『第九十五話 アリアの深い闇』
「おい、何をやっているんだ!?」
「イリナ、【剣術強化】で、とりあえず氷の剣を全部叩き切れ!」
呪術の源である蛇に噛まれてしまったアリアは、俺たちの予想と全く異なる行動を取った。
この能力は操られた人の負の感情を増幅させる能力を持つ。
アリアも誰かへの恨みを増幅させるものだと思っていたのだが、現実はさらに斜め上。
なんと自分自身に氷の剣を向けたのである。
「おい、あの蛇は怒りを増幅する呪いの源じゃなかったのか? どうして自分に剣を……」
「それは多分……」
アリアの本名はアンナ=パール。
当初は手が付けられないほどの我がまま娘で、メイドたちに不在を喜ばれるほどだった。
しかし三歳の頃に誘拐されてグリード家に買われたことでアリアという偽名を与えられる。
そこから我がままは鳴りを潜め、やがて成長した彼女は自分の行いを深く悔いた。
噂では、彼女が原因で盗賊に襲われた際に若いメイドが亡くなったかららしい。
恐らくは幼かったアリアを――主人を庇ったのだろうな。
「だからアリアはずっと自分を責めてきた。自分の我がままで若い命を殺してしまったと!」
「なるほど。つまりコイツは自分自身に怒っていたわけだな」
ハリーが納得したように頷いた。
アリアは恐ろしい速さで氷の剣を生み出しており、俺たちが総出で壊してもギリギリだ。
しかも無言だからより怖い。
俺たちが何を話していても、どんな行動を起こしていても、ただ氷の剣を生み出していく。
鋭い刃が自分自身に向いた剣を。
「どうすんだティッセ! この状態では説得も不可能だろうし……終わりも見えない!」
「アリアの魔力はどれほどなんですか!?」
「魔力の総量はティッセに及ばないが、【精霊使い】を持っているというのが厄介だな」
正気を取り戻したべネック団長がぼやく。
火魔法を使えば氷の剣など一瞬で溶かせるだろうが、それをアリアが見逃すはずがない。
精霊が奪われてしまい、肝心の火魔法は放てないはずだ。
そして氷の剣と同様に火球まで出すようになったら、アリアを助けることは出来ないだろう。
だから、俺たち全員が物理での対処を余儀なくされていた。
「恐ろしいのはアリアの心がすでに凍り付いてしまっていることだ。これを溶かすのは……」
「くそっ……こんな時にハンルさんが味方だったら!」
今となっては会いたくない人物の筆頭であるハンルだが、その実力は他を圧倒していた。
特に言葉を用いた舌戦は得意で、一部の冒険者からは「弁闘士」と呼ばれていたほど。
ガチガチに凍り付いたアリアの心も溶かしてくれたに違いない。
「……!」
その時だった。
今まで恐ろしいスピードで氷の剣を生み出していたアリアの魔法制御が突然、狂い出した。
柄しか作られていないものや、刃の部分が歪なものなど様々な剣が生み出されていく。
「これは……アリアは何に反応したの!?」
「ティッセ、もう一度さっきの言葉を繰り返せ!」
イリナは思わず剣を振るう手を止め、カバーに入ったハリーが怒鳴る。
そういえばアマ村で本人から、自身を誘拐したという商会の名前を聞いていたっけな。
もし、それに関係するとしたら本名を言ってあげた方が心が揺れ動くだろう。
「ハンル=ブルーダル」
「あぁっ!?」
どうやら俺の推測は正しかったようで、アリアは苦痛に顔を歪めた。
絶え間なく生み出されていた氷の剣も止まり、全員が肩で息をしながらアリアを見つめる。
「あのギルマスの名前でどうして……」
「アリア、思い出すんだ。ハンルが……ブルーダル商会の会頭がお前に何をしたか!」
「何をしたかですって?」
疑問の声を上げるハリーを無視して、俺は怒りの対象を自身から外すべく話しかけた。
あの蛇は自分への怒りを増幅させた。
だが、ここでハンルへの怒りを再燃させることが出来れば、蛇は再び姿を現すことだろう。
そこを叩くしかない。
「汚い檻の中に閉じ込めて、教育という名目で何度も鞭で叩かれましたわ!」
「ほう、それで?」
「食事も緑色のパン一切れと薄いスープだけ。本当に死んでやろうかと思いましたもの」
何か話し方が違うが、恐らくは誘拐された当時の口調なのだろう。
まだアンナという名前しかなかったころ、きっと彼女はこのような話し方だったに違いない。
「なるほど。それをしたのがハンル=ブルーダルだと」
「ええ、そうよ」
「復讐したいとは思わないのか? お前をあんなに酷い目に合わせた男だぞ?」
後はハンルへの怒りを増幅させれば完了だというところで、アリアは悔しそうな顔になった。
ここで頷いてさえくれれば作戦成功だというのに!
