『第九十四話 紫の蛇』
第五章開始です!
「それじゃ駆け引きを始めよ……あれ、通信石が光っている?」
ダイマスが呟いた。
べネック団長の鎧から漏れ出している光は、確かに通信石のもののように思える。
「ちっ……何だこの光は」
「あら、出なくていいのかしら。もしかしたら重要な王命が伝えられるかもしれなくてよ」
「黙れ。今はお前を殺すのが先決だ」
べネック団長は通信石を床に放ると、腰に括り付けられたスタッフを手に持った。
剣を氷漬けにされたから、今度は魔法で対抗しようとしているのか。
「ダイマスはべネック団長の説得、イリナは客の避難、アリアはエリーナを守れ!」
短く指示を出すと、返事を待たずに通信石に飛びつく。
王都に向かっているというリーデン帝国軍に何か動きがあったのかもしれないからな。
ひとまず情報収集をしなければ。
「はい、ティッセです」
『リーデン帝国が攻撃を開始してきた! すぐに王都まで来てくれないか!』
通信石を起動させると、宰相であるハルックの慌てたような声が響いてきた。
どうやら事態は思った以上に深刻なようだ。
リーデン帝国は王都に到着していただけではなく、すでに攻撃を開始していたのか。
同じく情報収集を担当しているヒナタたちはまだ戻ってこないし、すぐに来てくれって言われても、俺たちは外国――イルマス教国にいるんですけど。
「申し訳ありませんが無理です。それとエリーナさんについて教えてください」
『この声はティッセか。どうしてエリーナのことを知りたいんだい?』
「不慮の事故で聖都イルマまで飛ばされてしまいまして、そこにエリーナさんがいたんです」
かなり大雑把に話すと、ハルックは大きなため息をついた。
続いて呆れたような声が聞こえてくる。
「はぁ……お前たちは何をしているんだ。それでエリーナか。彼女は任務中のはずだ」
「任務中ですか」
「ああ。だけど聖都イルマに行けなんて言ってないし……王命でも出ているのか?」
べネック団長は王命をこなしていると言うエリーナに対して、「それは嘘だ」と言っていた。
つまり王命は出ていないということじゃないか?
それをそのまま伝えると、ハルックは「陛下に確かめてくる」と言って通信を切ってしまった。
「よし、こっちはこれでひとますOKと」
ハルックが帰ってくるまでやれることもないし、ダイマスたちの手伝いをしないと。
「イリナ、そっちはどうだ?」
「お客さんは全員避難させたし、エリーナさんも無事だけど……ダイマスは難航しているわ」
「やっぱり説得は難しいか」
どんな出来事がべネック団長の琴線に触れるのか分からない状態での説得は難しい。
分かっていたこととはいえ、こうなると八方塞がりな感じが強かった。
「こんなときにローザンさんがいてくれたらなぁ……」
「確かに、あいつはどれだけの能力を隠し持っているのか分からないからな。恐ろしいぜ」
使える能力は百以上とか言っていたもんな。
この状況を打破できるような能力を持っている可能性はゼロではないが、彼女は教皇。
おいそれと呼び出せるような人物じゃなくなってしまった。
「一体いつまで貴様の戯言に付き合ってやればいい。そろそろ奴を殺したいのだがな」
「だぁー、もう! あんたが第三騎士団を潰してもいいのかっつってんですよ!」
どれだけ説得しても態度を変えないべネック団長に苛立ったのだろう。
ダイマスまでもが普段の冷静さをかなぐり捨てて、それでもなお説得を試みる。
すると、べネック団長がわずかに瞳を揺らした。
「――っ」
「あんたがここで奴を殺したら、第三騎士団は確実に解散だよ! 僕たちは無職だ!」
そんな感情の変化に気づかないダイマスではなく、ここぞとばかりに畳みかけていく。
