『第九十二話 閑話 師匠が死んだ日(べネック視点)』
もう、三週間になるのか。
雨を避けるため室内で訓練しながら、私はふとそんなことを考えた。
レル=ブラス。
十四歳でリーデン帝国から逃げてきた私を、シーラン家に紹介してくれた人だ。
彼がいなかったら、今ごろ私はスラムかどこかで貧しく暮らしていただろう。
第三騎士団長のレル師匠は、私が二十歳になった年に私を副団長に据えた。
「こいつには剣の才能がある」
レルさんがみんなの前でそう言ってくれたときのあの高揚感は、一生忘れることはないだろう。
それにしても遅いな。
噂ではレル師匠はパートナーと二人っきりで王命をこなしているのだとか。
普段なら報告の手紙を一週間に一度はくれる人だったのに、今はそれがない。
王命だからと言われてしまえばそれまでだが、妙な胸騒ぎがしているのもまた事実だった。
そして、その胸騒ぎは現実のこととなる。
夜、寝ようとベッドに潜り込んだところで、団員の一人が私宛ての手紙を運んできたのだ。
差出人は宰相であり、総合騎士団長でもあるホルック=モーズ。
開封してみると、中には一枚の便箋が入っていて、一行だけ文が書かれていた。
『レル=ブラス第三騎士団長、戦死』
私は自分の目がおかしくなったのかと思ったが、何回見返しても文面が変わることはない。
手紙を放りだすと、最低限の身支度だけを整えてハルックの自宅へ向かった。
事前の報告なしに行くのは失礼だとか、そんなことは考えもしなかった。
この手紙について聞くという目的を達成するためだけに行動していたのだ。
ハルックは突然の訪問だというのに、まるで来ることが分かっていたように迎えてくれたので、私はお礼もそこそこにさっそく本題を切り出した。
「レルし……騎士団長が戦死したって」
「間違いない。これは機密事項だが、王命を共にこなしていた者も行方不明だ」
レル師匠とペアを組んでいたという人物も行方不明なのか。
でも、それならどうしてレル師匠が任務中に死んだって分かったんだろう。
そんな疑問を察したのか、ハルックはポケットから一枚の紙を出した。
「見てみるといい」
紙を受け取って目を通したとき、私はこれを見てしまったことを心から後悔した。
16時35分 Bランク冒険者が遺体発見
18時24分 遺体がレル=ブラスだと判明
20時41分 死因は背中の切り傷だと判明
心のどこかで、間違いなのではないかという思いがあった。
見つかった遺体は別の人で、レル師匠は明日にも帰ってくるんじゃないか。
そう思っていたのに、本当に死んだってことが証明されてしまったわけで。
もう二度と、あの笑顔を見ることが出来ない。
もう二度と、不器用に頭を撫でてくれない。
もう二度と、剣筋を褒めてくれることもない。
「ア、アァ……」
そう考えると涙が止まらなくて、人の家だったにもかかわらず、ひたすら泣いた。
あまりにも涙が次から次へと溢れてくるものだから、枯れてしまうんじゃないかとさえ思う。
ようやく落ち着いた私が顔を上げると、そこに息を切らした従兄弟が立っていた。
彼はデール=クルトという名で、今は王家直属の諜報部に所属しているんだっけ。
デールは私を見ると、どこか痛々しそうな顔をした。
彼も兄のように慕っていた上司を亡くし、遺志を継いで後釜に収まったと聞く。
悲しみに打ちひしがれる私を見て、そのときの自分と重ね合わせているのだろう。
「何の用?」
「お前が心配で、見に来たんだよ」
自殺とかしかねないだろ、と続けた彼の顔はいたって真剣だ。
さすがに自殺をしようとは思ってないが、確かにこの先の人生に希望なんてない。
デールの心遣いがありがたくもあり、少々うざったくもあった。
「ん? ちょっと待っててくれ」
何かを話そうとデールが口を開いたとき、ハルックとデールの胸元が光り始めた。
もしかして、通信石?
ハルックはともかく、デールの通信石は国王陛下と繫がっていたはずだが、まさか王命を出すつもりなのか?
自分の命令が原因でレル師匠が死んだと分かっているはずなのに。
もし王命を出そうとしているんだとしたら、クーデターも辞さない覚悟だけど。
しかし、この連絡が私の人生を大きく変える転換点になった。
何言か言葉を交わして通信を切ったデールは、表情が抜け落ちた顔で虚空を睨んでいる。
その様子があまりにもおかしいくて、私は嫌な予感がするのを止められなかった。
そして、それはまたも現実のものとなる。
「どうしたのよ?」
「ベネック、落ち着いて聞いてくれ。第三騎士団を一時的に解散することになった」
「――えっ!?」
第三騎士団を一時的に解散するなんて、あの国王はどんな考えをしているんだ。
魔物討伐はどうするのか。
スタンピードが起こってからでは遅いのに、冒険者にすべて任せるつもりなのか。
「デール、どういうことなの?」
「レル=ブラスは後継者を指名していなかった。つまり後継者不在が原因だろうな」
デールの言葉に愕然とする。
後継者を指名しないで死んだって……私はレル師匠に認められてなかったの?
「そう、私はもう帰るわ」
「おい、ベネック!?」
遅い時間に押しかけてしまったお詫びをしようとハルックを見るが、まだ誰かと話してる。
会話を邪魔するわけにもいかないし、後で手紙でも送ろうと考えて、私はハルック邸を後にした。
そこからの一ヶ月間は、はっきりいって何もしなかった。
いや、何かをする気力が起きないといった方が正しいだろうか。
もちろん後継者になりたかったわけではない。
しかし、騎士団では団長本人が拒否しない限り、団長が亡くなった場合は副団長が自動的に後継者になるはずだ。
それなのに後継者がいないということは、レル師匠は自動引継ぎを拒否したということであり、私はレル師匠に認められていなかったということになる。
この事実は私の心に深い影を落とした。
荒んだ生活を送る私のもとにデールが来たのは、レル師匠が死んでから一ヶ月後。
未だに無気力な私を、デールは「ごめん」と言って勢いよく張り倒した。
廊下を無様に転がる。
このとき、自分が受け身の取り方すら忘れていることに気がついた。
「見損なったよ、ベネック元第三騎士団副団長」
「…………」
仕事のときは、いつもこんな口調なのか。
自分の従兄弟ながら謎が多いデールの秘密に、少しだけ触れられた気がした。
「"気概"というものは君にはなかったんだね」
「……気概?」
しばらく考えてから答えにたどり着いたとき、私は自分の愚かさを呪った。
私はレル師匠に認められていなかったわけじゃなくて、むしろ逆。
これ以上ないほどに認められていたから、レル師匠は自動での引継ぎを拒否した。
つまり、気概。
自分の力で、騎士団長の座を奪ってみろという無言のメッセージだったのだ。
「もしかして……」
「その表情は分かったみたいだね。そうだよ。だから第三騎士団を解散したんだ」
国王陛下も待っていたのだ。
私が「ふざけないでください」と、第三騎士団を復活させるために乗り込んでくるその時を。
「ふふっ……」
いつも一言足らなかったあなたらしい方法ですが……。
レル師匠、必ずあなたから第三騎士団長の座を奪ってみせますから!
少しでも面白いと思ってくださったら。
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