なろう批判を批判する暇があるなら批判されている作品群の良いところを語ってもらいたい
この小説家になろうというサイト内でエッセイランキングに関して言えば、書籍化する可能性が存在しないため多様性と内容にそこそこ信頼をおける。そういった考えもあって私は企業の力が絶対に介在しないであろうそれらを定期的に見ているのだが、最近の流れを観測していく中で少々疑問を覚える部分があった。
主にハイファンタジーを主軸としているのだろうなろう小説への批判を主としたエッセイが、ランキングにてやや増加傾向にある。少し波が引いているようにも映るため「あった」と過去形にすべきかもしれない。
そしてそれらに対する反論のつもりか、「批判に対する意見」も散見されるようになった。
いつぞや流行したなろう批判への批判を思い出す。
あのエッセイを読んだ当時にも思ったことだ。批判に批判で返すというのがそもそも私には理解し難い。他者の作品に対する他者の感想を第三者の立場から“批判”できるものなのか、という疑問すらある。
ともあれ「なろう小説は気持ち悪くない」だの何だのと、なろうにおける風潮・流行を批判する意見に対する反対意見を見ているとどうにも不自然に思える点があった。
少なくともなろう小説への擁護はできていない。
言ってしまえば「私(あるいは不特定多数の読者)が面白いと感じる作品をつまらないと言うお前は間違っている」という批判に向けての否定的意見は見受けられるものの、「お前が批判している作品にはこんなにも素晴らしい点があるのだ」という小説への肯定的意見が全くと言っていいほど見当たらないのである。
はっきり言って私も大して面白いわけでもない作品群が横溢するランキングの在り様を、決して快くは思っていない。
書籍化どころかアニメ化した作品でさえ低品質な場合がある。これが私個人の感覚、あるいは少数派の意見でしかないのなら批判的なレビューが通販サイトや動画サイトで支持される現状もあり得ないはずだ。
とある有名ライトノベル作家に至っては異世界で現代日本人が無双するテーマ性の薄い物語を“クソラノベ”と形容している有様である。
批判者の意見はなろうにおいてテンプレート化した物語群に向けられており、内容も割と明確に記載されているものが多い。
もちろん全てが優れた意見であるとまでは到底言えない。私は“なろう系”なる言葉を未だに厳密に定義できていないし、そういった一つのジャンルを十把一絡げにして絨毯爆撃を行うのも安易極まると判断している。
ただ比べてなろうの現状を肯定的に受け止めている人の主張を見てみると、意見の向かう先が否定した人物あるいはそこから生じた意見にのみ集約されている。何というか本当に作品群を肯定しようという気概があるのかどうかすらわからない。
端的に述べると、否定する側が「これが嫌い」と語っているのに対し、肯定する側は「これが好き」と語っていないパターンが多いのだ。
では何を語っているのかというと、否定する側に向けて「嫌いだなんて言うな」「嫌っているそっちが間違っている」などのフォローとも言えない文句をつけるばかり。
もちろん他人の文句に向けて文句をつける権利は誰にでもあるのだが、彼らの意識は一様にして愛しているはずのジャンルに向いていないのだ。ただ「批判されて嫌な気分になった」という、批判者と自分の存在ばかりが前に出ている状態である。
擁護するためのエッセイでマイナスをゼロにするべく努力している人は何度か見かけたものの、プラスにまで持ち運んだ人を私は今のところ見ていない。
例えば「自分は努力を重ねるシーンよりも主人公が活躍するシーンに重きを置いているから俺TUEEE系の作品を愛している」だとか、「疲れている時に魅力的な美少女が自己投影している主人公と幸せに過ごしているのを見ると癒やされる」だとか、そういった意見があっても良さそうなものだ。
しかし少なくともエッセイランキングにおいて具体的肯定を成している人はいない。仮に私が見落としているだけでそういった意見を表明している人もいたのだとしたら、それはこちらの確認不足なので謝罪するしかないけれども。
別に客観性を伴う必要などなく、「自分はこれで満足できる」と理由を添えて説明するだけでまともな批判者は納得と理解を示すだろう。それでも噛みついてくるのは冷静な相手ではないので無視して構わないと思う。
先に記したように、私はなろうのランキングが現状抱えている諸問題について良い印象を持っていない。同時に「なろうだから」などとまとめて駄作扱いするつもりもない。
本当に面白い作品が全く存在しないと断じているのなら、私のブックマークは空白であるはずだ。
企業と金に汚染されたとはいえ、フォーマット自体は有用なものに違いないのである。スコッパーが土を深くまで掘らずとも、浅瀬で砂金を拾える日が来ればと私も願っている。
「なろう小説を批判されたくない」と考えている諸氏には、批判された部分の補填のみならず「これが好きだ」と相手に伝える努力をしてもらいたいと思う。
それが私にとって望ましい未来に繋がるかどうかは知らないし、私以外にとってそうなる必要もまた無いのだが。
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