横からアリアも援護射撃を加えた。
「そうしたら私たちはリーデン帝国に捕まるでしょう。もちろんあなたもね!」
「全てを捨てて、第二の人生を始めたんじゃなかったのか! べネック=ロッカス!」
この言葉が決め手になったのだろう。
べネック団長の体から紫色の煙が上がり始め、やがてそれは蛇の形を取り始めた。
「……呪術」
「エリーナさん、呪術とは何ですか?」
紫色の煙を見たエリーナが、ポツリと呟いた呪術という言葉を俺は聞き逃さなかった。
エリーナは意外にも素直に答えてくれる。
「能力のうちの一つである【精神操作】で扱える能力よ。人の負の感情を増幅させるの」
「べネック団長の場合は“怒り”を増幅されたってことですかね」
「そうね。レル=ブラスだったかしら。そいつを失った“悲しみ”かもしれないけれど」
そこで一旦言葉を切ったエリーナは、九割ほど出来上がった蛇を睨みつけた。
見ているだけで気持ち悪くなってくるような、邪悪な気配を感じる。
こんな邪悪なものがべネック団長を蝕んでいたのか。
「今よ! その蛇を殺せぇ!」
エリーナは言うが早いか、べネック団長が床に放った氷漬けの剣を拾って突進していく。
俺は慌ててエリーナの腕を掴んで静止させた。
「ちょっと、何をしようとしているんですか。あれは呪術をかけられた証拠でしょう!?」
「あの蛇は自分の意志で動けるのよ! そして消滅するまで誰かを操り続けるの!」
エリーナの顔は青ざめていた。
蛇を野放しにしておいて、自分までもが操られてしまったらたまらないという感じだろうか。
「だから、あの蛇は絶対消滅させなきゃいけないの!」
なるほど、そういう事情ならば俺もエリーナの意見に賛成だ。
あの蛇が自分の意志で動けるのなら、どこで誰が正気を失うか分かったもんじゃない。
そんなヤバい魔物は、魔物退治の専門家である第三騎士団が討伐しないとね。
「ダイマスはべネック団長のそばにいてやれ。イリナとアリアは俺とあの蛇を消滅させるぞ!」
「了解」
「ええ。グリード式剣術の参、【無限回廊】」
「分かったわ。氷の精霊よ、私の求めに応じて氷の剣を飛ばせ。【アイス・スラッシュ】」
イリナの技によって蛇は方向感覚を失ったらしく、辺りをキョロキョロと見回している。
そこにアリアが放った氷の剣が殺到した。
「よし!」
勝ちを確信したアリアが快哉を上げたが、蛇は予想外の動きを見せる。
煙の状態に戻って氷の剣を避けると、アリアの足元で再び蛇の形を取ってみせたのだ。
しかも今回は一瞬でである。
アリアは自分の足元に突然現れた蛇に反応する暇もなく、ガブリと噛まれてしまった。
「キャァァァァァァア!」
「アリア!?」
「ティッセ、べネック団長が正気を取り戻した!」
べネック団長の説得を担当していたダイマスが声を上げる。
あの蛇にアリアが噛まれた瞬間に、べネック団長が正気を取り戻したということは……。
「それは良かったんだが……」
「また闇が深そうな人物が噛まれちまったもんだ。これも相当説得に時間がかかるぞ」
「ちょっと、人の妹を闇が深い呼ばわりとは何事ですか」
いきなり割り込んできた声に振り返ると、ハリーとヒナタがこちらに向かってきていた。
どうやら裏工作が上手く行ったみたいだ。
何のあれかは分からないが、ハリーはその手に豪華な装飾が施された鍵を持っている。
「ハリーさん、それは……?」
「後で説明する。それよりもそいつを止めないとマズイぞ!」
「えっ!?」
ヘルシミ王国の王都が占領されるまで、あと一日と七時間に迫ったころ。
アリアは自分自身に氷の剣を向けていた。
大変お待たせいたしました!
前話の後書きにも書きましたが、一月は奇数日の更新になります。
よろしくお願いします。