七話 その小娘、ポンコツにつき
am10:00時予約投稿していたと思っていたら時間を間違えておりました。申し訳ありません。
突如森を漂った青の奔流の先でブレイクが見たのは、足首までスッポリと体包む黒いローブを着込みフードを目深に被った何者かが無様に魔術を暴発させてスコールのように水を降らす場面だった。
茂みに体を隠して成り行きを窺うブレイクは、情報の収集と状況の分析に余念がない。
(ウッドファングが五匹か。今の水で鼻がやられたのか? にしては……)
地面に伏せて鼻筋を抑えているウッドファングの奇妙な行動にブレイクは眉を寄せる。
見たところローブを着た何者かはウッドファングに攻撃を受けたようで、ローブの肩口が破れて下から覗く肌は赤く染まっていた。
変な行動をしているが傷の見当たらないウッドファング数匹と、怪我を負っている一人の黒ローブ。
数と消耗から見れば攻勢はウッドファングのように思えるが、先程の青い奔流は黒ローブの攻撃か何かだったのかとブレイクは頭を悩ませた。
(いや、それよりも逃げていたあいつ等は足止めしてくれていると言っていたはずだが……そうは見えない。どうにもキナ臭くなってきたな)
ひょっとして、とてつもなく面倒な事に首を突っ込もうとしているのでは? と思わないでもないブレイクだったが、事ここにきては今更な話である。
戦い慣れていなければ足止めにはならない。どれ程の力を持っているのか知らないが、俯いてよくわからない泣き言を言っている今の黒ローブはどうみても戦意喪失しているし、戦い慣れているようには見えなかった。そんな相手が足止め要因だとは思えない。だからと見なかったことにしますとも出来ずにブレイクは溜息を吐いた。
(流石にむざむざ死にに出るつもりはないが……)
ブレイクは迷っていた。
(ウッドファングは鼻に深刻なダメージを負っているのだろうか……? 今であれば何匹かは仕留めることが出来るだろう。だが、二匹以上だと俺には荷が勝ちすぎる。仕留めるべきか? それとも黒ローブを連れて離脱か? どうする……)
考える時間が惜しいとブレイクは『選択の迷宮』を使用するかを逡巡する。
謎の多いスキルだが、迷ったときに使えば時間を止めることができるし、半ば強制ながら道を示してくれる。
発動する条件や状況が不確定なため、スキルを発動すると言っても使えるかは疑問が残るがブレイクは勝利の女神の微笑みを見たのだから大丈夫であると謎の自信が溢れていた。
(女神様のレアな笑顔を見た俺に不可能はない……はずだ。だからお願いします。教えてください『選択の迷宮』さん!)
……しかし、待てど暮らせどブレイクの視界が歪むことはなかった。
体は動くし、ウッドファングも啼いている。発動後に必ず現れる文字はなく、ただ虚しさだけがブレイクの前を通り過ぎていった。
(ま、まぁ……こんなこともある)
誰にするでもなく恥ずかしさを隠す言い訳したブレイクは、ウッドファングが正気を取り戻す前に行動しなければと武装の確認を手早く済ませる。
(片手剣が一。投げナイフが十。ロープが一。太陽草二に月光花一か。……死ぬかも。いや、あの黒ローブと強力すれば可能性はある、か?)
放心状態になっているし、能力も知らないが、肩口にしかダメージを受けていないと言う事は自殺願望者ではなく生き残るために攻撃を避けた結果なのだと判断したブレイクの決断は早かった。
静かに茂みの裏を移動するとウッドファングに近づき、剣を抜く。
生存確率を底上げするため、数を減らすべく斬りかかった。
気合を入れようと声を出せば、それが気付けになる危険がある。口から軽く、短い息を吐いたブレイクは剣を逆手に、ウッドファングの首に突き刺した。
ゴリッと硬い感触が剣を伝う。
数打ち物の切れ味の悪い剣ではウッドファングの強固な首の骨を断ち切れず、刃がズレた感触だ。
(研ぎ直す金をケチったのが響いたか!)
