八話 魔物の習性につき
状況を打開すべくスキルを使い、無数にある選択の中から自身が取るべき行動と可能性を強制的に二つに落とし込んだブレイクはどんな結末を選び、そして掴み取るのか。
ブレイクの暮らす王都から西に遠く行ったところにある学術都市。そこで学生から研究者までが日々没頭する研究の中に、技術と呼ばれる世の神秘がある。
人の営みに深く根付き、なくてはならない存在でありながら未だ多くの謎のヴェールに包まれ殆ど解明に至っていないスキルの謎の一つに熟練度と言うものが存在している。
スキルランクはEから始まり、現在確認されている限りAが最も高い。
教会でスキルを授かったときにも教えてもらうことができるが、授かったときは基本的に最低のEから始まるのが通常である。そして使い込む事で熟達していき、ランクが上がると言うのが研究者達による見解であるのだが、冒険者の中には使っても上がらない者も居るためただ使うだけでなく何かしらの条件があるのだと考えている者もいる。
そんなスキルランクはダンジョンから見つかる迷宮道具と言われる超然の技術で作られた道具の一つで確認する事ができるのだが、見つかっているのは世界でも数える程しかなく、大きな都市のギルドや教会にしか置かれていない。
当然の事ながら貴重なアイテムを「ご自由に」とはいかず、貧乏人には安いとは言えない値段であるので頻繁にスキルを使用する必要がある戦闘関連の技術保持者でもなければ滅多に確認したりはしない。
ブレイクも例に漏れず、頻繁に使うようなスキルではないので、パーティーを組むときに確認したのが最後であった。
そこで、一度は不発に終わりながら二度目の正直で発動した際に感じた小さな違和感とは別に、ブレイクはもう一つ疑問に思うことがあった。
それは今までの選択肢であれば過程が違うだけで結末が同じになる選択肢を提示したりはしなかった事だ。
発動する度に狂気の道へと引き摺り込まれることからスキル自体を発動した回数が数える程度しかない『選択の迷宮』なのだが、そんな事も忘れてしまう程濃い内容が多かったため、ブレイクは記憶の中の試行回数のかさ増しし、時間の焦りもあってか二日連続の使用でスキルランクが上がったのではないかと考えた。
しかし、文言が増えたこと以外に大きな違いは見受けられない。ともすれば一見、二つの選択肢は殆ど大差なく見えるが実はこれが全くの別物で、以前馬車に轢かれそうになった子供を助けたときに選んだ選択肢の二の舞を避けて揉むなんて易きに流れてはいけないのではないか? とブレイクは頭を悩ませる。
――何かがおかしい。
考えれば考える程ブレイクは目の前に提示されている選択肢が誘う思考の迷宮へとズブズブと足元を取られ、沈み込んでいくのを感じた。
(胸を揉む……だと……? これが提示されたのは二回目だが、なんて甘い誘惑なんだ……! 前は選べなかったからこっちにするか? いや、よく考えろ。女を知ったばかりの若造でもあるまいし、甘い誘惑に惑わされるなっ! このスキルには散々苦しめられてきているからこそ、知っているだろ。そんな話に乗って痛い目を見るのは勘弁だ。わかっている……わかっているのに『選択の迷宮』が甘く囁いてきやがる……っ!)
一体何と戦っているのかわからないが、ブレイクは人生で得てきた経験と知識を働かせ、全てを疑ってかかり胸中で激しい葛藤に苛まれた。
(待て待て、一度冷静になるべきだ。貴族のご令嬢は豊かな夢を詰まらせていたから女なのは間違いなかったが、あれは貴族だ。俺達とは住む世界が違う人間で、胸を揉んだら間違いなく鞭打ち獄門であの世逝きだった。そう考えるとこの黒ローブはかなりゆったりとしていて体型がわからない。ならば考えられる可能性は一つ。声と背丈こそ女のソレだが胸と顔を直に見ていないこの正体不明の人物はフードを脱いだら実は男でした、と俺の……いや、この世の男の夢と希望を踏みにじるつもりに違いない。それしかない。この『選択の迷宮』が甘い夢など見せるわけがないことくらい、俺が一番分かっている。つまり、これは引っ掛け問題! スキルの癖に俺を引っ掛けようだなんて、小癪な!)
