かわいい一軒家
船を降りた五人は、六人乗りの馬車に乗り込んだ。
「今度は馬車に乗れるのね。」
聞こえよがしにエリアーヌが呟いたが、前席のメルパに無視された。
エリアーヌはむくれたが、ここで癇癪を起こすほど愚かではなかった。
馬車は山道を走り続けた。
地面は、ナカリアの都とは比べものにならないほどにガタガタで、ユリアは振り落とされまいと椅子の背につかまった。
激しい揺れでお尻が痛い。
横を見ると、エリアーヌは、顔を真っ赤にして怒りを隠している―――つもりらしかった。
誰も何も話さず、船に乗っていた男が馬を操る音と、ガタガタという車輪の音だけが響いている。
晴れた空に小鳥が飛んでいるのどかな春の朝だというのに、馬車に乗る誰一人としてその気候を楽しむ者はいなかった。
昼を過ぎてからもかなりの距離を進んだとき、急に視界が開けた。
目の前には草原が広がり、羊が草を食んでいる。
「着きましたよ。ここがスチーナです。」
御者は馬車を止め、四人を降ろした。
ユリアはほっとして地面を踏んだ。
まだ足元が揺れている感覚だが、それでも地に足がついている安心感がある。
御者は金を受け取ると、一礼してもと来た道を戻っていった。
「さあ、行きますよ。マリア、エマ、いいですか。」
ミルパ少佐はそう言うと早足で歩き始めたので、ユリアは慌てて追いかけた。エリアーヌもそれに続く。
目の前には柵が巡らされており、中に入ることはできない。
柵に沿って周囲を回りこまなければならないようだ。
「村に入ろうとする者を見つけやすくして、準備をする時間を作るためでしょうね。」
メルパが言った。
来訪者が簡単に村に入れない上に、中からは良く見える。
山賊から村を守るためだろうか。
村は広く、柵の向こうに見える牧草地では多くの牛が草を食んでいる。
この村は山の斜面を開いてつくられたためか、斜面が多い。
比較的平らなところでは、畑を耕したり、家畜の番をしたり、荷車を引いたりしている村人たちの姿も見える。
貧しいためか、皆がユリアたちの服よりも更にボロボロの服を着ている。
確かに王女のドレスでここに来ていたら、大変なことになっていただろう。
そもそも、ナカリアの王女の存在を知っているのだろうか?
ミルパ少佐が先頭を進み、村の入り口らしい場所に近づいた。
近くで作業をしていた村人が珍しいものでも見るように見つめている。
「どうしてこんなにジロジロ見られるの?私たちの正体が知られているのではないの?」
エリアーヌがメルパにささやいた。メルパは小さく首を振った。
「いいえ、ありえません。ここは小さな村ですから、移民は珍しいんでしょう。」
二十歳くらいの青年が近づいてきた。
背が高く、顔立ちも整っている。年ごろの女性からは好かれる系統だろう。
などと下世話なことを考えていたら、名前を聞き逃してしまった。
ミルパ少佐と何か話しているが、青年がぼそぼそと話すので聞き取れない。
少なくとも、彼が村長の指示で5人を迎えに来たということは分かった。
青年について村の中を歩いていくと、川を越えて一軒の家の前で立ち止まった。
よく言えばこぢんまりとしたかわいい家、レンガと木でできた小さな家だ。
二階建てだが、はっきり言って今にも崩れそうだ。
城にあるユリアの部屋より狭いような気さえする。
ミルパ少佐が青年に礼を言うと、青年は早足に去っていった。
村長のところへ到着の報告に行ったのだろうか。
「着きましたよ。ここが、私たちの家です。」
メルパの声が、頭の中をこだまする。
私たちの家。ここが。
「冗談でしょう?こんな所に住むの?この私が?」
ユリアが口を開く前に、エリアーヌが声を上ずらせる。
「声を低く。エマ、とにかく中に入りましょう。」
ビルソン夫人が小さな声で言った。
ミルパ少佐はもう既に扉を開けていた。
「絶対に嫌よ。どうしてこんな所に!」
エリアーヌが必死に抵抗したが、ビルソン夫人に背中を押されて渋々中に入った。
正確には、力づくで押し込められた。
二人に続いて室内に入ると、家の中はかび臭く、薄暗かった。
はっきり言って何もない。入口の近くに、小さな木のテーブルと椅子が四つ、無理に押し込められている。
そして小さな食器棚が一つ。天井に明かりはなく、テーブルには小さなランプが二つ置かれていた。
床は木張りだったが、汚れて黒くなっている。
部屋の隅には竈があり、上には小さな鍋が乗っている。
幼い頃に忍び込んだ下女の部屋が、こんな雰囲気だったろうか。
あの時は、ビルソン夫人に見つかってかなり怒られた。
王族は、使用人の部屋には絶対に入ってはならないらしい。
理由も何か言われた気がするが、覚えていない。
とりあえず、今はこの部屋に入ってもいいのだろうか。
そんなことを考えながら部屋の中を見渡すと、食器棚の奥には階段があった。
そこから二階に上がるようだ。
「本当に、ここに住むの?」
下女の部屋に、という言葉を飲み込んで、ユリアはビルソン夫人に尋ねた。
「本当に、ここに住むんですよ。戦争が収まるまで、ここで暮らしてもらいます。」
マリア・ビルソンは同情するような表情でユリアを見た。
「上には部屋が二つあります。そこをあなた達の部屋として使ってください。」
メルパはそう言うと、食器棚などを調べ始めた。
二人は二階に上がった。階段は古く、一歩進むたびにギシギシと鳴った。
「本当にこんなところに住めるのかしら?」
ユリアは呟いた。
二階には二つの部屋が並んでおり、二人は手前の部屋に入った。
中には、小さな木のベッドと小さな木のクローゼットしかない。
窓はあったが、久しく開かれていないらしく、埃まみれだ。
なんとなく、空気も埃っぽい。二人は顔を見合わせた。
「予想はしていたけど…すごいわね。」
エリアーヌが言った。
「とりあえず、隣の部屋に行ってみましょう。」
ユリアが隣の部屋のドアを開けたその瞬間、部屋の中から蜘蛛が這い出してきた。
ユリアが飛びのくと、蜘蛛は廊下の向こうに逃げていった。
「私、この部屋は嫌よ。」
エリアーヌはそう言うと、最初の部屋に飛び込んだ。しかし、すぐに悲鳴をあげて飛び出してきた。
「どうしたの?」
「あの部屋にも蜘蛛がいたの!」