剣を振り続け、修練に励めば可能性は十分にあるのだが知識も大事にするブレイクの腕前は程々でしかない。ケチっていなくともスキルが無く、剣技や身体強化の恩恵に与っていないブレイクでは難しかっただけの話なのだが、それは認めたくなかった末の苦しい言い訳であった。
仕留め切れていない可能性もあったが手傷は負わせたと剣を引き抜くと、すぐさま次のウッドファングに斬りかかる。
ウッドファングのしなやかで刃を通し難い毛皮に阻まれて剣速が落ちる。
それでも何とか首筋の半ばまで剣を食い込ませたブレイクだが、技術の足りない力任せの振り下ろしで首に力が加わり首が曲がった。
カチン、と骨が剣を挟みこむ。
手を伝わる嫌な感触に、剣を引き抜くと見事なまでに刃毀れしていた。
良い事は続かないが、悪いことは坂を転がる如く。
仲間の異変を察知したウッドファングは正気を取り戻しつつあった。
(手持ちで一番有用な剣は鉄くずになり、後は草の根とロープとナイフ……自殺用か? ははは、笑えない)
飛びのいて距離をとったブレイクは、黒ローブの視界を遮らない位置で間に立つ。
(焦るな、視線を逸らすな。ウッドファングは魔物だが動物に近い。視線を逸らしたり気迫で負けて弱者の風格を表に出せば、まず間違いなく嗅ぎ取ってくる。落ち着け……次だ。次は、どうする)
二匹始末し、三匹となったが依然として状況は悪い。なんとかしてこちらも手を増やさなければ早々に土に返ることになるとブレイクは汗を滴らせたときだった。
ようやく、背後の黒ローブがブレイクの出現に気が付いたように声を出した。
ローブの下から聞こえた鈴の音は、凛と澄んでいた。
ブレイクは視線を動かすことなく笑う。
「通りすがりのお節介だ。まったく、今が隙だらけで狙い目だってのに、呆けやがって。そんなんじゃあ全部もらっちまうぞ?」
なんて言うが当然、そんな力はない。
虚勢だった。
それでもブレイクは笑う。
「諦めちまうのか? お前さんは、それでいいのか?」
ローブの者を鼓舞するように、自分を鼓舞するように。
「自分の姿を見てみろ。水に濡れている。一度染み付いた負け犬根性は、簡単には洗い流せないぞ? それでいいのか?」
連携が厄介とは言え、一対一に持ち込み、適したスキルと戦闘慣れしていれば固体の力は対したことのないウッドファングにやられているくらいだ。どのような理由があって今の状況になっているのだとしても、死にたいわけではないだろうし、負けたくないはずだと痛いところを刺激していく。
問題なのは加減がわからず刺激しすぎた挙句敵対されてしまい、一人孤立することと、言っている自分も実は少なからずダメージを負っていることだろう。
ブレイクは、まだやる気が出ないのかと焦り始めていた。
「うる……い……ね」
「ん?」
「うるさいって、言ってるのよっ! あんたに、誰かも知らないあんたに私の何がっ! わかるのよぉー!」
(なんだ、急にキレだしたぞ? 刺激しすぎたか?)
背後で喚きたてる黒ローブに、ブレイクの頬を一筋の汗が伝う。
ウッドファングは仲間がやられた事で警戒を高め、ブレイクが牽制しているおかげで襲ってこないが、それもいつまでもつかわからない。そんな状況であっても黒ローブの怒りは止まらない。
「何よ! あの三人も、貴方も! 好き勝手言って好き勝手して、私の何を知っているって言うのよ。わかる?! 勝手に期待されて、勝手に失望されて。努力したのよ?! 私だって! それでもダメだったの! じゃあ、どうすればいいのよ! ねぇ、教えてよ。私に教えてよ!」
(やべぇ……すごい怒ってる……。滅茶苦茶怖いんですけど……キレる若者、キレる年寄りですかって)
「でも、魔術が言う事聞いてくれないんだから仕方ないじゃない。私だってもっと上手く魔術を使いたいわよ! 貴方には分からないでしょうね、出来ない人間の気持ちなんて! 出来損ないと言われる者の気持ちなんてっ!」
出来ない大人代表として、侮られないためにも常日頃から言動には気をつけているブレイクだが、その一言は効き過ぎた。
