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ナカリアの剣  作者: 滝壷 実
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小さなナカリア

次の朝ユリアが目を覚ますと、軽い吐き気を感じた。


船に乗るのは久しぶりなので、揺れ続ける感覚に慣れず、昨日はほとんど眠れなかったのだ。


体を起こすと、向かいのベッドの上段でエリアーヌも体を起こしたところだった。


ユリアは梯子を降りた。


メルパはもう起きていて、二人分の朝食を乗せたトレイを持って立っていた。


「おはようございます。」


メルパはいつもと変わらない静かな声で挨拶した。


「おはよう、ばあや。」


ユリアはできる限り明るく答えた。まだ吐き気がしていたのだ。


「ばあや、ユリア、おはよう。」


エリアーヌも降りてきて隣に立った。エリアーヌも顔色が優れないようだ。


そんな二人の心中を察してか、メルパが言った。


「あとで甲板を散歩してこられたらどうです?


潮風に吹かれたら気分が良くなるかもしれません。」


「そうね。行きましょう。」


 ユリアがドアに手を掛けようとした時、メルパが言った。


「お待ちください。外を歩くに当たって、お話しなければならないことがあります。」


「ばあや、何なの?」


 ユリアはメルパを振り返った。メルパは、昨日のように話し辛そうな顔をしていた。


「昨日話した通り、あなたがたは身分を隠さねばなければなりません。


私たちのことは、前と同じに呼んでくださればいいのですが、


私もマリア・ビルソンも、あなた方を姫様、とお呼びすることはできません。


名前でもです。あなたがたには偽名、つまり別の名前を使っていただきます。」


「偽名?」


ユリアとエリアーヌは顔を見合わせた。


自分たちが偽名を使うことになるなど考えたこともない。


「偽名って、どんな?」


「ユリア様はマリア、エリアーヌ様はエマです。姓はエカープスとなります。


くれぐれも、ご身分を明かさないよう。


私は祖母、マリア・ビルソンンは叔母、中佐は彼女の夫、つまりあなた方の叔父ということになります。


なお、私はこれからは世話係としてではなく、祖母としてご一緒いたします。」


「つまり、世話係じゃないから世話はしないってこと?」


エリアーヌがメルパを睨んだ。


「いえ、お世話はいたします。


しかし、村娘として暮らすのですから、周りから見て不自然にならぬよう、


多少はご自分でやっていただくところもあるとは思いますが。」


ユリアはまだ村娘というものが想像できなかった。


絵では見たことがあるものの、実際に見たことはない。


いや、正確には気に留めたことがない、という方が正しい。


両親の「国内視察」という旅行に同行したことがあるから、見たことくらいはあるはずだ。


「国内視察」が何なのか、ユリアにはよく分からなかった。


昔見た絵は、確か、赤い服を着た少女が微笑みながら羊を追って草原を駆けていく場面だった。


彼らはどんな物を食べ、どんな所で眠るのだろう。


ベッドは小さいのだろうか。天蓋はさすがにないだろう。


ユリアはスチーナを頭の中に思い描こうとした。しかし、情報が少なすぎた。


「マリア、エマ、朝食にしませんか?」


メルパが静かに言った。ユリアとエリアーヌはまた顔を見合わせた。


「船室の中くらい普通でいいでしょう?」


エリアーヌがイライラと言ったが、メルパは首を振った。


「だめです。誰が聞いているか分かりません。


船員があなた方をスチドニアに売ったらどうするのです。辛抱してください。」


「分かったわよ。で、今日の朝食は、もう少しましなものが食べられるの?」


トレイを覗き込むと、トレイには昨日と同じパンと水が乗っていた。


あの味が口の中で再現されることは、なんとか回避したいのだが。


「今日もパンだけ?ばあや、私、これは食べられないわ。


他の物に変えられないの?」


「マリア、好き嫌いをせずに食べてください。


あと2日でチスコに着きます。もう少しの辛抱ですよ。」


メルパがなだめるように言った。


どうしようもない。


今まで、我がままを一番聞いてくれたのがメルパなのだ。


そのメルパが駄目というのなら、勝ち目はない。


二人は黙々と食べ始めた。


ユリアは、喉に押し込むようにパンを飲み込み、水を飲んだ。


水も苦く、とても飲めるようなものではなかったが、


目をつむって無理やり飲んだ。


食べ終わってエリアーヌの方を見ると、まだ無表情に口を動かしていた。


やがてエリアーヌも全てを飲み込んだので、二人は甲板に出た。


