『第七十六話 聖都イルマと心理戦(Ⅲ)~イリナ視点~』
べネック団長は辺りを見回しながら、自分のそばに座っているヤンバ―に目を向ける。
ヤンバ―の顔を視認した瞬間、べネック団長は目を大きく見開いた。
「もしかして、貴殿はヤンバ―=ローレライ聖騎士第十二隊長ではないか?」
「ご察しの通りです。少々厄介なことになりましてね」
ヤンバ―が面倒そうな口ぶりで呟く。
未だに状況が掴めていないのか、べネック団長はしきりに辺りを見回していた。
「ここはどこだ? 雰囲気的にヘルシミ王国ではなさそうだが」
「聖都イルマだそうだ。それよりべネックとやら。早く奴隷たちを助けないとマズイぞ」
「奴隷だと? それよりもお主は誰だ」
「俺はマンドという者だ。本に封印されていたところを彼女たちに救っていただいた」
そう言って、勇者マンドは私たちを指で示す。
べネック団長もマンドという名前に聞き覚えがあったのか、顔を青ざめさせている。
「申し訳ない。まさか勇者殿に失礼な態度を……」
「だから今はいいって。それよりも奴隷を助けないとマズイって。あと十分もないぞ」
「十分もないとはどういうことでしょうか?」
口を挟んだのは、黒装束の着たままのアリアだ。
勇者マンドとべネック団長もアリアに視線を向け、お互い怪訝そうに眉をひそめた。
「お前は誰だ?」
「アリアですよ。これは『精霊使いの女帝』の正体を隠すための変装です」
「恐らくヤンバ―さんは義妹の正体についてご存じないでしょう?」
私が助け舟を出すと、ヤンバ―は小さく頷いた。
隣ではヒナタが悔しそうな顔で私を睨みつけていたが……今は無視することにしよう。
「ああ。話し方や噂などを総合して考えるに、十代の少女だとは思っているが」
ヤンバ―の言葉にアリアが狼狽する。
やがて正体を隠すことを諦めたのか、闇魔法だろう黒装束を一瞬で消滅させてみせた。
アリアの真の姿を見たヤンバ―は驚きの表情を浮かべる。
「なるほど。まさか『精霊使いの女帝』がこれほど可憐な少女だったとは」
「そうでしょう!? 私の自慢の妹なんです!」
ここぞとばかりにアピールするヒナタを再び無視して、私はヤンバ―さんを見据える。
「それで十分とはどういう意味です?」
「病人の奴隷たちは神官長によって、聖騎士の姿に見える幻術をかけられているんだ。それでこっちに赤髪の少年、蜂蜜色の髪の少年、紫の髪の少年が近づいてきている」
「そうか、【気配察知】!」
「まさかティッセたちは“聖騎士が私たちを害しようとしている”と誤解しているってこと?」
よりにもよって【幻術】という能力を使われただけの病人を。
【幻術】は能力の中でもかなり上位で、【支配者の分析】も惑わせると聞いている。
どう考えても【支配者の分析】の方が強そうなのにね。
「正確には“誤解するだろう”だな。そして【幻術】は対象が死んだ際に効果が切れる」
「最悪じゃない!」
「ヒナタさん、どういうことかしら?」
「ティッセさんたちは聖騎士だと思って斬ったはずなのに、その正体は病人の奴隷よ?」
「つまり……【幻術】の効果がなくなった瞬間に、病人の奴隷を斬ったと気づくわけだ」
勇者マンドの言葉に全員の表情が曇る。
ダイマスやハリーは清濁併せ吞む覚悟は出来ているだろうが、問題はティッセだ。
――彼は弱者に寄り添おうとする一面がある。
アマ村での戦いでは、村人たちを決して戦わせなかったくらいだし。
そんなティッセが病人の奴隷を斬ったと分かったら……下手すればトラウマになるわね。
私がリリー=グラッザドという名にトラウマを抱いていたように。
「勇者殿が言うのであれば、恐らくは真実なのだろう。すぐに出るぞ。指揮は任せろ」
「べネック殿、よろしくお願いします」
ヤンバ―は小さく頭を下げると、アリアの方を向いた。
アリアは分かっていたかのように杖を空中で一回転させると、そのまま真上に投げる。
