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ナカリアの剣  作者: 滝壷 実
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野菜スープと防犯

その後、なんとかしてエリアーヌをなだめ部屋に入れると、ユリアは自分の部屋に入った。


本当に狭い。


ベッドは部屋の半分を占めている。


部屋を見回すと、窓の桟がところどころ黒く汚れている。


クローゼットを開けるとかび臭い匂いが鼻をつき、ユリアは慌てて戸を閉めた。


窓の桟に積もった埃を払い、軋む窓を押して開けると、外には大きな湖が見えた。


水鳥が数羽、水面を泳いでいる。


のどかな田舎の風景だった。


手始めに、部屋を掃除してみよう、とユリアは思った。


下に行ってメルパに布巾が欲しいというと、メルパはほっとした表情ですぐに布切れを用意してくれた。


ユリアは部屋の埃を落とし始めた。


窓の汚れは激しく、埃を落としてもなかなか黒い汚れは取れない。


軽いノックの音がして、エリアーヌが入ってきた。


「やっぱりこの部屋もすごいわね。狭いし臭いし汚いし暗い。最悪ね。」


「そうね。でも事情が事情だから文句は言えないけど。」


「今までの船での食事だって、本当に粗末だった。私たち、どうなってしまうのかしら?」


エリアーヌはユリアが手に持っている布巾をちらりと見た。


「何をしているの?」


「掃除よ。少しでも住みやすくしなくちゃ。」


ユリアは明るく答えた。


「掃除なんて、使用人がすることでしょう?どうしてあなたがやっているのよ。」


「だって、私たちに使用人はいないでしょう?」


ユリアは手を動かしながら言った。


「あなたもばあやに布をもらってきたら?窓の汚れはなかなか落ちないけど、少しは綺麗になっているような気はするの。」


エリアーヌは何も言わずユリアを見つめていた。


「食事の用意ができましたよ。」


メルパが下で叫んだ。そう、下から叫んだ声が聞こえるのだ。


足音さえ吸い込まれる長い毛の絨毯や、室内外の声を通さない分厚い壁などここにはなく、食事時に優雅にノックをして呼びに来る侍女など、ここにはいない。


そういえば、かすかに何かを煮ているうような匂いまでする。


さっき到着したばかりなのに、いつの間に食事を作ったのだろう。


「今行くわ。」


ユリアも叫び返した。これで聞こえるらしい。何というか、考えようによってはとても便利だ。


誰かを使いに出す必要もない。使いに出せる人など、ここにはいないが。


「ほら、行くわよ。」


エリアーヌは硬い表情のままだ。


「食事って、今度は何かしら?」


「きっと、この土地の名物とかじゃないかしら?ほら、ここは酪農の村だし。」


そう言いながらも、ユリアは食事に全く期待していなかった。


階下に降りると、テーブルの上には皿が並べられ、中には野菜のスープ。


何の野菜なのか見当もつかない。横には小さなパンが二切れ。


「これが夕食?」


エリアーヌが溜め息をついた。


「前菜にもならないじゃないの。」


一方ユリアは無言でスープをすすった。この世のものとは思えないほど苦い。


草の汁のような、敢えて苦みを付けたとしか思えない味がする。


「だめ。とても飲めないわ。」


 ユリアは首を振った。メルパも首を振った。


「前に行った通り、今まであなた達が食べていたのは、最高級品ばかり。ここではそんな暮らしはできません。今は戦争中、贅沢はできないんですよ。」


「それはユリアも私も分かってるわ。でも、このスープは飲めないの。」


エリアーヌはそう言うと皿を押しやった。


「二人とも、聞いて。」


ビルソン夫人が口を開いた。


「前に言ったように、ここではあなた達はマリアとエマ。おじ、おば、祖母と暮らす田舎娘。礼儀知らずとは思います。でも、もう特別な扱いはできないの。私達はあなた達に敬語も使えないし、誰もあなた達に丁寧にはしないでしょう。でもどうか、耐えて、国の無事を祈りましょう。」


国の無事を祈れ、と言われると何も言い返せない。


国が無事でなければ、王位継承者ではいられないのだ。


ユリアとエリアーヌは気まずくなって顔を見合わせた。


「とりあえず、このスープを飲みましょう。」


ユリアはスープを一気に口に流し込んだ。心を入れ替えても苦いものは苦い。


ユリアは目をつぶって最後の一口を飲んだ。


飲み終えて横を見ると、エリアーヌはスープを飲んでいなかった。


「エマ?」


 エリアーヌは何も言わなかった。黙って目の前のスープを見つめている。


「エマ、お願い。」


ビルソンが懇願するように言った。


エリアーヌは机をバンと叩くと無言で階段を登っていった。ユリアも無言で部屋に戻った。


今の自分ではエリアーヌを慰められない、とユリアは思った。


ユリア自身、まだ完全に納得したわけではなかった。


田舎暮らしは仕方ないにしても、野菜の切れ端をほんの少しだけ食べて暮らしていくことは不可能に思えた。


ユリアはつぎはぎだらけのベッドに腰を下ろし、外を見た。窓の外に広がる湖には水鳥の姿はなく、三日月が静かな水面に映っていた。


「私は、マリア・エカープス。貧しい田舎娘。」


ユリアは呟いた。誰かが小さくすすり泣くのが聞こえたような気がした。


「ユリア・メトーズ・スメリアータ姫ではないのね。王位継承者なんかでもない。」


また、誰かが鼻をすすった。


エリアーヌか、もしかするとメルパかビルソン夫人が部屋の外にいるかもしれない。


ああ、それはないか。


この家の階段は、歩くとミシミシと音を立てる。


聞き耳を立てる者や忍び込もうとする者はすぐに見つかるだろう。


「護衛の兵が寝ずの番をしなくても、案外平気なのかもしれない。」


考えようによっては、防犯対策は抜群なのかもしれない。


自分が歩くときに床が抜ける心配をしなければならないことを考えなければ。

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