そしてこのスキルが胸を揉むなんて安易な行動をさせる意図を疑い、最終的に行き着いたのは、目深に被られたフードの下は女の声をした男だと言う結論だった。
胸を揉むこと自体に個人的な興味は大いにあれど、女であって欲しいと願えば願うほど、易きに流れそうになる心を律するために顔と胸を直接見ない限りフードの下は男なのだとブレイクは頑なに思い込まずには居られなかった。
何故なら、本当に女だったら悔しいからである。
(危ない危ない……まったく、あんまりにもオイシイ選択肢を提示してくるもんだから危うく引っかかるところだったぜ)
時間の止まったスキルの効果時間内では汗を流すことはない。しかしブレイクは知恵熱が出そうなくらい思考し、額から汗が流れ落ちる感覚を錯覚せずにはいられなかった。
『疾く、答えよ』
思考の海に沈み、光明を求め暗闇を彷徨っていたブレイクをスキルが急かす。体はピクリとも動かないのに、ブレイクは歯軋りしたい気持ちを抑え切れなかった。
(相変わらずせっかちなスキルだ、ちょっとは俺みたいに我慢するって事を覚えろ。一度は不発だったくせに二度目は発動するわ、心理戦を仕掛けてくるわ……わかっていたが、ひどいじゃじゃ馬だ)
先程まで縋っていたのも忘れ、コロリと手の平を返したブレイクは心の中で大きな溜息を吐く。
男である可能性も入れながら、共倒れか或いは一方だけが助かるならば少しばかりの期待を込めて胸を揉んでも問題はない。だが後の事を考えれば胸を揉む選択肢を選ぶのは恐ろしい。
どさくさに紛れて胸を揉むことも僅かながら視野の範囲内に捉えたブレイクだったが、態々選択肢として現れるくらいなのだから、選ばないなら行うなと言うスキルからの警告なのだと考え、すぐに改めることにしたのだった。
あらゆる可能性を考慮し、疑い尽くし、男の夢とも言える冒険をするよりは素直に犬真似をした方が無難だと判断するに至る。
(犬真似でも何でもやってやる。さぁ、来い!)
ブレイクが心の中で叫ぶ。
視線を隠すように無造作に伸びたボサボサの髪の奥から覗く鋭い眼光は行動制限の解除を見逃さなかった。
宙で停止していた雫がピチャリと地を打つ。
(動いた……許せよ!)
声を出せば犬真似の行動以外を取ったとスキルに認知される危険性がある。
そのため、心の中で謝ると横に立っていた黒ローブを押し倒すべく両手を突き出し抱きしめた。
突然の行動に驚いたのか「きゃっ」と可愛らしくもか細い悲鳴を黒ローブが上げた瞬間、ガサリと背後の茂みが揺れた音をブレイクの耳は聞き逃さなかった。
それだけではない。
黒ローブの体を抱き締め地面へと倒れるブレイクが目だけを動かして視線を送った先で、黒い影が飛び出してくるのを一瞬だけ捉えていた。
(くそっ、もう一匹居たのか! 目の前に居る奴等は囮か!)
警戒は怠っていなかった。しかし、集団で暮らすことでそれなりに安全な生活圏を持つ人間と言う生物が常に危険に身を晒し、牙を磨き、爪を研ぎ続けている魔物にスキルや経験も無しに戦うのは困難である。
ブレイクも冒険者であるため、平時であれば背後を取られるなんて失敗を犯したりしない。だが怪我人を前にして危険を冒したのは長く冒険者をしてきても今回が始めての事であった。
セリオスやリシュアがメンバーとして加わり、三人で周囲に気を配っていた五年間のブランク。
平静を装っていても一人で複数の魔物と対峙する心細さが本来よりも力を出せていない状態にしていたのだ。
背後から飛び出した陰に合わせて正面のウッドファングも飛び出し、ブレイクの背中越しに交差する。
狙いがブレイクならば押し倒す行動が回避に繋がっていたのだが、牙の向く先は黒ローブだったようで、予想していなかったのもあるが押し倒す関係上、黒ローブの抵抗もあって少しだけ動作が遅れた。
その少しの差が命を左右する。
ビリッと背後から外套が裂ける音が鳴り、ブレイクは背中にヒリ付く熱を感じた。
ジクリとした痛みは一瞬遅れて激痛へと変わり、ブレイクは顔を歪める。
(痛ッ! まともに、喰らったか……!)
