『第九十一話 閑話 師匠に会った日(べネック視点)』
べネックの過去編、二話目です。
あれからどのくらい走ったのだろう。
休憩で止まるたびに辺りの様子を伺っているが、そのほとんどが深い森の中だ。
「森の中なんかに止められても困るわ!」
御者がいい人であれば見逃してくれるかもしれないが、大抵は泥棒扱いだろう。
そうなった際に、ある程度の人混みがないと逃げることが出来ないのだ。
人が少ないうえ、私自身が慣れていない森の中で降りるというのは自殺行為にも等しいのだが、なかなか人が多いところでは止まらないわけで。
御者は用心深い人物で、私の家の前に止めていたのもバルダムさんがいたからか。
あんなんでも第一騎士団長だしな。
そして気づいたら、リーデン帝国と隣国であるヘルシミ王国の国境付近まで来てしまっていた。
「もう、どうして!」
せっかく街に止まったというのに、馬車が静止した場所はどこかの路地裏。
積み荷から食料を拝借して飢えは凌げているが、これでは本物の泥棒である。
しかも積み荷が少なくなり、同時に隠れる場所も少なくなっているからなぁ。
「えっと、次の荷物は……」
「あっ」
ヤバい、隠れるタイミングを逸したわ!
今までより早く荷物を取りにきた御者に見られてしまい、私は血の気が引いた。
叩き出されるのを覚悟して目を閉じたが、いっこうに怒鳴り声は聞こえてこない。
恐る恐る目を開けると、御者がこちらを無表情で見下ろしていた。
「べネック=ロッカス」
「ひゃい!?」
「不敬罪をかけられて、一週間前くらいから逃走していると聞いたが……」
面白いものを見つけたといった感じの口調だ。
とりあえず否定しようと口を開きかけたところで、辺りに大きな金属音が響く。
「何!?」
「これはマズいな。この音は騎士が着ている鎧の音だ。しかも百人は下らない」
御者がわずかに顔を歪める。
このとき、私は自分の命の火種が尽きかけているのを感じ取った。
皇女への暴力による不敬罪だなんて、捕まったら厳しい拷問のうえで処刑が妥当。
さらに馬車に乗り込んだうえに無断で食料を拝借していたしね。
私がここに留まってしまうと、御者が自分の意志で匿っていたと思われて迷惑がかかるし、いっそのこと騎士たちの前に飛び出してやろうか。
私の能力、【防御】があれば御者さんが逃げられるくらいの時間は稼げるから。
これが私に出来る精一杯の恩返しだわ。
「御者さん、ごめんなさい!」
「ちょっと待て。“騎士たちの前に飛び出して時間を稼ごう”とか思ってるか?」
走り出した私の腕が掴まれた。
早くしないと騎士たちがここまでやってきて、御者さんまで捕まっちゃう!
「そうよ。皇女へ暴行を加えた挙句に食べ物を盗んだ私にはお似合いの結末だわ!」
「馬鹿か。そこで黙って見ていろ」
「え、ええ……?」
よく分からない。
その場で処刑されてもおかしくない罪を犯しているのに、なぜ庇ってくれるのか。
私は商品を盗んでしまった悪人で、勝手に荷馬車に潜り込んだ不審者なのに。
「そこの者、しばし待て!」
奥のほうに積まれていた荷物の影に隠れてすぐ聞こえてきた声に、体が震える。
だって、あの声は!
「第一騎士団長のバルバス=モーズだ。ここら辺で銀髪の女を見なかったか?」
「いいえ、見てませんねー。こちらでも探しておきましょうか?」
清々しいまでの棒読みだったが、バルダスは幸いにも不審に思わなかったようだ。
いや、それよりも騎士団の仕事を奪うような発言はマズイって!
