『第四十九話 初めての依頼⑫』
俺の予想が正しければ、考えうる限りで最悪の事態だな。
イリナはビックシャドウベアーの後方を指で示したまま、不機嫌そうに呟いた。
「行けるのなら、行ってきなさいよ」
「本当にあのビックシャドウベアーは何なんだ? まさか負傷者を孤立させるとは……」
もはや、ただの獣とは言えないだろう。
人間のように知識を持った魔獣だと考えた方がいいかもしれない。
こちらに不利な状況に歯噛みしていると、べネック団長が叫びながらこちらに駆けてきた。
「お前たち、無事だったのか!」
「べネック団長も無事で良かったです。しかし厄介な事態になりましたね……」
「ああ。騎士団という立場上、弱体化を待つわけにもいかないからな」
べネック団長の声には疲労感が色濃く出ていた。
第二王子が帰ったと思ったら、強化されたビッグシャドウベアーが出てきたんだもんな。
そりゃ疲れるわ。
爪を振るっているビッグシャドウベアーを見上げていると、イリナとジュリアが視界に入る。
二人は何やら会話をしているようだった。
「それで……お前がここに来たということは村長宅での戦いは決着がついたのか?」
「ええ。イルマス教の手の者が起こした事件らしいということが分かりました」
「何だと!?」
べネック団長が青い顔をしていた。
そして虚空を睨み、「まさか第一騎士団長が……」などと呟いている。
あくまで噂でしかないが、第一騎士団長は熱心なイルマス教徒で幹部でもあるという。
今回の事件に関わっている可能性も零ではないだろう。
しかし、第一騎士団はこの国で二番目の戦力を保有しているだけに苦しい。
イルマス教と組んで反乱でも起こされたら大変だ。
そんなことを考えていると、イリナとジュリアが二人揃ってこちらに近づいてきた。
べネック団長が怪訝な顔をする。
俺たちが見つめる中、会話の口火を切ったのはジュリアだった。
「べネック第三騎士団長にご提案があります。私たち主導による討伐作戦を実行させていただけませんでしょうか」
「私たち主導ということは、イリナも一枚噛んでいるということか?」
「ええ。私たちであればビッグシャドウベアーを少ない被害で討伐することが出来ます!」
べネック団長の問いに対して、イリナは毅然とした態度で返す。
そこで横槍を挟んだのは俺だ。
「べネック団長、作戦を行うなら早い方がいいと思います。兵士が少なくなっていますし」
「怪我から回復した兵士たちを合流させられないのが痛手だな」
べネック団長は沈痛な面持ちで吐き捨てたあと、改めてイリナたちを正面から見据えた。
その瞳は苛烈とも言える。
「失敗は許されないが……お前たちに必ず倒せるという自信はあるか?」
「ええ。必ずや」
即答したのはイリナである。
やや遅れてジュリアも頷き、べネック団長の表情が少し綻んだ。
「その覚悟は本物だな。いいだろう。総指揮官であるティッセの判断次第では許可する」
「ティッセ殿、判断を」
ジュリアがまるで急かすかのように言う。
俺は目を閉じて、素早くメリットとデメリットを計算していく。
時間にすると数秒だっただろうか。
俺は目を開けて、判断を待っている三人を視界に入れながらこう答えた。
「やろう。準備を頼む」
俺たちの参謀だったダイマスと、魔法の主力だったアリアを二人とも欠いた作戦。
正直に言うと厳しいだろう。
戦闘に移行する前ならともかく、今は怪我人と分断されたことで兵士たちの士気も低い。
しかし致命傷になるほどではない。
ならば、やってみるべきだろう。
王城で負傷したあの時と違って、自分で怪我を負う覚悟を背負っているのなら。
俺はその覚悟に誠心誠意答えるまでだ。
こうして、イリナが主導するビッグシャドウベアー討伐作戦が着々と準備が整っていった。
俺はその様子を眺めながら空を見上げた。
見ているだけで吸い込まれてしまうような闇が広がっていて、ちょうど頭上に月がある。
この国では何と言うのかは知らないが。
冒険者時代の知識から推測すると、夜明けまでは五時間といったところか。
俺は続いてビッグシャドウベアーに視線を向けた。
ジュリアが放ったホーリーライトが効いているのか、目を両手で覆っている。
作戦開始まで動きだす心配はないだろう。
すると、俺の隣に誰かが立つのが分かった。
そういえば、【気配察知】をまた切っていたんだったか。
あの狭い部屋で戦う上で【気配察知】はむしろ邪魔でしかない。
後ろから迫ってくる気配に気を取られているうちに、前からやられる可能性もあるしな。
能力を再開させると、濁流のような気配の隣にイリナの気配があった。
「どうした、イリナ」
「ティッセはすごいね。実は今回の作戦の総指揮官になっちゃったの。でも、かなり怖い」
「そりゃそうだろ。初めての指揮なら怖いのは当然だ」
「でもティッセは今日初めて指揮官になったのに、全然怖がる様子もなかったじゃない」
イリナは頬を膨らませた。
なるほど、他の人から見ればそう映るのか。
「俺は別に怖がっていないわけじゃない。気持ちが表に出ないだけだ」
「どうして……」
「Sランク冒険者ってのはみんなの憧れだ。そんな奴が怯えるような表情をしてたら?」
答えは簡単だ。
Sランク冒険者でも倒せない強敵が出たと勘違いするか、腰抜けだと嘲笑うか。
そのどちらかに分類される。
だからSランク冒険者になったばかりのころは、感情を表に出さずに無表情を心掛けた。
結果がこれである。
冒険者の界隈を追放された今でも、理性が残っていれば感情を出すことが出来ない。
そんなようなことを言うと、イリナは少し悲しそうに微笑んだ。
しかし次の瞬間には凛とした表情に変化している。
急激な表情の変化を訝しく思っていると、ジュリアの部下らしき兵士がこちらに来ていた。
「イリナ様、全ての準備が整いました」
「そう、ご苦労様。ティッセはべネック団長のところに。私の合図で作戦を開始します」
月明かりに照らされたイリナの表情はとても凛々しかった。
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