甲板には、船員たちが二十人ほど働いていた。


朝日が眩しいので西側の海を眺めると、遠くにポツポツと船が見える。


大きな帆を張っており、大砲が無いので商船の類だろう。


東を見るとナカリアはすでに遠く、山しか見えない。


視線を再び西に戻すと、船が大きく舵を切ろうとしているところだった。


目の前の大陸の海岸線が大きく弧を描いている。


このまま進むとスチドニアだ。


ナカリアを狙っている大国、敵の国だ。


今のうちに舵を切り、進路をチスコに切り替えるようだ。


「エリ…エマ、あそこがスチドニアよね?」


ユリアはエリアーヌを見た。危うくエリアーヌと言いそうになった。


エリアーヌは静かに言った。


「そうよ。本当にナカリアと戦争をするのかしら?信じられないわ。」


「嬢ちゃんたち、危ないぞ。」


不意に背後で大きな声がした。振り向くと、頭に青と白のバンダナを巻いた大きな男が木片を運んでいた。


木の棒の先が二人の頭すれすれのところにあった。


「悪いな、ちょっくら頭をさげてくれや。」


ユリアは男の無礼さにかっとなったが、練習、練習、と心の中で唱えた。


自分は貧しい移民。王女じゃない。


何度も自分に言い聞かせ、気を落ち着けた。


「その長い木片をどうするの?」


エリアーヌが尋ねた。男は笑って言った。


「確かに、使いそうにないかな。でも、これは舟の補修のための予備の木片さ。


航海中に舟が壊れたら、こいつで直すのさ。


チスコに着く前に何かあったら困るからな。


今はスチドニアに立ち寄れる状況じゃない。」


「スチドニアが侵略してくるというのはやはり本当なのね。


かなりの大軍が攻めてくるというのも本当なの?」


ユリアは急に祖国が心配になった。


東を振り返ると、ナカリアが小さく見えた。


いつもと変わらない豊かなナカリアが。


しかし、人々は緊張し警戒して生活しているのだ。


「もう宣戦布告してきたの?


港にはもうスチドニア行きの船はないんでしょう?


ナカリアも兵士を集めているの?」


エリアーヌが早口で言った。


エリアーヌは興奮するといつも早口になるのだ。


男は少し意外そうな顔をして言った。


「よく知ってるな。まあ、この船の上では情報なんぞ入ってこないさ。


チスコに着けば情報が入るだろうよ。こっちも面倒ごとは嫌なもんでね。


これでも、スチドニアの領海に入らないように気をつけて進んでいるんだぞ。」


「そうね、チスコに着けば何かが分かるかもしれないわ。


宣戦布告されたのかどうかも…」


ユリアは言った。


「それにしても」


 男は二人の顔を覗き込んだ。


「あんたたち、一体いくつなんだ?やけに戦争に詳しいな。」


 二人は顔を見合わせた。少ししゃべりすぎてしまったようだ。


「私たちの親が、城で働いているものですから。


私達は、叔父、叔母、祖母と疎開するんです。」


 エリアーヌが早口で言った。男は納得したようだった。


ユリアはほっと胸をなでおろした。


「じゃあ、せいぜい海に落ちないように気をつけるんだな。」


男は手を振って行ってしまった。


「危なかったわね。」


エリアーヌがささやいた。


「ええ。少し喋りすぎたみたい。


父上のご配慮が無駄になってしまうところだった。」


ユリアは溜め息をついた。


「あなたは口が軽すぎるわよ。


普通の村娘がそこまで詳しく知っているはずないわ。」


エリアーヌがユリアを睨んで言った。ユリアはむっとして言い返した。


「それはあなたも同じでしょ。私たち二人ともが悪いのよ。」


「でも最初に言い出したのはあなたでしょ?


私も何も言わなかったら私は馬鹿みたいじゃないの。」


「しょうもないことを言わずに止めてくれればよかったのよ。」


「まあ、責任転換をするつもり?卑怯よ。」


エリアーヌはいつもこうだ。事実よりもプライドを優先する。


「何を言っているのよ。私たち二人とも悪かったのよ。


言い出した私も、後を取ったあなたも。


聞こえてしまったことはもう取り消せないのよ?


だから責任がどうとかじゃなくて、これから気をつけなくちゃいけないの。」


エリアーヌは海のような青い目に涙を溜めてユリアを睨んだ。


ユリアも目だけでなく頬も赤く染めて睨み返した。


不意に、また背後で人の気配がした。


振り返ると、ビルソン夫人が立っていた。


「マリア、エマ、ちょっと来て欲しいの。船室まで戻って。」


ユリアはエリアーヌを振り返った。エリアーヌはまだユリアを睨んでいた。


ビルソン夫人は問答無用とでも言うように、二人の背を押して船室まで戻った。

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