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幸せを願って

作者: 日暮 記

 彼女との会話はほんの数秒で終わった。

 はいこれ。うん。じゃあ。といった具合に。

 彼女の家に忘れた本を届けてもらう、そのためだけの待ち合わせだった。情けないことに、別れた後だというのに、彼女の時間を独占できたことに高揚感さえ抱いていた。

 少しの立ち話でもできればよかった。表紙が破れているのは元からだとか、このページのシミには覚えがないだとか、そんな簡単な話がしたかった。その一瞬に少しでも自分に振り向く可能性を見出せたら。そんなくだらないことをお幸せな脳みそに詰め込んでいた。気づけば10歩ほど先に彼女の背中が見えただけだった。


 数か月前から冷めていたらしいことを、一週間前に電話で聞かされた。単純なようで複雑に見える純粋な理由がそこにはあった。

 ここ数ヶ月互いに予定が合わなくなり、会えない日々が続いていた。

 たまにするsnsが連絡手段となっていたが、顔を見れないと不安になっていくのが人間の性だ。それが異常に強く出た私は執拗なまでに連絡を求め、話そうとし、結果、撃沈である。

 すべてが愛ゆえの行動だった。安っぽく聞こえるかもしれないが、愛していたから彼女とつながっていたかった。彼女の物でいたかった。しかし案外あっけなく、彼女はその所有権を放棄してしまった。

 昔は――などと振り返るとその都度心臓を鈍器で殴られるような重い痛みが走るが、話さねばなるまい。そう、少し前、どちらの気持ちが大きかったかと言えば彼女の方だった。

 そもそも彼女のアプローチに私が影響されたのが二人の始まりである。わかりやすいようでどこかむず痒い会話など、もう思い出でしかないが。一応の青春は送ってきたといえるだろう。

 別れ話をしたら刺すから。これが彼女の口癖だった。嫌いになったら刺す。浮気をしたら刺す。刺して自分も死ぬ。そんな会話を冗談にとらえられないくらいには、ちゃんと彼女の愛情を感じていた。そして私も負けないくらい、彼女を愛していた。

 この時はまだ、お互いに支えあって生きていけていたのだろう。すなわち人という字のように。しかしいつからか、支えていたつもりが、よっかかるだけの重りになってしまっていた。

 彼女が恋しかった。笑った時の柔らかい目元やいつもご機嫌に歩き回る姿をまた見たかった。

 たった10分ほどの電話で、それはもう見られなくなってしまった。


 傷心のままだらだらと日々を過ごしていると、彼女から連絡があった。

 『本、忘れてってる いつでも返すから、連絡して』

 内心、飛び跳ねるくらいうれしかった。うれしかったし、神様に感謝もした。

 『俺もいつでも大丈夫。なんなら今すぐにでも。』

 今すぐにでも会いたかった。

 『じゃあスーパーの近くの公園で』

 もうその場所を「いつもの公園」とは言ってくれなかったが、それでもたまたまその場所を指定してくれたのがうれしかった。

 文字通り殻にこもっていたので伸び放題だった髭をそり、髪を整えた。次回のデートのためと買い込んでいた服も出した。もっと早く会えると思い込んでいたため若干季節外れな感じもしたが、今できる最高のおしゃれができていた。

 本を入れるにはちょっと大きすぎるカバンを用意した。渡しそびれていた今年の誕生日プレゼントを、ついでに渡してやろうと思っていた。お気に入りのブランドのパーカーだった。喜んでもらえると思った。

 決めた時間よりも早く公園についた。少し風が強かったので、セットした髪が崩れないかを気にしてしまう。間抜けの様に前髪をいじっていたところに、君の足音が聞こえた。

 ……そして、冒頭に至るわけである。


 がーん。いや、ぽかーんという気持ちだった。あれ、こんなにあっけないもんのか。こんなにもあっさり気持ちは冷めてしまうのかと。

 いや、もちろん言いたいことは山ほどあった。久しぶりだね、髪染めたんだ、とかとか。あと、わざわざごめんねとも。

 これから出かける予定でもあったのだろうか、きれいな服を着ていたので、かわいいとか褒めてやろうとも思っていた。しかし彼女の冷めた目に射抜かれ、それらはすべて不発に終わった。