「お前は何を言っている。罪人を捜索、捕縛するのは我ら騎士団の職務だぞ!?」
ほらー、怒らせちゃったじゃんと思ったものの。
御者さんはバルダスに一歩も怯まず、何かを企んでいるような笑顔を浮かべた。
「ああ、名乗っておりませんでしたね。私は隣国の騎士団長でして」
御者さんは自身の体で荷馬車の入り口を塞ぎながら、短刀らしきものを出した。
遠目ではよく見えないが、柄の部分に紋章らしきものが彫られている。
それにしても、隣国の騎士団長が荷馬車でリーデン帝国を巡っていたのよね。
ううん……謎だわ。
「こ、これは失礼いたしました」
「いえいえ、謝罪には及びません。そろそろ帰らなければならない時間なのですが」
「はっ、どうぞお通りください」
この返事を聞いた騎士団長の御者さんが定位置である御者席に座ったのだろう。
パシッという乾いた音を合図に、馬車が軽快に走り出した。
十分ほど経ったところで御者席から小さい声が聞こえてくる。
騎士はまだ近くにいるし、用心しておくに越したことはないということだろうか。
「黙っていてすまない。俺はレル=ブラス。ヘルシミ王国の第三騎士団長だ」
「こちらこそ、勝手に馬車に入ってしまって申し訳ございませんわ」
私の名前、べネック=ロッカスは逃走中の極悪人として知られてしまっている。
なので、今さら名乗る必要もないだろう。
代わりに謝罪すると、レルさんは不思議だと言わんばかりの声を上げた。
「ほぅ、あっちこっちから聞こえてくる噂とは少々違うんだな」
「噂……ですか」
内容を詳しく聞かなくとも、ララが流したろくでもない噂だと分かる。
あいつは噂を流すのが上手で、私も気に入らない令嬢の悪い噂を流してもらった。
しかし、ララはどんな噂を流したのだろうか。
「念のためにお聞きしても? その噂とはどのような内容だったのですか?」
「要約すると、自分より家格が下の令嬢を見下しているといった内容だったな」
「――っ!? それは事実ですわ」
こればかりは認めざるを得ない。
最初はララやあのクソ皇女を恨んでいたが、私の心境は少しずつ変わっていった。
そもそも私がもう少し謙虚であったなら、ララはあんな強硬策に出ることはなかったし、今も親友だっただろう。
「それで? お前はこれからどうするつもりなんだ?」
「恥ずかしながら、捕まりたくないという一心で逃げてきただけなので……」
「ああ、分かった分かった。決まってないってわけね」
レルさんは面倒そうに言う。
リーデン帝国に留まるのは無理で、他国に住む親戚もいない私はどうすればいい?
そんなことを考える私にレルさんは呟いた。
「俺の従妹がシーラン家っていう場所に嫁いだんだけど、養子を欲しがっている」
「えっ?」
「お前を紹介してやろうか? どうせリーデン帝国にはいられねぇだろ?」
それは願ってもいない申し出だ。
今までの恥ずべき自分をすべて捨てて、また新たな人生を始められるのだから。
「ぜひ! お願いします」
「それと仕事だな。俺の騎士団に入れ。立派な女騎士になれるように鍛えてやる」
顔は見えないのに、レルさんがニヤリと笑っている光景が目に浮かんだ。
それが何だか悔しくて、それ以上に嬉しかった。
「名前はそのままでも、変えてもいいぞ。べネックという名前に思い入れが……」
「このままで行きます」
べネックという名前は自分への戒めになってくれるだろう。
前と同じことを繰り返したら、また国を追われて今度こそ命を失うかもしれない。
死ぬより辛い苦しみを味わうかもしれない。
義家族に迷惑はかけられないし、この名前を自分への楔として機能させるんだ。
「そうか、まあ頑張れや」
「はいっ! 訓練も頑張りますので、これからよろしくお願いします!」
まずは話し方から改善していかなきゃな。
令嬢みたいな言葉で喋る騎士なんていないだろうから。
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