拘束しようとする。しかし悪魔は鎖を引きちぎると、真紀に向かって飛び掛かってきた。
「きゃっ!」
真紀は思わず悲鳴を上げる。
その隙に悪魔は真紀の体にまとわりつき、鋭い爪で攻撃してきた。肩の辺りが引き裂かれ、血が滲む。痛みに耐えかねて、真紀は悲鳴を上げた。
「瀬川さん!」
莉愛が叫んで、もう一度悪魔に魔法を放つ。今度は光の球が命中して、悪魔は真紀から引き剥がされる。
「うぅ……早くあいつをなんとかしないと」
真紀は再び杖を構え、莉愛も次の魔法を放てるように準備をしていた。
一方のアルベルトは風の魔法で男を牽制しつつ、どうにか隙を見て悪魔に別の魔法を放っていた。彼の放った光の矢が悪魔に命中する。
悪魔は苦悶の表情を浮かべて地面に墜落した。
「ふむ、やるではないか」
それでも男は余裕綽々といった様子だった。
「さすがにこのままでは、実験が進まないな」
男はそう言うと、杖を地面に突き立てた。すると杖の先端から光が溢れ、それは暗い空へと昇っていく。
直後、彼と同じローブと仮面の男達が複数人現れた。
「はあ? 仲間を呼ぶとか、卑怯じゃない?」
莉愛は忌々しそうに言う。
「実験の途中で割り込んで来たのはキミ達の方であろう」
男はため息をつくと、仮面の男達に指示を出す。
「お前たちは私の代わりに実験を続行したまえ。私は彼らの相手で忙しいのでね」
仮面の男達は無言で頷くと、魔法陣に向けて杖をかざした。魔法陣が輝きを増し、魔物が激しく苦しみ始める。
「まずいな……このままだと、いずれ魔女に気付かれる」
「安心したまえ。その為の生贄は用意してある」
「え?」
真紀が驚いていると、男は軽く杖を振ってみせた。すると彼のすぐそばに何かが転送されてきた。それはどうやら檻のようで、中には何人もの男が閉じ込められている。
彼らの姿に、真紀は見覚えがあった。
「助けて……ここから出してくれ」
檻の中の男が懇願するように声を上げる。彼らは以前真紀達を襲って来た、あの野盗達だったのだ。
「あの人達、まさか」
「おや、知り合いかね? 悪いが、彼らはもう我々の所有物なのでね」
「そんな」
真紀は呆然とする。
野盗達は必死に逃げようともがいているが、彼らを捕えている檻は頑丈で、びくともしない。
「何考えているのかわかんないけど、さすがに悪趣味すぎ! こんな奴、さっさとやっつけちゃいましょう」
莉愛は男に向かって杖を構える。杖の先端から電撃が迸り、男を襲う。しかし彼はまたもや結界を張って、それを防いだ。
「甘いな。その程度の攻撃で、私を倒せると思ったのか?」
「甘いのはそっちの方よ!」
真紀が叫ぶと同時に、男の足元から光の鎖が伸びてきて、彼の体に巻き付く。
男は光の鎖を引きちぎろうとするが、その間にアルベルトが炎の魔法を放つ。
「ぐっ!」
男は苦痛の声を上げ、その場に膝をつく。
真紀はすかさずもう一度魔法を打ち込もうとしたが、それよりも先に悪魔が襲い掛かってきた。
「あぁッ!」
悪魔の爪が真紀の腕をかすめ、痛みによって集中力が途切れる。魔法は不発に終わり、悪魔は再び真紀に向かってきた。
「瀬川さん!」
莉愛が慌てて助けに入ろうとするが、悪魔は素早い動きで翻弄してくる。
「ああ、もうなんて速さよ!」
莉愛が悪態をつく。
真紀はどうにか反撃しようとするが、焦りと恐怖で上手く魔法を使うことができない。そうこうしている内に悪魔が再び真紀に向かってくる。
「え……きゃあああああッ!」
悪魔は真紀の両肩を掴み上げると、そのまま彼女を空中へと持ち上げた。
「や、やめて! 離して!」
真紀は必死に抵抗するが、悪魔は全く意に介さない様子だ。悪魔は真紀を空中に引きずり上げたまま、どこかへ飛び去ろうとする。
「しまった! 待て!」
アルベルトは慌てた様子で、真紀を追い掛けようとする。
真紀は空中で悪魔に捕まったままどこかへ運ばれていた。幸いにもスピードは遅く、低空飛行なこともあってまだなんとか耐えられる状態だった。
「この……離してってば!」
「瀬川さん!」
莉愛が顔を真っ青にして追い掛けてきた。彼女は魔法の矢で魔物の羽を攻撃した。羽を貫かれ、魔物は悲鳴を上げて真紀を放り出した。
「あうッ!」
地面に叩き付けられた衝撃で、真紀は苦悶の声を上げる。
「うぅ……いたた」
痛みに顔をしかめながらも真紀は立ち上がる。
どうにか助かりはしたが、このままではやられてしまう。そう思った瞬間、どこからか飛んできた風魔法が悪魔に命中した。
「二人とも、大丈夫!?」
そう言ってアルベルトが駆けつけてきた。
「大丈夫じゃないわよ! こっちには怪我人がいるのよ!」
莉愛は真紀を庇いながらアルベルトに文句を言う。
「ごめん。とにかくこいつを倒してしまおう!」
アルベルトは目つきを鋭くして、悪魔に斬りかかった。
莉愛もそれに続き、再び魔法を放つ。二人の攻撃を受けて悪魔は苦しそうに呻いた。その体が白い靄のようなものに包まれ、やがて跡形もなく消えてしまう。
「ほほぅ……これは驚きだな。いくら力の弱い守護者とはいえ、まさか倒してしまうとは」
男はゆっくりと地面を踏みしめながらこちらへと近づいて来る。
「だが、これで終わりではないぞ。キミ達のような存在は、我々にとって非常に厄介なのでね」
男はそう言って杖を掲げる。
アルベルトはさっと剣を構えると、二人を背中に庇いながら男を睨み返す。男はくつくつと笑いながら、再び悪魔を召喚しようとする。
「こいつはさっき呼んだものよりも、ずっと強いぞ。果たしてキミ達で倒せ――」
男の言葉は最後まで続かなかった。
後ろから何者かに殴られて、地面に倒れてしまったのだ。
「おい、お前ら無事か?」
男の背後に立っていたのは、片手に剣を持った少年と、杖を持った三つ編みの少女。
香坂隆弘と藤木恵子だった。