「あ゛……?」
大人の落ち着きを一瞬で吹き飛ばし、口からは燻し銀の如く深みのある重低音が漏れ出ていた。
ブレイクと言う男は表面上取り繕っているが、実はかなり繊細な男である。言い換えれば、コンプレックスの塊なのだ。
同じ時期に冒険者になった同世代の人間は上に行くか、冒険者で生きていくのが難しいと見た者は早々に転職して別の仕事で生活し、大きな子供をこさえている奴すらいる。通りですれ違いに彼等の顔を見るたびにブレイクは血の涙を流しているのだ。
諦めれば良いものを、見っとも無くも冒険者に縋り付いて生きている。
なんでもない顔をしているが力有る者が羨ましくないわけがない。しかし表立って素振りを見せないのは表に出てしまうほど羨めば、後はもう止められないからだ。
人間と言う種族上、寿命の関係でただでさえ低い能力は年々下がる一方。悔しい、羨ましい。そんなドロドロとした苦い感情をブレイクは毎日押し殺して生きている。
どんなスキルを持っていてもまともに扱えないなんて長い冒険者生活で聞いたこともない。
だから、出来ない者の気持ちを自分ほど分かっている奴は他に居ないとブレイクは思っている。
怒りでもなんでも刺激を与えて黒ローブを奮い立たせようと思っていたブレイクは逆に刺激される形となった。
「お前……ふざけるなよ。辛い毎日を歩んでいるのが自分だけだと思っているのか? お前だけが、スキルが言う事を聞かないと思っているのか? お前だけが、出来ない人間代表だとでも思っているのか? お前が何者かなんて知らないが、もう言わせてもらう。いいか、よく聞けよ?」
ブレイクは胸の内から込み上げてくるナニかに突き動かされて早口にまくし立てていた。黒ローブが何者かなんてどうでもいい。歳も、経歴も、生まれも何もかもどうでもいい。ただ、言わなければ気が済まなかった。
深く行きを吸ったブレイクは、
「俺ほど出来ない奴が居て……たまるかああああッ!」
吼えた。
人に言える筈も無く、長年内側で温め続けてきた感情を。
「お前こそ俺の何がわかるってんだ?! なんだよパラダイクスって! なんで発動しねぇ?! なんでいつも訳のわからない事をさせる?! 肝心なときに発動しないくせに、飯屋でミノタウルスの胸筋ステーキかコカトリスの卵かけトーストか決められなくてふざけて発動したら、なんで発動する?! おかしいだろ。しかもなんだよ、コカトリスの真似をするかミノタウルスの真似をするか選べって。どっちも見たことねぇよ。ああ、選んでやったよ。やってやったよ! 見たこともないコカトリスの真似してやったよ! 机の上に乗ってコッコー! ってな! おかげで出入り禁止になったわ。安くて量の多い貧困冒険者の友だったのによぉ! えぇ?! これで満足かッ! ……はぁ゛ぁ……はぁぁ゛……おえぇっ」
更年期か、叫んだことで逆流した胃液に嘔吐く。
バシャリと吐瀉物を撒き散らしたブレイクに、背後からは驚きと呆れの混じった気配が漂ってきた。
ウッドファングも怒号とツンと鼻を刺激する臭気に怯んでいる。
「あ……えぇっと……なんか、ごめんなさい……」
おずおずと黒ローブが背後から謝罪するがブレイクの心中はそれどころではなかった。
(おいおい、勘弁してくれよ。助けに来ておいて、相手を軽く刺激するつもりが逆に刺激されて吐くとか……俺だったら絶対に俺みたいな奴には助けられたくないな。それ以前に味方かを問う前に斬りつける可能性だってあるぞ……)
「ちょっと」
「勘弁してくれよ、本当に……」
「だ、だから、悪かったって言ってるじゃない……」
「あ?」
気が付けば、いつの間にか黒ローブが杖を握って横に立っていた。
視線はブレイクではなく、ウッドファングに向いている。少なくとも足を引っ張るだけの存在では無い。
隣に立った黒ローブが心配そうにブレイクに尋ねた。
「だ、大丈夫?」
「……なんとか。悪かったな、取り乱して。で、お前さんこそ大丈夫なのか?」
「なんか、こっちこそごめんなさい。まぁ、詳しくは知らないけどあれを見聞きした後じゃ……ね? 苦労してるのは私だけじゃないって思ったらちょっと元気出た」
