『第百四話 また星空をあなたと……(エリーナ視点)』
話数的にはだいぶキリが悪いですが、第五章は終了です。
べネックを異国の地で死なせるわけにはいかない。
両手にレルさんからもらった剣を構え、べネックをレイラから隠すように立つ。
「おい!」
「第一騎士団長としての命令よ。今すぐ団員を率いてあの建物に潜入しなさい」
反論を許さないように堂々と。
間違った覚悟を叩き壊すように、私はあえて厳しい視線をべネックに向けた。
そういえば私にいつも厳しかった人がいたわね。
「あんたは自分の価値というもんを分かっちゃいねえ。お前は団員に慕われている」
「なっ……!?」
「だから大人しく無能な俺に命を託しとけ。ただ一つ……べネックの野郎を頼んだ」
レル=ブラス。
彼は第一騎士団にいた時期があり、その時期に入団した私の教育係だった。
いつも厳しくて、とにかく他人を褒めない人だった。
第一騎士団ではあまりの対人戦の弱さから疎まれて第三騎士団に異動させられたのだが、まさか騎士団長にまでなってしまうとは。
「レル団長……」
「これが先輩の遺言よ。この言葉を残したすぐ後に、先輩は真ん中の道に進んだ」
そして命を落とすことになる。
レルさんは人を見る目だけは優秀だったが、最後に一つだけ間違いを犯した。
私は団員に慕われてなんかいない。
新しい第三騎士団長であるべネックを見ていると、その事実が私の心を抉る。
ほら、今だってアリアがべネックを守ろうと杖を構えているわ。
「私はあなたを託された。だから、あなたを異国で死なせるわけにはいかない」
「………了解いたしました」
自分の意に沿わない命令を受けたとき、べネックはいつも顔を歪める。
レルさんの遺言まで使ったのに顔を歪めていたのは彼女らしいと笑うべきか。
「エリーナ第一騎士団長の言葉は聞いていたな? 第三騎士団、突撃を開始する!」
「頑張りなさい。応援しているわ」
これが遺言になるであろうことは分かっていた。
敵の目の前で会話できるのは物語の登場人物だけである。
それなのにレイラは攻撃してこなかったから、おおかた私を倒すための策でも仕掛けていたのだろう。
「また、後で」
べネックは悲痛な笑みを浮かべて、ハリーを回収するべく団員とともに喫茶店に向けて走り出した。
ヘルシミ王国を……祖国を頼んだわよ。
「あら、どこを見ているのかしら。随分と余裕ですわね」
「少し黙っていてください」
べネックたちが喫茶店に向かっている姿を、レイラは愛おしそうに眺めていた。
そういえばレイラの顔を見たのはこれが初めてだったわね。
ルビーのような真っ赤な瞳がまず目につくが、顔立ちは整っている部類に入る。
童顔なうえに背が低いので、どこか庇護欲をそそる。
敵として対峙している私ですら刃を向けるのを躊躇うくらいだから、男性はお察しの通りだろう。
強さだけなら誰にも負けないはずの勇者マンドが敗北したのも、そこら辺りに原因がありそうね。
「すみませんでした。それでは始めますよっ!」
「望むところだっ!」
べネックたちが喫茶店の中に消えると、レイラは愛らしい顔におぞましいまでの狂気を浮かべた。
手には自分の身長ほどもある杖が握られている。
私は魔力酔いになりにくい体質だが、それでも魔力酔いをしないわけではない。
べネック団長を一瞬で魔力酔いさせられるみたいだし、警戒していかなきゃ。
「精霊よ、私の求めに応じて……【ファイヤー・ボール・レイン】」
「さすがの反応速度だな」
目の前で詠唱をしていたから接近戦を挑んでみたが、振るった刃は届かない。
無詠唱で放たれた火の弾が飛んできたので、すぐに後退。
私は魔法が不得手だし、彼女のように無詠唱もできないので接近戦が主となる。
しかし、あそこまで早く反応されると打てる手は限られてくるな。
とりあえずレルさんが教えてくれた双剣術で勝負してみよう。
「ブラス式双剣術=一=【疾風】」
「精霊よ、私の求めに応じて火の檻を作りなさい。【ファイヤー・プリズン】」
「……っ」
まんまと騙された。
てっきり私を囲むものだと思い込んだが、炎の檻は自分を守るためのものか。
だとしたら……攻撃は無詠唱で来る!
