専門知識は豊富かもしれないが、専門以外だと素人まるだしは情けないよ。
なんとか、前回の投稿程度では削除対象になりませんでしたが、今度は削除対象になるかもしれません。
日本の石油史に関するエッセイがあります。
内容は、明治、大正から昭和にかけての石油史の裏話的なものですが、話はそれなりに詳しく書いており面白く読んでいましたが、首をかしげる部分も多くありました。
たとえば、戦前の北樺太の油田採掘権の話や旧満州の阜新(だったかな?)での油田探鉱の話に触れている箇所がほとんどなく、裏話にしては偏った内容だと思いましたが、それでも当時の関係者から聞いたと思われる内容も書き込まれているようなので、うんちく語るだけのことはあるのかなと思っていたのですが、ある話を読んでいると、あり得ないミスを発見しました。
それは、戦前の国鉄に関することでした。
(本当は、鉄道院または鉄道省が正しいのですが、あえて国鉄にしています)
この作者様は日本の鉄道網は、海岸沿いの線路だと艦砲射撃で破壊されるので、わざと山の中に建設した縦貫路線があると書いてますが、この理論に該当する路線は、九州の肥薩線と中央本線ぐらいが当てはまる程度なのです。
(この話は、東京~大阪を結ぶ路線を当初、旧中山道に沿って通そうとした逸話でもおなじみです)
ところが、この作者様は日本各地で内陸に線路を建設していたかのように書いており、事例として九州の肥薩線を上げています。
確かに肥薩線は当初予定してた海岸沿いのルートが陸軍の反対で内陸路線に変わった事実があるので、間違いではないのですが、実際は肥薩線の急勾配が輸送の隘路となったので海沿いのルートが昭和初期(つまり戦前)に建設され、輸送力の増大がはかられたことはまるっと無視されていました。
それだけではなく、肥薩線で列車をけん引していた蒸気機関車が「魔改造されたD51」と書くのはまだしも、運用期間に関して致命的な間違いを犯していました。
それは、「一九八〇年代後半まで運用されていた」という、とんでもない事が書いてありました。
鉄道ファンでなくても年配の方なら多くの人が知っている蒸気機関車の営業運行終了は昭和50年12月(1975年)で、マスコミが特集を組んでいたので記憶に残っている方も多いはずです。
さらに入れ替え業務用残っていたSLの使用が終了したのが昭和51年3月なので、一九八〇年代の日本に走行可能な蒸気機関車は動態保存のSLしか残っていないのです。
ネットで調べれば簡単に確認できる基本的事項を間違えるのは、うんちくを語る上で致命的なミスです。
前回の失敗があるので、刺激的な文章にならないように注意して感想欄でミスを指摘しました。
返答の代わりに来たのは、速攻削除の上ブロックされました。
まったく、うんちく系エッセイを書く方はどうしてプライドが高いのでしょうか。
(エベレストどころか須弥山より高いようです)
この作者様の肥薩線とそこを走行していたD51に関することは、ほとんどが間違いばかりで、読んでいてあきれていました。
たとえば、魔改造されたD51「肥薩スペシャル」っていったい何?
肥薩線仕様に改造されたD51は確かに存在するし、一台静態保存をされているが、通常の山線仕様と出力等は変わらないはずです。
しかし、オートバイ好きのこの作者様にとって鉄道はどうでもよいことのようで、地元のガイドもどきから聞かされた「ほら話」をそのまま信じたのでしょうね。
(もし、そんな高性能のD51があるなら、奥中山越えで大活躍したでしょうね)
それとか、「肥薩スペシャルが高性能すぎたから電化されなかった」
肥薩線は輸送量が少ないので「電化する必要なし」と国鉄が判断しただけでなんですけど・・・。
それ以外にも「DD51の後補機としてD51が連結されていた」
この作者様は、肥薩線だけで行われた特別なことのように書いていますが、実際は違います。
本務機DD51補機SLの組み合わせは、全国の急勾配区間でしばらく行われていたことで、筑豊本線経由の急行「天草」の冷水峠越えで後補機にD60が使用されていたことを始め各地域で行われ、多くの鉄道ファンの写真にその姿が残っています。
はあ、後半は鉄道ファンのぼやきだけど、せめて国鉄の蒸気機関車の営業運行終了のような基本的事項くらいは、ネットで調べてからうんちくを語ってほしいものです。
D51「肥薩スペシャル」については、また項を改めて書いてみたいと思います。
削除されなければ、近いうちに「D51山線仕様」について書いてみたいと思います。