背筋を舐めるように、ぬるりと血が革の胸当ての内側を伝って落ちる。
かなり深く抉られたのか、胸当ての上に着ていた服をびっしょりと赤く染め、吸いきれなくなって溢れた血が黒ローブのフードの中へと吸い込まれた。
ぴちゃり、と頬を打ったそれを指で拭った黒ローブが「ひっ」と上擦った声を漏らす。
「だ、大丈夫?!」
押し倒された驚きも忘れて黒ローブが安否を確認してくるがブレイクは声を出さなかった。
『選択の迷宮』によって押し倒すと言う行為が回避行動へと繋がったのだ。この場で声を出して選択を遂行できずに暴走してしまえば間違いなく待っているのは死であると長い冒険者生活で培った経験から生み出される確信にも近い勘が告げていた。
激しい痛みでチカチカと目の前が明滅するのを堪え、何とか四つん這いになって四足歩行の姿勢をとったブレイクは傷口を挟み込むように背筋を逸らして雄雄しく天に吠える。
その遠吠えは、痛みと屈辱に塗れ、それでも泥臭く生き抜くための覚悟を含み、そしてどこか哀愁を漂わせる咆哮だった。
「ウオオオォォオオオン!」
「きゅ、急に何っ!?」
「オォオオォオオオン! アゥオオオオオン!(背中が痛ってえええええ!)」
「何のつもり!?」
「アウゥウウウウン!(死んじまうよおおおお!)」
「ふざけている場合じゃないでしょ?!」
吠える度に下敷きにされた黒ローブがブレイクに問いかける。
黒ローブは知らなかったのだ。ブレイクが奇人、狂人と呼ばれる類の者である事を。
これが多少なりとも王都で生活をしている者ならば市民から冒険者に限らず、必ずどこかで耳にしているため気付けた。そして全員が「また始まったか」で済ませるが、王都に来たばかりの黒ローブはブレイクの突然の行動に混乱し、目を丸くした。
「ウォッフ! ウオォオォンオンオン!(死んじゃう! これ死んじゃうやつ!)」
「言葉を喋りなさいよ!」
「オォン……オゥン?(無茶言うな……ん?)」
背中に強烈な一撃を喰らいながらも忠実に犬真似をしていたブレイクはふとウッドファングが隙だらけである自分達に追撃をしてこないことに気が付いた。
空に向けていた目線を移せば、背後から襲ってきたウッドファングも、他のウッドファングも横一列に並んでブレイク達を静かに見ている。
鋭い視線は変わらないが、上目遣いでじっと何かを待つようにブレイクに無数の目が向いている。
(どういうことだ? なんでこいつら……まさか!)
ブレイクは以前ギルドの酒場で一杯やっているとき学術都市から来たと言う自称魔物服従師を名乗る胡散臭い男に聞いた話があった。
酒が入っていたのもあり、金銭が関わらないで手に入れられる情報なら聞いておいて損はないと酒の肴に聞いたのは、魔物と普通の動物の違いは実際のところ大きな違いはないと言う話だ。
ブレイクに戦闘をしながら情報の真偽を確かめるのは難しいため、話の内容を確認することこそ出来なかったため、今の今まで忘れていたがそれが本当であるならグラスファングやウッドファングなどは動物の狼や犬の習性を持っていると言う自称テイマーの話は真実味を帯びる。とりわけ、中でも動物の狼や犬に頻繁に見られるのが遠吠えの共鳴である。
冒険者は魔物を狩るのが本命であり、狩りを容易にするため魔物の行動や規則性、凶暴性こそ知識を詰め込むが研究対象にしたりはしない。
自称テイマーの話を聞いていなければブレイクも今頃驚いているだけだったのだろうが、知っている事は武器である。
ブレイクはすかさず腕を伸ばし、背筋を反らすと空に吠える。
「アオォオオォン!」
ブレイクの考えと勘は正しかった。
待っていましたとウッドファング達も上を向くとブレイクのそれっぽい遠吠えに合わせて遠吠えを始たのである。
「アオォオオン!」
「アオオオオオン!」
「オオオォォオォン!」
「嘘……どういう事?」
黒ローブも突然の出来事にブレイクを見ていた視線を横にずらして驚きの声を上げた。
木々に反響し、森にウッドファングの遠吠えが木霊する。
物寂しげに聞こえる遠吠えは、失った仲間に対する追悼の遠吠えか、それとも別の意味を持つのかを知る者はいなかった。
「おい」
ここまですれば十分だろうと判断したブレイクが人間の言葉を発する。
経験に基づいた勘ではあったが、喋っても強制的に動かされたりはしないことにブレイクは安堵した。
今はウッドファングも遠吠えに夢中になっているが、何時までもこの場に留まるのは自殺行為である。
ブレイクが血に塗れた背中を丸めて黒ローブに向ける。
「今のうちに逃げるぞ。乗れ」
「え」
「早くしろ」
「う、うん」
「血で汚れるのは許せよ」
「そんなの、気になんてならない……」
「それはよかった」
高そうなローブだから、後で弁償しろと言われるのが怖かった小心者のブレイクだったが、黒ローブは問題ないと言ってブレイクの背に体を預けた。
しっかりと腕が首に回されたのを確認すると、全身を駆け巡る激痛と多くの血が失われたことでフラつく頭を気迫だけで動かし、ブレイク達はウッドファングから逃げ出した。
仕事が忙しく更新頻度が少し落ちています。
週に一、二回の更新予定です。以降もお付き合い頂ければ幸いです。