『第九十九話 聖都イルマ脱出作戦(Ⅰ)』
エリーナが奴隷契約を結んだきっかけが分かったところで、アリアが手を挙げた。
その視線は真っすぐにヒナタを向いている。
「ちょっと中断していい? ヒナタお姉ちゃん、時間がないってどういうこと?」
「勇者マンドから連絡があったのよ」
「そういえば、エリーナが司教を殺すまではいたはずの勇者が見当たりませんね」
俺は綺麗に片づけられた店内を見回す。
紫の蛇と戦っていたときは気づかなかったが、その戦いにも姿を現さなかった。
「一足早くヘルシミ王国に向かってもらったんだ。この鍵を使ってね」
「それって!?」
ハリーが豪華な装飾が施された鍵を手に握っている。
紫の蛇にアリアが噛まれたときも持っていたが、何の鍵なのだろうか。
「エリーナさん、この鍵が何だか分かるんですか?」
「分かるに決まっているわ! それはオロバス枢機卿専用の魔法陣の鍵じゃない!」
エリーナが素っ頓狂な声を上げた。
彼女は教会との戦いに敗れた後、オロバス枢機卿に奴隷契約を結ばされている。
下手をすれば、鍵を無断で持ち出した罪を問われかねない。
「どうやって持ち出したのよ!」
「もちろん枢機卿の部屋に忍び込んだのさ。貴族の邸宅に侵入するより簡単だよ」
ハリーが快活に笑う。
彼は情報収集を主とするリーデン帝国第四騎士団の元団長であり、腕前は一級品。
『忍び込めない場所など存在しない』と謳われた天才である。
聖騎士に頼り、ろくな魔道具も置いていない部屋などただの的である。
「ちょっと待て。今は勇者マンドの話だろ」
「そうだ。勇者マンドは俺たちが転移魔法陣でヘルシミ王国の王都に送り込んだ」
援軍としては最適な人選だろう。
そうでなくとも、敵将は家に代々伝わる剣を持ち出してまで指揮を執っている。
生半可な人物では相手にもなるまい。
「ところが新しい第四騎士団長に敗北し、あまつさえ魔法陣を使われたらしいのよ」
「えっ……」
アリアが絶句する。
つまり、この聖都イルマのどこかにハリーの後任がいるってことか?
「この危険性は分かるわね?」
「はい。魔法陣には基本的に回数制限はありませんから……」
「おいおい、冗談ではないぞ。新しい第四騎士団長の配下まで来るということか」
しかも懸念すべき点はそこだけではない。
恐ろしいのは、乗り込んでくる第四騎士団長が勇者を破っているという点だ。
過去に魔王を倒したという勇者に勝利するなんて、もはや人間だとは思えない。
「あれ……?」
何かが引っかかった。
正確にいえば、つい最近も同じようなことを思ったような気がする。
「さらにヒナタの後任の第三騎士団長がヘルシミ王国の第二騎士団長を破った」
「後任の第三騎士団長って私の母よね」
「リリー=グリード伯爵夫人だな。これからリリー団長と呼ぶことにしよう」
「それで、リリー団長が王都の門を護衛していたレイア団長を破ったという連絡が」
ヒナタが珍しく慌てている。
ヘルシミ王国第二騎士団長、レイア=マレクスは今年で四十一歳になる中堅だ。
その強さはべネック団長曰く、『本気を出せば魔剣を使った俺を圧倒できる』。
除籍されたとはいえ、元Sランク冒険者だった俺を圧倒できる騎士に勝っちゃうだなんて、さすがイリナの母といったところだろうか。
「ちょっと待ってください! それって王都に母が入り込んでいるってことですか?」
「そういうことになります」
ハリーが苦々しい表情で頷いた。
聞けば、リリー団長はすでに王城を防衛している近衛騎士団と戦っているようだ。
「すぐに王都に帰らなきゃ!」
「イリナ、お前は何を慌てている。近衛騎士団が一部隊に負けるはずがないだろう」
リリー団長が交戦中との知らせを受けたイリナが荷物をまとめだす。
呆れた表情のべネック団長が阻止するも、イリナはとんでもないことを口走った。
「それどころではありません! べネック団長は近衛騎士と戦いたいのですか!?」
「……何を言っている」
「どうして私がグリード伯爵家から長い間、逃れられなかったのか分かりますか?」
イリナの目は今までにないほど冷たかった。
確かに稽古をサボってパーティーに来るまで、逃げられなかったと言っていた。
それは妹である『精霊使いの女帝』ことアリアが改心しても同様だ。
よく考えればおかしい。
しかも、使用人が揃いも揃って伯爵夫人の悪行を見逃していたというのも妙だ。
「リリー=グリードの能力は【操り人形】という能力で、人を操れるんです」
「そんな馬鹿な!?」
「もちろん制約はあります。操るには相手を気絶させる必要があるのですが……」
レイア団長を倒せるくらいなのだから、大抵の相手は気絶させられるだろう。
厄介なことこの上ない。
「だから近衛騎士団が相手にしているのは一部隊ではないはずです」
「リリー団長の部隊と、彼女に操られたレイア団長の部隊を相手しているのか」
べネック団長が歯噛みした。
しかし、グリード伯爵家の使用人が全員操られていたということはないだろう。
「操られた人を正気に戻す方法は?」
「分からないわ。方法を知っていたら私はとっくにグリード伯爵家を出ているわよ」
確かにそうだが、正気に戻す方法が分からないと危なくて帰れたものではない。
最悪の場合は近衛騎士団と再戦することになるんだぞ。
模擬戦とは違って、相手は殺そうと思って襲い掛かってくるのだから制圧は困難。
手をこまねいている間に王族が暗殺されたりしたら目も当てられない。
「分かった。すぐに荷物をまとめろ」
「目標は、すでに聖都イルマに来ているであろう敵に見つからずに王都に帰ること」
敵はリーデン帝国の第四騎士団だ。
勇者を破った団長と、ハリーが鍛え上げた部下たちから果たして逃げられるのか。
俺たちの隠密の腕が試されるな。
「相手の手の内を知り尽くしたあんただけが頼りなんだからね。誘導は頼んだわよ」
「ああ、任せてくれ」
ヒナタの言葉に頷くハリーだが、その顔色は依然として悪い。
俺は綺麗に片付いているか確認するふりをしながら、天井に意識を集中させる。
「煉獄式剣術・再演。レッドス家の血を起動。【煉獄烈火・影】」
「ちょっ……危ないじゃない」
目の前で魔剣を作ったことに驚いたのか、アリアが文句を言いながら後退する。
俺は抗議をサラリと聞き流し、三か所に向けて斬撃を飛ばした。
「何をしているんだ!?」
べネック団長の慌てた声が聞こえるのとほぼ同時に、店内中に悲鳴がこだました。
もちろん天井には一切傷がついていない。
「うわっ」
「ハリー、俺が斬撃を飛ばしたところを確認して。天井裏に隠密部隊がいるぞ」
「分かった」
今回の脱出作戦はハリーの存在をどれだけ隠せるかにかかっている。
言い換えると、誰が作戦の主導権を握っているのかを徹底的に隠すということだ。
「絶対に王都まで辿り着く」
「僕たちの居場所を守らないとね。リーデンなんかに奪われてなるものか」
ヘルシミ王国の王都が占領されるまで、あと十八時間。
脱出作戦が開始された。
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