 電話越しのさようならだったので、少なからず期待をしてしまっていたのだろうか。

 その時に初めて実感を持つことができた。

 ほんとに、みんな、終わりだ。


 ようやく諦めがついたとというのだろうか。悩み、後悔していた分の脳のリソースが一気に解放されるような感覚だった。

 彼女に背を向けて、家とは反対方向に歩いた。適当にふらふらと歩いていたい気分だった。夕暮れの風が心地よかった。

 昔、二人で歩いた道を通る。

 半年前、二人でいった喫茶店を過ぎる。

 いつか、行こうと思っていた温泉街のチラシが目に入る。

 目をそらそうとして見たスマホのケースは彼女がくれたものだった。

 彼女は、日常に溶け込みすぎていた。

 すべてがただの思い出に変わってしまった。

 胸に穴は開かないが、パズルの大事なピースをなくしてしまったような気持ちになる。

 「寂しい」では片付かないくらい、大きな感情。

 「悲しい」とは違った、胸を満たす粘着質の物体。

 諦めはついた気がしたものの、どうも吹っ切れてはいないようだった。

 伸びる影が地面に縫われるように、足取りが重くなっていた。


 何か変化が欲しくて、適当な本屋に入った。

 きっと読みもしない小説を、表紙がきれいなものを2冊。漫画は新刊が出ていなかったので買わなかった。

 美容室も予約して、髪の色を変えようとした。昔とは違うんだと鏡を見るたびに思いたかった。思い切って派手な青色にでもしてやりたかったが、一度色を抜かなければならないといわれた。一時的なものでも、金髪は自分に似合わないと思ったので、結局今までの茶色に少しの紫色を載せるくらいに妥協した。


 何もかもうまくいくことなんてないんだと、呆けた頭なりに考えた。


 唯一の後悔は二つあって、一つは彼女を抱けなかったこと、もう一つはすべての動機が「彼女のため」だったことだ。


 あれだけ愛していたのに、それをすべて互いに受け入れきれなかったのが悔しくて仕方がない。

 互いに未経験だったので、慣れないなりに手をつなぐ程度に終わってしまったのが心残りだ。

 もし数ヶ月、いや数週間して、彼女に新たな相手ができたとして、私にできなかったことをやすやすと行われてしまうのではないかと思うと、悔しくて、情けなくて、どうしようもなくなる。

 いっそ最悪の相手と触れ合って、私を思い出して、戻ってきてはくれないかなどと考えている。

 その場合他の男を知っているわけで、その事実に安易に身を投げたくなるが、それでも彼女を愛してみせるだろう。その最悪の相手よりは、少なくとも。

 ひどい願いであることはわかっている。それでももし私に可能性を見出してくれるなら。


 最近覚えた料理は、彼女の胃袋を掴もうとしたためだ。

 髪を少し長めに伸ばしたのは、それが彼女の好みだったからだ。

 他の女性との交流を絶ったのは、彼女を心配させないためだった。

 髭を毎日剃ったのは、彼女が怖いと言ったからだ。

 彼女をすべての理由にしてしまった。

 そのせいで、生きるモチベーションを見失っている。

 これから出会う誰かのための練習だなどと考えられるはずはない。

 なにせ、見て分かるように、未練たらたらの弱い生き物なのだから。

 いっそ店でも出せるくらいになれば、彼女は訪ねてくれるだろうか。

 客と店員という付き合いも、悪くないかもしれない。

 ちょっとカウンターから乗り出して、対面で会話とか。

 ……。


 何にしても、どれも妄想の域を出ない話だ。 

 自分の知りえないことは知らないし、できないことはできない。

 とりあえず明日死ぬことはないだろうと、気楽に生きることにしようか。


 ただ最後に、

 あなたが電話越しに言った「幸せになってほしい」という言葉。

 わたしは、あなたの幸せが一番の幸せであることがわかったので、これから出会ふ幸せを願って、この書き殴りの文章を閉じたい。

 どうか、もっといい人に巡り合えますように。


 

最後にもう一言付け加えたかったのですが、気持ちの関係上やめました。


整理がつかない気持ちを無理やり片付けるために書きました。

引っ越し段ボール1箱分にはなりました。

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