視界の端から襲い掛かってきた氷の矢を寸前で回避した。
「避けますか……。しかし、一回避けただけでは私のもとまで辿り着けませんよ」
「分かっている」
端的に返事をしながら、次々と飛んでくるファイヤー・ボールを避けていく。
【疾風】の効果で動体視力と素早さは上がっているはずだが、避けるだけで手一杯。
反撃に転じる余裕がないので、このままではジリ貧だ。
相手の膨大な魔力量が尽きるよりも、私の体力がなくなるほうが圧倒的に早い。
だから私は勝負に出るしかない。
そのためには、絶え間なく降り注ぐ雨のような魔法をどうにかしないと。
「反撃の時間だ。ブラス式双剣術=弐=【魔断】」
「へぇ……」
レイラが感嘆の声を上げた。
【魔断】はその名前の通り、魔法を切ることが出来る技である。
レルさんは第三騎士団に異動した後、この技を編み出したことで団長に就任した。
言い換えるならば、レルさんの置き土産だ。
辺り一帯を焦がしてしまうかのような炎の檻の前に辿り着いた私は、反撃が来る前に再び技を発動させる。
禁忌と言われている重ね掛け。
体に大きな負担がかかるから普段は使わないが、彼女相手ならこれでも足りない。
「覚悟してもらおう! エリ―ル式双剣術=参=【濁流】」
「檻が一撃で壊れた!?」
エリール式双剣術は、私とレルさんが合同で開発した技だ。
エリーナとレルを合わせて、エリール式と名付けた技は全部で四つある。
その中で最も単体攻撃力に長けた技、【濁流】。
レルさんは無能と蔑まれていて、私も農民の娘ということで嘲笑の的だった。
それでも泥水をすすって、這い上がって今の地位についたのよ。
私たちが味わった“辛かった思い出”をぶつけるように、手に持った二つの剣を両側から振りかぶる。
「おらっ!」
「【アイス・ウォール・ダブル】!」
今まで悠然とした態度を崩さなかったレイラが、初めて焦ったような顔をした。
あのダイマスに攻撃されても怯まなかったのに。
レイラの焦りを示すかのように、分厚い氷の壁は私の【濁流】をいとも容易く跳ね返して見せる。どれだけ魔力を込めたら、これだけ硬い壁を作り出すことが出来るんだろうか。
壁を作った自身も、この壁にどれだけ魔力を注いだのかなんて、よく分かっていないのではないだろうか。
「ちっ、まさか【濁流】を跳ね返すとはな」
「無駄に魔力を使ってしまいました。火魔法千発分くらいは損をしましたね」
橙色の髪が視界に入る。
何やら良い香りがするなと思ったときには、すでに体は動かなくなっていた。
「……っ!?」
「一流の魔術師は近接戦に対抗する手段を持っているものです。たとえ魔力が枯渇しようと……」
その気になれば、いつでも殺せるはずなのに言葉を一度切ったレイラは、膝から崩れ落ちた私を愉悦に満ちた表情で見下ろしている。
「敵を確実に仕留められるように、第二の刃を持っているんです。私の場合は香りですね」
彼女の服のポケットにも香草のようなものが入っていた。
あの植物の形はシビレ草ね。
シビレ草の香りには体を麻痺させる効果があり、レイラが髪につけている香りもシビレ草の香りだったのだろう。
「久しぶりに本気での戦いが出来ました。そろそろ決着をつけましょうか」
「冥土の土産に一つ聞かせてくれ。べネックたちは無事に王国に帰還できたか?」
私の目的は、第三騎士団の面々を無事に祖国に帰してあげること。
目的を達成していないのに戦死するのだけは避けたい。
「ちょっと待ってください。……あれ?」
レイラが首を傾げた直後、彼女の死角から出てきた青髪の少年が刃を突き立てた。
「キャア!?」
「あなたは左の足元が疎かになる傾向にありますね。戦場では致命的ですよ?」
ダイマス=リーデン。
第三騎士団のメンバーの中で、本気の私でも勝てない唯一の相手が彼だ。
戦いの素人たちは、いつも彼の隣にいる赤髪の少年――ティッセの方が強そうだと話すが、それは大きな間違いだ。彼ほど剣術に優れている人はいないだろうし、実際に剣の構え方には一分の隙もない。
私が遠距離から魔法を放とうとも、彼はその剣で真っ二つに斬ってしまうだろう。
騎士団員ならば全員に支給される安物の剣で。
そんなリーデン帝国の皇子が、同国の第四騎士団長であるレイラと再度向き合う。
よく見ると、レイラは左足に傷を負っていた。
私の全力ですら傷一つつけられなかったのに……ひとえに能力のなせる技ね。
「光の精霊よ、私の求めに応じ……」