「あ、そう……」
心配すべき相手に心配される失態に、ブレイクはバツが悪く返したのだった。
▽
ブレイクは横に立つ黒ローブに問う。
「で、戦えるのか?」
「それは私の台詞よ」
「……言ってくれる」
「私の台詞だから」
「……お前、嫌い」
「それも私の台詞ね」
「ふっ」
「あはっ」
「ははははは」
「あはははは」
「「ハァーハッハハハハハっ!」」
笑い、笑わずには居られないと狂ったように二人は笑う。
異常な狂気にウッドファングは唸りを上げる。それでも二人は笑うことをやめなかった。
「ヒィーヒッヒヒヒヒ!」
「アッハハハハハ!」
そして、ふいにピタリと笑い声が止まった。
爆発した二人の心境。交わした言葉こそ少なかったがお互いはわかっていた。
ブレイクはこの黒ローブが格好だけのポンコツであることを。
黒ローブはわかっていた。隣のお節介な男が実力に見合わぬ冒険をしてこの場に立っているだけだと言う事を。
だからこそ、二人は通じ合っていた。顔を見る必要も、それ以上言葉を交わす必要すらない。
「逃げるぞ」
「えぇ」
ブレイクと黒ローブは同時に頷く。
「でも、問題があるわ」
「この状況以外に、か?」
「重要なことよ」
「早く言え」
「足を、怪我しているの……」
「最悪だ……」
更に最悪だったのは、黒ローブが足を怪我していると聞いてブレイクが弱気になってしまったことだろう。
ビリビリと森を震わした威圧が止まり、弱者の気配に敏感に反応したウッドファングが牙を剥いた。
「グルアァア!」
「ウゥオォン!」
「きゃあぁ!」
黒ローブが杖を握り身を縮めた。
ブレイクは思考を回す。
(指一本分程度の刃渡りしかない投げナイフで毛皮を貫いて仕留めるのは絶対に不可能だ。目や口の中を狙えば可能性はあるが困難を極める。どうする……頼みの『選択の迷宮』は発動しなかった。条件はなんだ、何がいけない? 俺と同じ苦しみを知るこいつを助けるためにはどうしたらいい?! なんで発動しない! どうしてっ! こんなときでも、俺はゴミ野郎なのか!?)
ブレイクは己の無力さを呪う。助けたいと、自分の覚悟すらこの程度だったのかと。
ブチリ、と噛み締めた唇が裂ける。渋い、血の味が口の中に広がっていく。
「ふざけんな……俺の、スキルだろうがッ! ここで死ねば本当にただのクズスキルになっちまうぞ。それでいいのか! 嫌だったら俺達が助かる道を教えろ! 今なら足でもなんでも舐めてやる!」
二度目の絶叫。
生きるために学んできた全ても無駄。数と力の前に弱者の個はただ蹂躙される。
故にブレイクは求める。この盤面を引っ繰り返す道筋を、自身の努力ではどうにも出来ない世知辛い摂理に逆らうスキルの力を。
発動しなければウッドファングに喰われて死ぬだけ。
一度失敗しているだけに、期待はしない完全なる運頼み。
でも、今だけは、とブレイクはソレを叫ぶ。
「『選択の迷宮』ッ!」
ズキリ、と頭に激痛が走る。
叫んだことで頭の血管が切れたのかと思ったがすぐに違うのだと理解した。
(成功……した!)
ウッドファングが飛び掛る予備動作で動きを止め、ピチャリ、ピチャリと体から水を滴らせていた音が止まった。剥き出しにされた牙の覗く口から垂れた涎が空中でピタリと停止している。
『人生とは選択の連続である。答えよ。求めよ。開かれよ。己自身に、問いかけよ』
ブレイクは、はて、と違和感を覚えた。
(文言が、増えている……?)
以前は答えよだけだったものが、今は色々と追加されている。それに視界が歪むことはあっても頭痛がしたことはなかった。
(なんだ、何が……)
視線の先に映る文字はふわふわと漂い姿を変える。
そこでブレイクはスキルの変化に対する分析をやめた。
何故なら、何も変わっていないことがわかったからだ。
『被対象を押し倒し、犬真似をして威嚇する』
『被対象の胸を揉んで押し倒す』
目の前を漂う文字は、いつもと変わらずブレイクを狂気の道へと引きずり込むのだった。