二話
帰り道、人気のない道で突然声をかけられた。
話をしようと言われ無視をしたしほだったが、その後もずっとしほの後をつける男がいた。
その男の風貌は、見るからに怪しかった。
時代に合わない大きな白帽子を被り、全身白スーツに身を包んだ中年くらいの男はしほが駅を出たあたりから、いつのまにか後をつけてきたようだ。
「さっきからなんですか?警察呼びますよ?」
本当はとても怖いけどそれを悟られたらいけない気がする。不審者に出会ったのはしばらくぶりだ。
しほはバッグから携帯を取り出して男に見せつけた。
しかし男は笑みを浮かべたまま何も言わない。
「あなた誰ですか?本当に警察呼びますよ?」
しほは携帯を強く握りしめたが、警察に電話をする気はなかった。
このまま無視をし続けて帰ってしまうと自分の家がバレてしまう。だからとりあえず家には帰らないとして、面倒ごとにはしたくないから警察に通報するのは避けたい。でもやっぱり怖い。誰か人一人でも通ってくれればいいんだけど・・・。
「私が誰か。やはりしほ、お前は面白いことを聞くんだな」
さっきまで何も口にしなかった男が満足そうに笑い始めた。
知らない男に名前を呼ばれたしほは恐怖で一歩後ろに下がった。
「私の名前は・・・教えたところで意味がないだろう。そんなこと、私が私であることの証明になんてならない」
話していても埒が明かないと思ったしほは、一葉に電話をすることにした。
携帯を耳に当て、一葉が電話に出るのを待ったが、向こうから切られてしまった。
そして携帯に通知が来た。
≪ごめん忙しい≫
それを見たしほはため息をついた。
「まあ、そういうものだよ友人なんて所詮。そう落ち込むことはない」
駅に戻ることを決心したしほは振り返って歩き出そうとした。
その時、
「待ちなさい」
男の低い声とともに背中に何かを当てられた。
しほは驚き動きを止めた。同時にとても嫌な予感がし、鳥肌とともに額に冷や汗が滲んだ。
「そのままゆっくりとこちらを向きなさい。逆らうなら撃ってしまうぞ。」
「撃ってしまうぞ」という言葉を聞いたしほは背中に当てられたものが何かを理解して泣き出しそうになった。
やっぱり警察を呼べばよかった。
しほはまだ死にたくなかったので仕方なく言う通りにした。
「今からする質問に答えてくれたら、この銃の引き金を引くか引かないか考えることができる」
しほは息を荒くして何度も頷いた。
「お前は、本当にしほなのか?」
質問の意味が分からないけど、とにかく答えないと。
「そ、そう、そうです」
銃口を心臓に当てられ怯えているしほの唇は震えうまく発声ができず、声が裏返った。
「お前がしほだということを、どうやって証明するつもりだ?」
証明・・・だなんて。そうだ、戸籍だ。
「数日、数日待ってくれたら、戸籍を、戸籍を証明する書類を持ってきます・・・」
「そんなものではだめだ」
しほは青ざめた。
「私はここ最近お前のことを見つけた。しほよ、お前はどうして何も言わない。お前が言わなかった言葉たちが私のもとにやってくるんだよ」
男は銃の安全装置を外した。
「ま、まま、まってください、し、死にたくないです、どど、どうせ死ぬなら最後に、家族だけにでも電話をさせてください」
「しほは何かを勘違いしているようだな。まあ、いい。好きにしなさい」
しほはその言葉を聞くなり慌てて携帯を持ち直し、震える指先で一葉に自分の現在地を送った。しかし、一向に既読が付かないため仕方なく佐武にも送ることにした。
しほの頭の中は「死にたくない」の言葉で埋め尽くされた。
幸いなことに、佐武はすぐに既読を付けた。そしてしほに電話をかけてきた。
≪もしもし?どうしたの?≫
佐武の声に安堵し、携帯を耳に当てた。
「しほ、その声は・・・」
目の前の男は目を見開いたが、しほは気にせず電話を続けた。
「佐武君、お願い、わたしいま・・・」
その瞬間、男は銃を構え直して躊躇いなく引き金を引いた。
それは大きな銃声とともに、見事にしほの心臓に命中した。
しほはその場に倒れこんだ。
即死なはずが、しほは一瞬気を失ったあと、なぜかすぐに目を覚ました。
なに?今一瞬、脳がショートするような感覚がした。なんだろう、どんどん頭が冴えていく。
しほはゆっくりと起き上がった。しほには何が起きたのか理解ができず、ただただ涙を流した。
するとその瞬間、何かが膝の上に落ちた。しほの膝に落ちた何かはしほの脚の上を転がり地面に落ちた。金属音のような落下音とともに。
しほはその何かの正体を見ようと地面の先に目を凝らしたが、辺りが暗く何も見えなかった。
すると、また何かが膝に落ちた。その何かはまたしほの脚の上を転がり地面に落ちた。
そういえば、あの男が見当たらない。一体どこに行ったの?
「なあ、しほ」
後ろから声がして、しほは固まった。
「お前はなぜいつも一人で泣いている」
男の言葉に、しほの心が反応した。
「たくさんの言葉が時の流れに置いてかれているぞ。その時開きかけた扉が、言葉を飲み込んだ瞬間に固く閉ざされ永遠に開くことがなくなる」
しほはぽろぽろと涙を流した。しかしそのたびに、何かが膝の上に落ちていく。
「言ってしまいなさい」
その瞬間、しほの手に、何か冷たくて重いものが握られていた。
しほは握った覚えのないものが手の中にあることに驚き、それをゆっくり持ち上げた。
手に握られていたのは、ずっしりと重い拳銃だった。
持った重さで本物だと分かったしほは動揺した。
「人を傷つけることを怖がるな。その時はいつか自分に返ってくるだけだ」
そしてしほは地面に落ちている何かの正体をなんとなく理解した。
それに手を伸ばし、指先が触れると、しほの予想通りのものだった。
しほはそれをゆっくりと拾い上げた。
「言葉にすることを怖がるな。その涙をその拳銃に込めなさい。」
銃の安全装置を外したしほは、男めがけて引き金を引いた。
「それがお前の言葉となる」
人気がなく暗い道に、大きな銃声が鳴り響いた。
しかし、目の前の光景にしほは唖然とした。
「どうして・・・」
男に向けて撃った弾丸は、確かに男に命中した。だが男に変化はなく、先ほどと同じように笑みを浮かべて立っていた。
至近距離から撃ってたしかに当たったはずなのに・・・。
「分かった。私はここからいなくなろう。それがしほの気持ちだな」
男はしほに背を向けて歩き出した。
その時、男が歩いていく道の先から、黒い車が走ってきた。
「しほちゃーん!」
聞き覚えのある声がして男の先を見ると、こちらに向かってくる車の窓から佐武が身を乗り出していた。
佐武君だ・・・。これで私はもう・・・
黒い車が男の前で停車したのと同時に、しほはその場に倒れこんだ。