『第百三十三話 家のために(三人称)』
戦いが終わり、リーデン帝国側の大将を務めていたリリーは深いため息をついた。
今回ばかりはリリーの失策に他ならない。
教会の制圧に行っていたヒナタを見逃し、敗北の原因を作ってしまったのだから。
「それで、敵の大将は誰だったのかしら」
「申し訳ありません。どうやら【暗視】持ちのようで、見つからないようにと……」
「なるほど、見れていないのね」
実際は【暗視】の能力をかけてもらっただけなのだが、発言の主には分からない。
斥候を担当していたマルティークには。
「リリーさん、前から気になっていたことを一つだけ尋ねてもよろしいでしょうか」
「いいわよ。どうせ明日には戦いにいくのだから。あなたか私が死ぬかもしれない」
「不吉なことを……。では、それでは一つ。なぜそこまでイリナ殿に拘るんです?」
マルティークは理解できなかった。
話を聞けば、目の前のグリード伯爵夫人は娘であるイリナを虐待していたらしい。
穀潰しの子供が家を出て行ったならば、むしろ喜ばしいことではないのだろうか。
それなのに連れ戻したいというのはどういうことなのか。
「なるほど、そう言われてみれば確かに妙ですね」
「ええ。前から気になっていたんです。どうして連れ戻そうとするのかと」
「答えは一つだけ。家のためです」
グリード伯爵家の領地には、魔物が普通に闊歩しているような危険な森がある。
そのため当主は武に秀でていなければならない。
しかし、当主のホルダームとリリーの間には、子が一人しか生まれなかった。
しかも後継ぎになれる男子ではない。
そのため、リリーは婚約者や婿がいなくとも領地を守れるように育てようとした。
猶予はないも同然だった。
ホルダームは歴代の領主とは違い、常に最前線で剣を握って魔物と対峙する人だ。
いつ死ぬか分かったものではない。
ゆえに家では後継ぎ問題が急務で、リリーの心を蟲毒のように蝕んでいた。
家督を狙う夫の親戚たちからの圧力は日を追うごとに強くなっていく。
社交界では妻としての役割を果たしていないと嘲笑され、見下される日々だった。
「だから私はイリナを厳しく躾けることにしました」
当時はお金が不足していたので、イリナに使用人の技術を身につけさせた。
これで将来、使用人を解雇しても大丈夫だ。
ホルダームが死んでもいいように、超特急で指揮の技術と剣術を身につけさせた。
これでいつでも領主になれる。
「技術は身につけておいても損はありません。婿を取ることになっても使える」
剣術が苦手な夫ならば、武で支えてあげればいい。
一方で指揮が苦手な夫ならば、知で支えてあげればいいのだから。
「厳しい言葉をかけたのは、最も成長に有効だからです。虐待などとんでもない」
リリーはもともと公爵家の令嬢だった。
それなのに刺繍が苦手だったリリーを見た家庭教師は、彼女を恐怖で支配した。
刺繡は令嬢の嗜みとされており、習得しておかないと爪弾きにされてしまう。
だからこそ、家庭教師は多少無理やりにでも、習得させようとしたのだ。
もっとも、刺繍一つ身につけさせることもできない無能教師と呼ばれたくなかったという裏事情も大いにあったが。
具体的には、求められるラインまでできないと容赦なく頬を叩いた。
両親にもしっかりと根回しをして、夕食を食べさせてもらえない日も作った。
それが嫌だったリリーは刺繡を猛練習し、国で一、二を争うほどの腕前となった。
「私の経験上、最も効果があるのは年下にバカにされることです。怒りは活力に変わりますからね。だからイリナより年下の奴隷を購入しました」
アンナ=パールなる女である。
かなり我がままな娘だったようだが、従者の死に動揺していたのだろう。
驚くほど簡単にこちらの指示に従ってくれた。
「私と年下の奴隷の両方に罵られ続けたのですから、さぞ苦しかったことでしょう」
だが、奴隷を買ってからのイリナの成長は目を見張るものがあった。
ホルダームは仕事に忙殺されて娘のことは見なかったし、使用人は手駒も同然。
愚かにもリリーの教育方針に異を唱えた者は気絶させ、能力を駆使して黙らせた。
「あの子が十二歳のときに夫が病に臥せりましたが、あの子は当主代行として実に上手に領地をまとめてみせました」
その姿を見たとき、リリーは間違っていなかったと確信した。
誤算だったのはホルダームがイリナに目をかけるようになったことか。
慌てて治癒魔法が使える使用人に命じて傷を癒したことで事なきを得たが、前のような教育は出来なくなった。
同時にアンナことアリアを開放した。
いまいち娘に厳しくなれないホルダームに知られることは、避けたかった。
私はホルダームが好きだが、ホルダームに私の教育方法が知られれば、最悪は離婚という事態になりかねない。
「あの日までは上手く隠し通せていたんですけどね」
ドラゴン討伐記念パーティーが開かれていたあの日、イリナは姿を消した。
しかも連れ戻すように命令したアリアも同時に。
――冗談ではない。
これまでイリナのために、どれだけの時間と労力を割いたと思っているのだ。
すぐに情報収集をして、二人が銀髪の女騎士と一緒にいたことが分かった。
さらに、銀髪の女騎士が隣国の騎士団長であることも突き止めた。
「どうにか隣国に行けないかと思案していると、一人の女性が近づいてきました」
その女性は名をレイラ=モーズと名乗った。
能力は開示してくれなかったが、気絶させずとも人を操ることができるらしい。
レイラはとんでもない女だった。
「私は皇帝を操っているんです。その伝手を使って騎士団に入り込みません?」
こんなことを突然言われたときは、頭がおかしくなったのかと思った。
彼女の目は暗かった。
人生に絶望したかのような目をしていたが、なぜか周囲には明るく振舞っていた。
そんな彼女の目が本気だと訴えていた。
「いい提案ね」
ゆえにリリーはこう答えた。
本当に皇帝を操っているならば、隣国に戦争を仕掛けることくらい造作もない。
普段から我がまま放題の皇帝なのだ。
急に戦争の準備をしたところで、周囲はまた皇帝の我がままが始まったと思うくらいだろう。
「だから、私はここにいるの」
リリーはそう言って話を締めくくった。
一方、話を聞いたマルティークはもはや言葉が出なかった。
レイラ=モーズという女にはマルティークも一度だけ会ったが、あれは異常だ。
考えがまるで読めない。
少しでも油断したら背後から斬られそうな、得体の知れない恐怖も感じた。
「なるほど……」
リリーが求める言葉ではなかったが、マルティークの言葉はこれだけだった。
一応は納得も出来た。
しばらく無言の時間が流れ、気まずさが限界に達そうかというところで、一人の騎士が部屋のドアをノックした。
今さらだが、二人は店主が逃げ出した宿屋の一室を使わせてもらっていた。
「どうしたの?」
「報告します。東門の攻略を担当していたジャック第二騎士団長が発見されました」
「発見されたですって?」
リリーは首を傾げる。
捕虜にした後で殺すものだと思っていたが、ジャックの捕縛にでも失敗したか。
「ええ。丸腰で東門の前に」
「東門は敵の第四騎士団が土魔法で塞いでいましたが……どういうことでしょう」
マルティークも同様に首を傾げる。
リリーは覚悟を決めたような表情をすると、壁際に立て掛けておいた剣を握った。
「リリーさん?」
「私をおびき出すための罠でしょうが、こんなに早く来るとは思っていないはず」
「分かりました。このマルティーク、お供いたします」
マルティークは深々と頭を下げた。
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