「回復魔法は難しいですからね。詠唱しないと行使できないのは周知の事実です」
ダイマスは詠唱をさせまいと、剣を二度ほど振った。
おあつらえむきにも強風が吹いてきて、レイラは自慢の香りが使えない。
さらに、相手は意識すらも分析できるダイマスのため、常に予想外の場所から攻撃が飛んできており、今度は自分自身が防戦一方になっている。
相手の攻撃を予測して戦うタイプのレイラにとって、能力を全力で解放したダイマスは恐ろしく不利な相手であった。
「【アイス・ニードル】」
「たとえ無詠唱でも魔法を発動させるために意識を向けますから、どこに発動させても無駄です」
能力を使っている間、ダイマスに死角というものは存在しない。たとえ後方から攻撃しようとしても、魔法を発現させるために意識を向けたら察知される。
これが私が勝てない理由であり。
リーデン帝国の皇帝が、ダイマスを国外追放の刑に処した理由でもあった。
「光の精霊よ、儂の求めに応じて彼女を癒せ。【エクストラ・ヒール】」
「この声は……」
圧倒的な分析力でレイラを追い詰めていたダイマスだったが、乱入者が現れた。
回復魔法を使えず、困っていたレイラを回復してしまったのである。
「そこに隠れているのは何者だ!?」
「ほほっ、お久しぶりですなぁ。リーデン帝国のダイマス宰相殿」
やっぱり、そうだったか。
声を聴いたときから薄々察してはいたが、いざ目の前にするとあの時の――奴隷にされたときの恐怖が蘇ってくる。
「オロバス枢機卿……」
「儂の命令を聞き間違えたのかと思ったわ。エリーナよ、この者は敵対者ではない」
オロバス枢機卿は今年で六十歳になるベテラン聖職者だ。
前教皇とは旧知の中で、実に三十年にわたったスラダム政権を支えた英傑である。
彼の強さは決して冷静さを失わないこと。
政権発足直後、五十人の部下に裏切られたときも顔色一つ変えなかったらしい。
「恐れながら。私はローザン教皇の指示を遂行していたまでにございます」
「ローザンだと……?」
オロバス枢機卿は絶大な権力を握っているものの、立場としてはナンバーツーに過ぎず、教会組織のトップである教皇には逆らえないのだ。
「教皇猊下から“ヘルシミ王国の第三騎士団を護衛しろ”と沙汰が下っております」
「なるほど。続けよ」
「ところが、そこにいる女が護衛対象を害しようと攻撃を仕掛けてきまして」
レイラを指で示す。
オロバス枢機卿はレイラの顔をまじまじと見つめると、憤怒の表情を浮かべた。
「お前はバカか。この方はリーデン帝国の第四騎士団長だから味方だぞ!?」
「ぐっ……ぐぁぁぁあああああああ!」
ダンジョンから飛ばされたときと同じように、そして奴隷にされたときと同じように、身体中を針で刺されているような激痛が走る。
だけど……たった一つだけ違う。
「もう私にその攻撃は通用しないぞ! エリ―ル式双剣術=肆=【反転】」
エリーナとレルを合わせて、エリール式と名付けた技は全部で四つある。
その中で最も悪意に対抗するのに長けた技、【反転】。
騎士の中でもどこか異質だった私たちは、今まで数多くの悪意に晒されてきた。
でも、その悪意を力に変えてこの場に立っている。
これまで培ってきた“粘り強さ”を見せつけるかのように、空中に向かって剣を振った瞬間に痛みは消え去り、代わりに何ともいえない気持ちよさが私を包む。
「ダイマス、逃げろ!」
「出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした。ご武運を祈っています」
さすがの判断力だった。
足手まといにしかならないと判断したのだろうダイマスは、建物に消えていく。
「ど、どうして動ける……」
「お前が馬鹿にしていた先輩のおかげだ。最大の武器が封じられた気分はどうだ?」
今は精一杯の虚勢を張れ。
騎士団で一、二を争う実力の持ち主だと認められている私でも二人は倒せない。
「ちっ……光魔法で応戦するしかありませんね」
「あの青髪の少年がいなくなった今なら、あなたごときに遅れは取りません」
戦闘態勢を整える二人。
しかし、私は剣を構えるだけで攻撃はしない。
この二人の目的は私を倒すことで、私の目的はダイマスを無事にヘルシミ王国まで帰すことだ。この違いを利用しない手はない。
ところが、あと少しでダイマスが魔法陣に辿り着くというところで不運にも気づかれてしまった。
「ちょっと待ってください。ダイマス元宰相を祖国に帰すつもりですか!?」