「どうして!?」
「私に復讐なんて出来ないわよ。……あいつに魔法は効かないみたいだし」
「あっ」
すっかり忘れていた。
ハンルの能力は【魔法攻撃無効】であり、それをどうにかしないと魔法攻撃が通用しない。
つまるところ、魔法使いのアリア単独でハンルに復讐が出来るはずがないのだ。
「しくじった……」
「だからリーデン帝国から脱出するときに、一人で騎士団を足止めしていたんじゃないか」
ようやく息が整ったダイマスが呆れたように呟く。
今はとりあえずアリアの怒りの対象を自分から外さないと、また心を凍り付かせてしまう。
くそっ、他に誰かアリアが恨んでいる奴はいないのか。
焦る俺の肩を誰かが叩き、その誰かは先ほどから黙ったままのアリアに近づいていった。
「あなたもティッセくんもそっくりね」
「……?」
「極限まで追い詰められると、誰かに頼るっていう選択肢が頭から抜け落ちるところよ」
アリアの実姉、ヒナタが自分の頭を指で示す。
言われた意味が理解できないのか、アリアが目を丸くしてヒナタを見つめている。
「大概の人は追い詰められると、『誰か助けてくれ!』って感じで他の人に頼ろうとするわ」
「だが、お前たちは意地でも自分で何とかしようとする」
ハリーが後半の言葉を引き取った。
言葉こそ発さないものの、べネック団長とダイマスも我が意を得たりとばかりに頷いている。
「二人とも、もう少し人に頼るってことを覚えた方がいいわね」
「まあ、あんまし頼りすぎるのも良くないけどな」
俺たちが気負い過ぎないように配慮してくれているのか、その口調は不自然なほど軽い。
それにしても人を頼れか。
本当に冒険者時代と言われることが違すぎて戸惑うぜ。
唯一のパーティーメンバーのハンルは忙しかったから、一人で何とかしろが口癖だった。
まあ、冒険者時代の方がおかしかったということは感づいているが。
「というわけでアリア。俺たちと復讐しないか?」
「お姉ちゃんは剣が強いし、光の精霊で回復してくれるだけでもすごく助かるんだけど」
なるほど、そういう方向に持っていくのか。
確かに、一人で倒せない敵が現れた場合は仲間と一緒に討伐隊を組んで倒しに行く。
冒険者時代にも普通に行われていたことである。
「ははっ……」
つくづく自分の鈍感さには呆れるばかりだ。
それはアリアも同じだったのか、すっかり落ち込んでしまったように見える。
「さぁ、復讐の時間よ」
「本当は思っているんだろ? あいつを……ハンルを酷い目に合わせてやりたいってな!」
二人の言葉に、アリアは首をゆっくりと縦に振った。
ヘルシミ王国の王都が占領されるまで、あと一日と六時間に迫ったころ。
ようやくアリアの説得に成功したのだった。
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