一話
「ごめん、あと少しで終わるから」
「りょうかい」
一葉は忙しそうに会議室から出て行った。会議室に一人残されたしほは、一葉が戻ってくるまで次の企画のポスターを進めようとパソコンを開いた。
今日は早く帰って観たい映画でも観ようと思っていたけど、一葉がどうしても私と帰りたがるから仕方がない。
その時、会議室の扉が開いた。パソコンを少し閉じ扉のほうを見ると、そこには同期の佐武がいた。
「佐武君、どうしたの?」
「実は頼みたいことがあって・・・」
佐武は手に持っていた書類をぱらぱらとめくりながら申し訳なさそうな顔をした。しほは嫌な予感がしてその言葉の続きを聞きたくなかった。しかし、佐武がわざわざこの会議室に来た訳はしほがここにいるのを知っていたからだろう。
しほは黙って佐武を見ていたが、佐武はその様子から何も察することはなく言葉を続けた。
「後輩の企画書、添削とアイデア出ししてくれませんか・・・?」
しほとは同期のはずなのにも関わらず敬語を使ってきた佐武に苛立ちを覚えたしほだったが、その苛立ちを表に出すことはなかった。
「いいよ」
しほは短く返事をし、素早く書類を受け取った。
「ほんとごめん!今日もちょっと用事があって・・・」
「いいよ全然。ほら、早く帰りなよ」
しほは佐武を見ずに言った。佐武は小さくうなずいてからお礼を言い、会議室を後にした。
それから約四十分後、やっと会議室に戻ってきた一葉。
「よし、帰ろ」
しほはうなずいたが、ちょうど佐武に頼まれた仕事が終わっていたためそれを佐武の机に置きに行こうと思い、それを一葉に告げた。
「え、早くしてくんない?」
しほは一瞬もやっとしたが、顔色は変えずにうなずき、会議室を出た。
待っていたのは私の方なのに、まるで私が一葉を待たせてるみたいじゃない。どうしてあんなに自分のことしか考えられないんだろう。
「ごめん、帰ろ」
しほは会議室の扉を開けた。
そこには、一葉と仲のいい千代が加わっていた。どうやら二人は共通の話題で盛り上がっている様子だ。
「一葉ー?戻ってきたよー。帰ろー」
話題が盛り上がる二人にしほの声はなかなか届かないようだ。しばらく経ってようやくしほに気づいた一葉はしほを一瞥し、
「あ、しほ先帰っててもいいよ。」
と言った。
しほはまた一瞬もやっとしたが、それを表に出すことはなかった。
結局、あれだけ一葉を待っていたしほだったが、帰り道は一人だった。
翌日。
「あ、おはよーしほ」
「おはよう」
昨日のことがあり、しほは少し素っ気なく挨拶した。
そういう時だけ一葉は敏感に察知する。
「なに、怒ってるの?」
「別に」
「いや、言ってくれなきゃわかんないよ」
「なんもないって」
「めんどくさ・・・」
「は?」
「いや、いいや、なんでもない」
一葉はそう言ってその場から立ち去った。
しほは、たった今言われた言葉が心にぐさりと刺さった。そしてそれは苛立ちへと変化した。
すると今度は一葉と入れ替わるようにして佐武がやってきた。
佐武はしほに声をかけるも、しほはなかなか佐武に気づかなかった。
佐武に肩を叩かれたしほはようやく我に返った。
「どうしたの?」
「なんでもない」
「そっか」
佐武は一葉の方をちらりと見たが、しほには何も聞かなかった。
「そうだ、企画書の添削とアイデア出し、まじでありがとう、助かったよ」
「ううん」
しほは表情を変えずに自分の席に座り、仕事を始めた。
「しほちゃん、相談とかあったらいつでも聞くからね」
しほはそれに適当に返事をし、佐武を追い返した。
「いつでも」という言葉が嫌いなしほは佐武の言葉を一切気にも留めなかった。
その日は初めて一葉からの誘いを断り一人で帰った。