「早く倒さないとマズイですよ!」
二人がそれぞれ杖を構える。
私は先手を取るべく一気に走り出し、まずはオロバス枢機卿に斬りかかる。
六十のおじさんにまともな戦いは出来まい。
目論見通りにオロバス枢機卿は魔法の詠唱を中断して避けたが、後方から火魔法。
レイラの無詠唱攻撃である。
この機を逃すと、もう接近戦に持ち込むのは困難だと感じた私は予定より早く最後の技を発動させた。
「エリーナ=レコン、そしてレル=ブラスの生きざまを見せてあげるわ」
「…………」
「エリール式双剣術=伍=【崩壊】」
技の名前を高らかに唱えると、二人が慌てたように防御態勢を取る。
ところが、私はその場に立っているだけ。
もう少し正確にいえば、全ての魔力を使い尽くしてしまったから動けないのだ。
「……何だったんだ?」
「魔力を使い切ってしまったようですね。放置しておけば五分ほどで死ぬでしょう」
基本的に魔力を使い果たした場合、魔力を分け与えてもらわなけばならない。
そうでなければ死んでしまうから。
だが、もちろん、この場所には魔力を分け与えてくれるような存在はいない。
私はどちらにせよ死ぬ運命だということだ。
「無駄な抵抗をするから死ぬことになるんです。まったく……ダイマス元宰相をお」
追いましょう、と続けようとしたのだろう。
しかし、オロバス枢機卿の言葉は彼らの後方から聞こえてきた轟音に遮られた。
「……なっ!?」
「さっきの技は私たちを攻撃するためじゃなくて、魔法陣を破壊するために……」
レイラ、大正解。
エリーナとレルを合わせて、エリール式と名付けた技は全部で四つある。
その中で最も全体攻撃に長けた技、【崩壊】。
私たちのことを邪魔だと思っている人たちに、何度も囲まれて暴力を受けた。
「これは一本取られましたね」
「あの教皇が魔法陣を使わせてくれるわけないですし……ダンジョン経由ですかね」
でも、私たちは生きたかった。
不特定多数の人たちから浴びせられる悪意に負けず、凛々しく生きていたかった。
だから私は、これまで培ってきた“生への執着”を振り払うように、その全てを剣に乗せた。
――生きなさい。
私やレルさんの分まで凛々しく、死ぬまで最高に高潔な騎士でありなさい。
あなたたちなら……べネックを筆頭とした第三騎士団なら出来るはずだから。
「行きますよ。リムル王国と同じ目に合わせてやる」
「分かりました。絶対にダイマスにリベンジしてやるんですから!」
オロバス枢機卿とレイラが去った後は、誰もいない一人の時間が過ぎていく。
満足に体を動かすことも出来ない。
なんとか体を揺さぶって地面に転がった私の目に、満面の星空が飛び込んできた。
「ああ、最ッ高にくそったれた人生だったわ」
貧しい農民の一人娘として生まれた私は、十歳のときに『給料がいいから』という理由で騎士を目指した。
お母さんはいつも忙しく働いていたし、お父さんは王城に勤めていたからだろう。
めったに家には帰ってこなかった。
十三歳になった私は実家を出て、王都にある騎士学校に首席で合格して入学。
二年後に卒業した私は第一騎士団長に配属される。
今になって思えば、これが全ての原点であり、全ての元凶とも言い表せる。
「レルさん……」
今も貴族ばっかりで重苦しい雰囲気だが、これでも頑張って改革を進めたのだ。
私が配属された当初は、本当に貴族による平民蔑視が酷かった。
だからエリール式なんて剣術が生まれたんだけど。
「あ、そうだ。これをしておかなきゃ。……エリール式双剣術=結=【星空の涙】」
エリーナとレルを合わせて、エリール式と名付けた技は全部で四つある。
その中で最も後方支援に長けた技、【星空の涙】。
国に多数いる騎士の中で、死ぬ確率が一番高かった私たちは一つの約束をした。
曰く、死ぬときは誰かに極意を受け継いでから死のうと。
その約束の通り、レルさんが習得していた剣の技術を私は全て受け継いでいる。
だから、私も約束を守る。
レルさんが第三騎士団長に就任した日の夜と同じような、満点の星空の下で。
数分後、空に流れ星が一つ流れた。
ヘルシミ王国の王都が占領されるまで、あと一時間。
第一騎士団長、エリーナ=パー二。魔力枯渇により戦死。享年二十三歳。
少しでも面白いと思ってくださったら。
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