『第百二話 聖都イルマ脱出作戦(Ⅳ)』
罠を解除したというレイラの言葉は本当だったらしい。
レイラがいるという魔法陣がある建物の前に至るまで、罠は一つとしてなかった。
「さて、問題はここからだな」
「どうやったら勇者を倒したレイラ団長を倒せるのかしら……」
ヒナタが頭を抱えた。
先ほどからエリーナは押し黙ったままだし、心なしか震えているようにも見える。
なんせ魔力器官を五回も増強した英傑だからな。
漏れ出ていた魔力も相当な量だったし、魔力酔いを起こしてしまったのだろうか。
「あいつは……」
「エリーナ第一騎士団長?」
魔力酔いとは、一度に多くの魔力を浴びて魔力器官に異常が起きた状態のことだ。
主な症状としては吐き気だが、たまに震えが止まらなくなるという人もいる。
魔力酔いは魔力が少ない人がなりやすいが、あの魔力量に勝つなど不可能だろう。
俺のように幼い頃から訓練を受けていた人か、アリアのように能力の関係で魔力量が多い人でないと耐えられない。
「すまない。取り乱した」
「取り乱したどころか一言も喋っていませんよ」
顔色が異常に悪いダイマスが呟く。
魔力に慣れていなかったイリナとダイマスは魔力酔いになってしまったのだ。
そのまま建物に入るのは危険なので、二人の回復を路地裏で待つことになった。
全員の行程を遅らせてしまったからか、二人は恐縮しっぱなしである。
「本当にすみません」
「意外に魔力が強くて……魔力には慣らされているはずの僕でも耐えられなかった」
イリナはともかく、ダイマスも耐えられないのは想定外だったな。
王族は近くに宮廷魔術師がいる関係で、幼いころから魔力に慣れさせられる。
だから大抵の場合は耐えられるはずだが、レイラがそれだけ異常だったのだろう。
「謝る必要はない。私も昔はよく魔力酔いになっていた」
「レル団長は魔力酔いしない体質でね。べネックはよく涙目で縋っていたわ」
「私が苦しんでいるのに、どんどん先に進もうとするのだぞ!?」
どうやらべネック団長は魔力酔いになりやすい体質だったらしい。
実は魔力酔いに強いタイプというのもいて、奴らは総じて無能である。
だって魔力酔いの辛さを全然分かっていないんだもん。
平気で魔力溜まりに突っ込んでいくような奴らばっかりだから、部下は大変だ。
リーデン帝国では、魔力酔いによる死者を数十人も出した団長が過去にいた。
ちなみに俺の元上司であるハンルも魔力酔いをしないタイプだったな。
「というかエリーナ団長、人の恥ずかしい過去を晒さないでくれないか」
「いいじゃない。特にあなたは無愛想なんだから、こうやって中和していかなきゃ」
「余計なお世話だ!」
エリーナがお腹を抱えて笑う。
頬を膨らませて拗ねるべネック団長は、エリーナと打ち解けているように思えた。
それから二十分後。
魔力酔いが治まったイリナたちを加えて、全員でこれからの行動方針を話し合う。
「まずは敵の行動パターンを知りたいな」
「行動パターン?」
「出来るだけ戦力が少ない時間帯を狙って、攻撃に転じたいと思ってね」
戦う敵は一人でも少ない方がいい。
さらに、イルマス教国を脱出するだけならどの時間帯に突撃したっていいだろう。
ところが、俺たちの目的はイルマス教国脱出ではなくヘルシミ王国の防衛である。
つまり魔力を出来るだけ温存したいのだ。
「理解できたわ。ただ、どうやって敵の行動パターンを観察するかが問題ね」
「あそこなんてどうですか」
ダイマスが示したのは、レイラが陣取っている建物の向かいにある喫茶店だった。
きっとイルマス教国も監視用に作ったのだろう。
大きな窓がついている喫茶店は、敵の動向を知るにはおあつらえむきだ。
「あそこに留まりましょう。焦れた外套の女が飛び出してくれたら儲けものですし」
「そうでなくても敵の少ない時間帯を狙えば……」
ハリーが後半の言葉を引き継ぐ。
外套の女ことレイラは俺たちがすぐに入ってくると思っているはず……だよな?
なぜか強烈な悪寒に襲われた俺はハリーを呼び止める。
「ちょっといいか?」
「どうした。またどこかに潜入してほしいのか?」
「そうじゃない。あの喫茶店の中に知り合いがいないかどうか確かめてほしい」
大して広くない宿屋に三人も配置するほど用心深いレイラが。
自分たちの動向を丸裸に出来る喫茶店を放置しておくとは、とても思えなかった。
「分かった」
ハリーは頷き、喫茶店に向かうべネック団長らを制止してから潜入を開始する。
ダメだ、対策を講じたはずなのに悪寒が消えない。
原因を探そうとキョロキョロ辺りを見回している俺の横に、アリアが立った。
青い顔をして、杖を強く握りしめている。
「ティッセも気づいたの?」
「こんな嫌な感じは初めてだ。俺の行動全てを誰かに見られているかのような……」
質問の答えになっていたかどうかは分からない。
俺がこうしてアリアと話しているところも、誰かに見られているような気がする。
「何なのよ、これは!」
「前団長であるハリーさんを、皆さんから引き剥がすための罠ですよ」
地の底を這うような低い声。
俺たちの後方から聞こえてきたその声の主は、外套を着た姿を目の前に晒した。
「レイラ=モーズ!」
「名を覚えていただけて光栄です。それでは早速行きますよ……包囲陣形その一!」
凛とした声が辺りに響き渡ると、近くの建物から外套を着た騎士が出てくる。
一分も経たないうちに、俺たちは完全に包囲されてしまった。
「何だと!?」
「私くらいの魔力があれば、完全に気配を消すことなんて造作もないんですよ」
レイラがゆっくりと歩きだす。
無詠唱で頭上に光魔法を浮かべたことで、彼女の外套の模様までよく見える。
随分、複雑な魔法陣が書かれているな。
「行きますよ」
「なっ、そんなことが出来るのか!? ティッセ、【気配察知】を使ってみろ!」
「駄目です。目の前にいるはずなのに気配がしません」
こんなことは初めてだ。
レイラが指を鳴らすと、今まで感じていた気配が忽然と消えてしまった。
光に照らされて、はっきりと姿は見えるのに気配を微塵も感じない。
まさか【気配察知】が使えなくなってしまったのか?
一瞬だけそう思ったが、隣に立っているアリアの気配は感じる。
つまり、レイラが気配を完全に消しているんだ。
「さて、気配を消せるのに、どうしてわざわざ視線を感じさせたんでしょう?」
「俺たちを不安の渦に叩き落すためだろ」
俺が答える。
不安と用心は紙一重だ。
嫌な予感を感じた俺は、念のためハリーを喫茶店に送り込んでしまった。
それが敵の罠とも知らずに。
「もちろん喫茶店にも私の部下がいますから……どちらでも良かったんですけど」
「二重に罠を仕掛けていたのか」
「はい。喫茶店で戦うとハリーさんも含まれますし、戦力的には向こうが上です」
こいつがそこまでハリーを警戒するのはなぜだ?
警戒しているわけではなく、この場で始末しようとしているとも考えられるが。
相変わらずレイラの考えは全く読めない。
「それでは、楽しい第二ラウンドの始まりですわ!」
「ちょっと待て!」
ヘルシミ王国の王都が占領されるまで、あと七時間。
第一騎士団長、エリーナ=パー二がレイラと正面から対峙した。
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