「精霊開放!」
アリアがキーワードを発すると、杖から光が何体も放出されて聖騎士たちに降り注ぐ。
二分も経たないうちに、全員がヤンバ―の元で跪いた。
「これで全員が起きました。すぐに向かいましょう」
「ああ。それではべネック第三騎士団長、指示をよろしくお願いします」
ヤンバ―が一歩後退すると、べネック団長が騎士たちに出口を作るように命じた。
こればっかりは私たちにも分からない。
聖都イルマはヘルシミ王国の領土ではなく、イルマス教国の中心地なのだから。
それにしても因果というのはよく分からないものだ。
十五歳になる今まで、私は外国に行くどころか王都を出たこともないというのに。
リーデン帝国を離れてから一ヶ月ほどの間に、様々な場所に向かった。
ヘルシミ王国の王城では近衛騎士団と模擬戦をしたし、その次は辺境の村に行って。
そして教会の地下でダンジョンを攻略したと思ったら、イルマス教国まで来ちゃった。
しかもイルマス教の信者であれば、誰もが憧れると言われる聖都イルマに。
そんなことを考えていると、出口が鈍い音を立てて開いた。
出口はなかなか広く、十人ほどが同時に出れそうなくらいはある。
「それではこれより奴隷救助作戦を開始する。先に言っておくが殺害は厳禁だ」
「当たり前ですな。奴隷たちは使われているだけで、もともと敵意はありませんし」
ヤンバ―が同意するように頷いた。
べネック団長は小さく深呼吸すると、腰につけていた剣を構えて静かに命じる。
「それでは状況開始!」
「建物を囲んでいる聖騎士はその場を即刻離れよ! これはローザン教皇の命令だ!」
聖騎士たちが地上へ躍り出ようとしたところで大声が響いた。
べネック団長たちが狼狽えていると、ヒナタが先ほどの声に負けないくらい大声で怒鳴る。
その姿はまさに元騎士団長といった風貌だ。
「狼狽えるな! 聖騎士五十人で外の様子を偵察に行きなさい! 残りは待機です!」
「はっ!」
先頭に立っていた聖騎士が小さく返事をして、慎重な動きで地上に上がっていく。
続けて五列の聖騎士が地上に上がったところで再びの大声が地下を揺らす。
「どうしたのだ!? 教会最強の戦力たる聖騎士が教皇の命令に従えないのかっ!」
「お待ちください。その者たちは【幻術】をかけられているんです」
「【幻術】だと? 誰か光魔法の使い手はいないのか」
先ほど返事をした聖騎士が大声を出していた男と対峙しているのだろう。
小さくではあるが、はっきりと声が聞こえる。
「それならば地下にいるアリア=グリードとヒナタ=パールを呼んできてくれないか」
「この声は……ティッセ?」
「間違いないでしょう。先ほど大声を出していたのはハリー=オスカル。元同僚です」
ヒナタはもはや不機嫌さを隠してもいない。
べネック団長の近くに立っていたアリアを呼び寄せると、二人で地上に上がっていく。
「私も行く。お前もついてきてくれ」
「分かりました」
ハリー=オスカルという男については知らないが、勇者マンドが言っていた紫髪であろう。
つまりティッセとダイマスが一緒にいるはずだ。
アリアも地上に行ったので、べネック団長と私がいれば第三騎士団が揃うことになる。
べネック団長はそれを狙っているのだろう。
地上に行くと、アリアの魔法で【幻術】の効果が切れた奴隷たちが転がっていた。
どの奴隷も顔色が恐ろしく悪い。
「イリナ、べネック団長。ご無事で何よりです。それよりも……予想以上に厄介ですね」
「ダイマス、どういうことだ?」
「べネック団長は気づきましたか。さすがの英傑ですね。分かりました。全てを話します」
ダイマスは首をゆっくりと横に振った。
ヘルシミ王国の王都が占領されるまで、あと一日と十九時間。
ついに教会との戦いは終盤を迎える。
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